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自分を知る・私はわたしと仲良くなろう

ブログを書くのはもう10年以上ぶりのことになります、tucyanと申します。
親族と絶縁、バツイチ子なし、半世紀近く生きてきて、自分でもびっくりするほどないないづくしの人生を送ってきました。
~というか現在、無職。職探し中です。(選考進まなかった~困った)
こんな私の人生の小話、聞いてみます??


親はなくとも子は育つ、でも心は育たないよ

毒親機能不全家族育ちのわたし。
父母とも毒親、弟妹がいますが現在、全員疎遠です。
ひとつ屋根の下に暮らした日々、楽しい思い出はひとつも浮かびません。
毒親は「いいことは自分たちのおかげ、悪いことはあいつ(八つ当たりの的だったわたし)のせい」という考え。
女よりヒステリックで狭量な毒父、男より暴力的&ネグレクトな毒母。
弟はいつも泣いてばっかりの貧弱、妹は毒母そっくりの自己中で、兄姉(私と弟)を小馬鹿にするようなずる賢い子でした。
あんな人たちでも家族だから、って、ずっと我慢していました。

子供なのにストレスまみれの日々。
わたしは標準よりも体がちいさく、体調不良も多かったです。
毒親はわたしを病院に連れて行くのを嫌がって「お前に金をかけたくない、もったいねえ!」って怒鳴ってきたっけ。
ほかに言いようのない、まぎれもない最悪品質の毒親でございました。

家族が大嫌い。
こうやって正直に気持ちを認められるようになったのは、つい最近のことです。
機能不全家族育ちの子は、本人に何も非がなくても、罪悪感を植え付けられて苦しむ子が多いんです。私もそのうちの一人でした。
とても寂しい真実だけど、「嫌い」という気持ちを認めると、スッと重い荷物が消えるような感覚がありましたよ。
自分を否定してくる奴を尊重する必要はありません。心の中にいたら、シュッと消しましょう。
自分の心の中だもん、なんでもあり、自由でいいんです。

あと20年?遅く、よその家の子に生まれたかったなあ

ここ10~20年くらいの話(ひえっ。もうそんなに経つのか…)、
「毒親」というワードが世の中に浸透していき、
昭和の鉄板常識「親を悪く言う子供は悪」という認識が薄らいでいった頃。
あ~あ、あと20年くらい遅く生まれたかった!
それにあの毒親じゃない、優しい両親の子供に生まれたかった!!~って心底思いましたよ・笑。
「親ガチャ」の考えにもすごく共感。わたしなんて大外れ、大凶ですもん。
親になる資格ありなし判断テスト、なんてのを国を挙げてやってくれたらよかったのにね。
そうしたらうちの毒親なんて落選・落第、ダメって言われたと思う(笑)
不幸な子供を産まない対策、なんとかできないのかな。難しいですかね。

「逃げてもいいよ」って、誰か言ってほしかったなあ。
一緒に逃げてくれる人、助けてくれる人が欲しかった。
本当にびっくりするほど独りぼっちで生きてきたなあと思います。

わたしは、私自身と親友になっていくわ

わたしはもうなにかをどっぷり信じるとか、頼るとか、そういうピュアな気持ちはさっぱりなくなってしまったのだけど、
「自分は、自分の一番の味方でなきゃダメだね」と強く思います。

自分大好き、自分が一番!!~っていう人にはとても信じられない話だと思いますが、
わたしは長いこと、自分を一番に傷つける側でした。
「こんなわたしだから惨めでもしょうがない、我慢するしかない」って。
理不尽な嫌がらせにも反論・反撃してこなかった。
孤立させられて、泣く泣くその場を去るのはいつもわたし、、、そんなことばっかりだったなあ。

でも、「家族が大嫌い」と認めたころだったかな?
だんだんと「もう嫌な思いしたくない!」という本音が、わたしの中で大きくなってきて。
直前の職場で遭った嫌がらせには、なんと味方がたくさんでき、問題人物を一時的に抑えることにも成功しました!
もう関わりたくないので退職しましたが、これも、いまのわたしだから判断できたことです。
以前のわたしだったら、
「辞めたらだめ!もういい年だし次の就職大変だよ、続けなよ」って我慢を私に要求したと思う。
~我慢してあの職場で仕事を続けていたら、精神的に病んでいたでしょう。
わたしは、ぎりぎりのところで、私自身を守ることに成功したと思っています。
(でもこんなに就職苦労すると思わなかった、どうしよう、、、苦笑)

普通の優しいご両親のもとに育った人には、到底理解されない話と思います。
「故郷・地元が好き」っていう人は、幸せな人。両親に愛されて、友達もいっぱい地元にいるんだろうなあって。
わたしですか?地元大嫌いです(笑)
近い未来に隣の市と合併するらしいですよ。地元名を目にしなくてすむようになるのなら嬉しいです。
ここまで拙い文をお読みいただき、ありがとうございました。

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