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『スーツ=軍服!?』(改訂版)第87回

『スーツ=軍服!?』(改訂版)連載87回 辻元よしふみ、辻元玲子
 
※本連載は、2008年刊行の書籍の改訂版です。無料公開中につき、出典や参考文献、索引などのサービスは一切、致しませんのでご了承ください。

ヴィクトリア十字章、メダル・オブ・オナー、金鵄勲章など

英国のガーター勲章は勲章として最も老舗なわけだが、フランスやプロイセンの例を見るまでもなく、騎士身分にまつわる叙勲というものは、巨大化の一途をたどる近現代の戦争の実態と合わなくなっており、参加する兵士の数も受章対象者も増大し、こちらでも純粋な戦功勲章が必要になった。そこでクリミア戦争に合わせて制定されたのがヴィクトリア十字勲章(ヴィクトリア・クロス)で一八五六年のことである。制定者は名の通りヴィクトリア女王だ。身分階級にかかわりなく全将兵が対象になる勲章で、英国では、慣例として、ヴィクトリア勲章受章者に対しては、たとえ兵卒であってもすべての階級の者(将軍であれ提督であれ)は敬礼しなければならないとされる。
ヨーロッパの貴族制度のしがらみが初めからないアメリカでは、騎士団にまつわる呪縛は当然ながら存在しない。アメリカ独立戦争(一七六五~八三)時に総司令官ジョージ・ワシントン(一七三二~一七九九)が制定したメダル・オブ・オナーが最高の戦功勲章で、議会名誉勲章などと翻訳されるのは議会の厳しい受章審査があるためだ。実際、そのハードルは非常に高く、たとえば第二次大戦でマッカーサー元帥は受章しているが、ジョージ・S・パットン大将は戦場での活躍にもかかわらず、それより下位の殊勲十字勲章しか得ていない。
日本には、軍事勲章として一八九〇年二月十一日制定の金鵄(きんし)勲章が存在した。日本の勲章としては最高位の菊花賞、国家への功績が大きい者に贈られる旭日章、より対象の広い瑞宝章などがあり、それらも軍人が受章できたが、あくまでも戦功に対する勲章というとこの金鵄勲章である。
金鵄とは金色のトビの意味である。記紀の時代の神話にある、神武天皇の東征にあたり、その弓の先に止まったトビが光り輝き、敵対するナガスネヒコの軍を敗走させたという逸話に基づく。功一級から七級まであるが、将官は一~三級、将校は三~五級、準士官、下士官は四~六級、兵卒は五~七級という具合に階級制限があった。終戦後の一九四七年に廃止となり、以後、他の勲章は復活したが、戦争と不可分の金鵄勲章は廃止のままで、公式な場での着用も禁止とされた。
ここで、共産圏の勲章も紹介しておこう。封建的な身分制度の対局にあったソ連では、最高位の勲章はレーニン勲章で、一九三〇年制定である。国家英雄的な個人のみならず、都市や機関、部隊が受章するもので、受章対象に制限はないがハードルはきわめて高い。宇宙飛行士ユーリ・ガガーリン、航空機設計家セルゲイ・イリューシン、AK47突撃銃の設計で知られるミハイル・カラシニコフなどが名を連ねるが、意外に軍人は少なく、著名な狙撃兵ワシーリー・ザイツェフ、同じくフョードル・オクロプコフ、クレメンチ・ヴォシーロフ元帥、セミヨン・ティモシェンコ元帥、アレクサンドル・ヴァシレフスキー元帥、ゲオルギー・ジューコフ元帥などが目立つ程度である。
ところで、ワシーリー・ザイツェフといえば、ジュード・ローが主演した映画「スターリングラード」(二〇〇一)のモデルになったことで有名だ。この映画の中で、ザイツェフのライバルであるドイツ軍の狙撃兵、エルヴィン・ケーニヒ少佐が自分の騎士十字章を首から外し、息子の形見である戦攻十字勲章(主に戦場以外での功労に与えられる勲章)と交換するシーンがある。勲章のリボンの結び方を描写した映画は珍しく、興味のある人には必見である。
共産圏では、勲章に等級を設けることは貴族的な身分制度につながる、として、一等とか二等といった勲等を設けないのが普通だった。だから、たとえばドイツ軍なら、騎士十字勲章をすでにもらっている人物が、さらに大きな手柄を立てた場合、上位の柏葉付き騎士十字勲章にランクアップするのだが、ソ連軍では、何回も同じ勲章をもらうことになった。それで、共産圏の軍人は、胸いっぱいにベタベタと同じ勲章を何個も、人によっては何十個も並べる習慣が見られた。今でもこれを貫いているのが北朝鮮軍で、写真を見ると、あまりにたくさんの勲章を胸に飾る余地がなくなった軍人が、ズボンにまで着けている場合があるようである。
 


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