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小説✴︎梅はその日の難逃れ 第29話

カフェ『あけぼの』のイベントというのは
『あけぼの』閉店に向けての
準備だった。

『あけぼの』が借りている古民家の
大家が急逝したとの知らせが届いた。

以前から大家の具合があまり良くないとは聞いていたので
ここでいつまで続けられるかマスターも
心で覚悟はしてはいた。

先日、親族から
この古民家も含め資産を売却する話が上がったとの不動産屋から連絡が
とうとう来てしまった。

マスターの人柄やコーヒーの美味さで人気のカフェだが
古民家のこの雰囲気が好きだと
足を運ぶ常連も多い。
かと言って、この
古民家を買い取るほど
マスターにも余裕がある訳ではない。

『あけぼの』のマスターは
露木 愁という。
子供は居なかったが、バツイチで
妻と別れる原因の一つが
脱サラして喫茶店をやりたいと
相談したのが発端だった。

高収入の外資系会社員だったので
それを捨てて苦労するのは目に見えている。
そこに妻の同意は難しかった。

他にも色々な事が重なり、露木夫婦は別れた後
愁は、この古民家に出会い
1人で開業することになったのだ。

しかし、『あけぼの』を閉めて
また一からスタートも、なかなか大変な事で簡単に先へ進めることも出来ずにいた。
とは言え、立ち退かなくていけない期限もある。
愁は、誰に相談することも出来ずにいたが、ふと
『あけぼの』開業前に仕事をさせてもらった店のマスターに連絡を取ってみた。

「笹内さんですか?ご無沙汰しています。露木です」
「おー久しぶりですね。お元気ですか?」
「お久しぶりです。ずいぶん長く連絡もせずにすみませんでした」
「いやいや、こちらこそ。連絡出来ない位、忙しい方が良い職業ですからね。お互い」
「はい。全くもって。笹内さんのお店にも、たまに顔出したいと思ってはいたんですがね」
「ありがとうございます。露木さんの『あけぼの』、結構古民家カフェ界隈では人気じゃないですか。検索すると大概TOPの方ですね」
「恐縮です。ですが、実は『あけぼの』閉めなくてはいけなくなりまして」
「え?それはなぜ?」
愁は事情を説明し、相談に乗ってもらいたいと思い、連絡した事を告げた。

「そうかぁ。まず閉店の為の事を考えないとな。その後はまぁなんとかなると思うし、しばらくは私のお店の手伝いに来てもらえないかな?」笹内はそう答えてくれた。
「そうですね。閉店は期限がありますから、まずはそこから手をつけていかないと」愁も納得だった。


愁は少し前
春翔にも、事情を話した。

「よく働いてくれて
春くんには感謝してるよ」
「いえいえ。僕の方こそ
こんなに楽しくアルバイトさせていただいて、感謝です」
「春くんの就職も決まったから
そろそろ新しい人の募集もかけるつもりだったのだがね」
「『あけぼの』が無くなるのもさみしいですが、仕方ないので
閉店のイベントとかどうでしょう?
僕、企画しますよ」
「イベントかあ。そうだね。
ここを気に入って足を運んでくださったお客様にお礼も兼ねて、何かやるのも良いね」
「はい。明るく楽しく店じまいが
良いですよ」
「そうだね。春くんには頼んでも良いかい?」
「勿論です!ところでここを閉めた後はどうされるんですか?」
「ああ、この店を開く時に相談に乗ってもらった先輩マスターが
次の物件見つかるまで、手伝いに来て欲しいと言ってくれてね」
「そうなんですね」
「うん。喫茶『purple cloud』と言うお店。元々僕がよく通っていた店なんだ」
「オシャレな名前ですね」
「でもね『あけぼの』は暖簾分けみたいなもんだよ。ははは」
首を傾げる春翔に、愁は言った。
「あけぼのといえば何が思いつく?」
春翔が誦じた。
「春はあけぼの。やうやう 白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる…ってやつですよね」
ニコリとする愁の顔を見て
春翔が「あ!紫だちたる雲!」
と答えた。
「うんうん。それ!」
「なるほど〜」
「春くんがアルバイト募集にやってきて名前を聞いて、ハッとしたよ。『春が来た!』って」
「え?そこが採用理由ですか?」
「いやいや、人柄も間違い無かったけどね」
「あはは。ありがとうございます」

半年後には明け渡しとなるので
少しずつ準備を進めて行く中で
春翔は小春の梅干しの販売も思いついた。

イベントでは、『あけぼの』で使っていた什器の販売もすることになった。
その為、通常業務はあと3ヶ月で
一旦店を閉めて、その後明け渡しまでにイベントを開催する事となった。


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