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【つながる旅行記#272】國學院大學博物館で考古の世界を巡る

前回は國學院大學博物館で根付コレクションを楽しんだ。

では今回は常設の考古展示を見ていこう。

大学博物館なのでどんなものかと思っていたが、普通にすごい量である。

考古の時代に限るならそこらの博物館より充実してるかも。

土層断面剥ぎ取り標本
火焔土器
遮光器土偶

腕のぐるぐる表現がすごい土偶を発見。

遮光器土偶というと亀ヶ岡遺跡のものが浮かんでしまうが、こういう目の造形は他の土偶にもみられたのだ。

そして山形土偶の右にある土偶は、亀ヶ岡遺跡の遮光器土偶と同じような頭の造形をしつつも、目の表現を見ると遮光器というより、ちょっと開眼してる感がある。

土偶にはデザインの変遷があるのだ。

やはり縄文土偶は面白いな……!!

バラバラなパーツたち
みみずく土偶や合掌土偶に似た顔もある

顔の表情のバリエーションは豊富で、シンプルなものから手の込んだ物まで様々だ。

思えば、この中には土偶職人(居たかは知らないけど)が制作したものだけでなく、子供が作った習作のようなものもあったりするのだろうか?

そう考えたら微笑ましさを感じるようになってきたかも。

尋常じゃないデカさの耳飾り

そして全然微笑ましくない耳飾りがあった。

これは徐々にサイズアップさせていって一番右側の最終形態に至るのだろうが、日常生活に確実に影響が出そうなデカさである。

どうやら人類は大昔から耳たぶに穴を開けたくなるものらしい。

なお、同じような耳飾りをマサイ族もしてるとかなんとか。

ミニチュア土器

そしてもちろん土偶だけじゃなく縄文土器も充実している。

やはりこうして見ると、中期の縄文土器は一番勢いがあるように思う。

先ほど貼った国宝の火焔土器のように、なんだかもう尋常じゃないパワーを感じる造形が溢れるのが縄文中期なのだ。

そしてなんだか安定感があって使いやすそうな火焔土器も発見。

こ、こういうバージョンもあるんだ……?

たしか実際に普段の煮炊き用に使っていたというのが縄文土器である。

縄文人も「こういう形の方が使いやすいんじゃないか?」とかを色々実験していたのかもしれない。(許される範囲で)

そしておもむろに引き出しを開けてみると、縄文土器特有の縄文がどうやって作られたのかを研究した標本があった。(縄文原体標本)

木の棒にどんな風に縄を巻いたかで、土器に残る模様も変わるのだ。

……しかしこんなものを再現してしまう研究者の凄さよ。

そもそも再現しようということすら自分には思いつかなかったな。

縄文晩期は装飾が落ち着く
免田式土器(弥生〜)

だが時代が変化すると、縄文時代のパワー溢れる装飾は消滅していってしまう。

あのわけのわからない表現に魅力を感じている人間にはちょっと悲しい展開だ。

(実用性考えたらこうなりそうな気はするけども)


かつての日本では縄文土器を芸術として評価する声はなく、岡本太郎による縄文再評価を待つしかなかったのだが、確かに岡本太郎の言っていることは的を射ている気がする。

以下は「人類の進歩と調和」を掲げた、かつての大阪万博で岡本太郎が語った言葉である。

人類は進歩なんかしていない。何が進歩だ。
縄文土器の凄さを見ろ。ラスコーの壁画だってツタンカーメンだって、今の人間にあんなもの作れるか。

岡本太郎

あの時代の文化の中で人間が生きていたからこそ出来上がったものが縄文土器や土偶なのだ。

確かに、現代の人間があの造形に至ることはないのかもしれない。
当時の価値観もわからないし、祈りの時間的なあれこれもきっと圧倒的に足りていないだろう。

その代わり、現代人には情報過多で世界中の情報が手に入る現代ならではの造形が可能ということでもある。

……とりあえず自分は、縄文と現代のどちらのクリエイターの作品も楽しませてもらうとしよう。



埴輪
こくぴょん

……というわけで、國學院大學博物館でした。

根付コレクションに加えて、縄文を含む考古の世界もしっかり満喫できた。


記事では紹介しなかったが、神道に関連する神道系宗教の展示もあったりして「神道も仏教みたいに色々あるんだなあ」という学びをこの歳でようやく得たりもした。

一体どれだけ学べば世の中の全容がつかめるのやら。

しかしやっぱり大学博物館は面白いな。

毎回必ず得るものがある博物館。今後もできる限り寄っていこう。


次回へ続く……!


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