虚空
遺書みたいなタイトルで日記を書いていたことがあった。
始めたのは高三の初め頃だっただろうか。受験勉強に本腰を入れ始める周囲のペースを「すげーwww」と面白がる素振りだけ見せて、一方では自分だけガキ臭いノリを引きずっている現状にひたすら苦しんでいた。
何も受験だけが原因ではなかった。どんどん年相応の振舞いや身だしなみ、交友関係を獲得していくクラスメイトたちを前に、僕は指をくわえて見ていることしかできなかった。そんなに難しいことではなかったはずだ。が、「そうやってリアルで物語作ろうとする風潮ださいよね」みたいな世迷い言に身を浸して、自分はこのままでいいと必死に言い聞かせていた。そんな訳がない。一番ダサいのはお前だ。
で、なんだっけ。
追いてかれる恐怖、老いて枯れる焦燥感にのたうちまわる僕は、ついぞ狭い子供部屋を脱することは叶わなかった。意味もなく自殺めいたことを夢想して、ひとりで自分を慰めていた。最悪なマッチポンプだ。
マッチであり、ポンプであった自傷行為のひとつがこの日記だった。うまくいかないこと、嫌だったことがあると心のままに文章を吐き出していた。こう書くと小中学生のお遊びみたいに思われるかもだけど、少なくとも当時の僕はそれなりに本気で死にたいと思っていた。
日記を書く発作は大学に行っても続いた。クラスオリエンテーションという最初にして最大のイベントを見送った僕は、早々に悲惨な状態となっていた。いや嘘か。他にもチャンスはいくらでもあったはずだ。リアル神経衰弱となっていた僕は、めぐり合うべきペアのカードを奈落の外に捨てていた。違うか。僕のほうから奈落に落ちたのだ。
なんて比喩に縋ってみてもしょうがなくて、しばらく孤独な大学生活が続いた。でも単位は取らなければという意識があったのか、頑張って講義には出ていた。本当に偉いと思う。
で、書くの面倒になってきたからこの辺で閉めるけど、全然うまくいかない日々とちょっとうまくいった瞬間を繰り返した結果、じりじり話せる人が増えて、ようやく僕の大学生活はそれなりの水準に達した。まあそれでも人並み以下だっただろうけど、現状充分満たされていると思う。
で、なんでこんなこと書いたかというと、また就活で遅れ気味で、よくない想像をしたからだ。今は全然死ぬつもりないけど、いつまたそちら側に傾くか分からない。つまるところ、高校のときから僕は何も学んでいない。でも生きてしまった。出逢う人間に恵まれて、なんか生きてこられてしまった。これ以上学ばなくてもいいという神のお告げだろうか。
日記に化けた遺書、消したつもりがドキュメント形式で残っていた。Googleのバックアップ機能は、僕の黒歴史を黒いまま保管してくれている。またお世話になるかもしれない。そんな後ろ向きな思いを奥に秘めて、とりあえず今は前向きに生きている。
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