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不完全でも、生きています

ブログを書くのはもう10年以上ぶりのことになります、tucyanと申します。
親族と絶縁、バツイチ子なし、半世紀近く生きてきて、自分でもびっくりするほどないないづくしの人生を送ってきました。
~というか現在、無職。職探し中です。
(失業保険の手続きしました。何件か求職応募もしています、ど~なるやら。こうなったら天にお任せ!です)
こんな私の人生の小話、聞いてみます??


いろいろ思うけれど、とりあえず生きる

この週末、気持ち穏やかではない事件があったので、noteお休みしていました。通りすがりで見てくださった方、お騒がせすみません。ありがとうございます。

わたしには本当に珍しいことですが、先日、プライベートで人と会う機会がありました。
シンプルに「友達とランチ行ったの~♡」と言えばいいのかもしれないけど、人生において悉く人との交流が途絶えるわたし、ちょっと抵抗あるんですよね。
(友達のうちに数えた途端、交流終わっちゃうと悲しいし。。。)
年上のお姉さま友達、Mさんです。
過去の職場で知り合った方で、若いころの数少ない良い思い出には、必ずMさんがいます。

わたしはこれまで、自分の生い立ち(毒親機能不全家族育ち)を、よその人に話しませんでした。
長い付き合いのMさんにも打ち明けることはなかったのですが、
昨年、急に話す機会があり…まあ驚かれました、当たり前ですよね。
Mさんは育ちのいい人、温かい家庭に育った人です。
そういう人だと余計に理解はしがたいものだと思うんですが、
「そうだったのね」と、否定せずに受け入れてくれました。
~ここから緩やかに、
「毒親のことを外に話してもいい(嫌なことは嫌だと言っていい)」
そういう許可?が自分の中で下りたような気がします。

先日のランチでは、「毒親育ち」を隠さずに、
現在華の無職!という、みっともなさMAXのわたしでも、堂々とお出かけできました。
惨めさと開き直りとが交互に襲ってきますが、とりあえず、生きています。

劣等感のループ、不幸な家庭しか生まれない

毒親がどういう性格だか書いてきませんでしたが、さらっとまとめるとこんな感じです。
(詳細に書くとはてしない物語・ネバーエンディングストーリーですもん)

・毒父
家族仲は悪くなかったようですが、兄弟妹がそれぞれ優秀で、何もとりえのない毒父(次男)は劣等感まみれだったようです。
不細工なジャイアン。お見合い100回以上断られたって自虐で言ってましたが、嘘だか本当だか。
(毒母とはお見合い結婚。「一目で気に入った!」そうです。やめときゃよかったのに~)

・毒母
家庭環境が複雑で(はてしないので省略します)、親を恨んで生きてきた人です。
他人、特に同世代の女の人にはライバル心をむき出しにするタイプ。
嘘を平気でつく。間違いなく精神病だと思う。うちの家庭のガンです。
「tucyanのお母さんきれいね~」演歌系美人とよく言われましたが、
わたしは毒母の死んだ魚みたいな冷たい目、エラのはった四角い顔が大嫌いで、美人だと思ったことはありません。
最初は容姿の良さで人が集まってきますが、すぐに独りになる人です。
(ちなみに私は、容姿は毒父にそっくりです。特に残念でもないです)

父母どちらにも言える一番の毒要素は、「劣等感」かなあと思います。
子供のころに相当惨めな思いをしてきたらしい。
(貧乏とかいじめとか差別とか)
~まともな精神の親なら、「自分が味わった辛い思いを、子供にはさせたくない」と思いますよね。幸せいっぱい与えてあげたいって思いますよね。
当方の毒親は何も持たない子供から奪う泥棒。
よその親御さんが子供にしてあげる10のうち、1しかやらないで、100返せっていう毒親です。

「負けて勝つ」とはこういうことかも

劣等感の塊の毒親は、ことあるごとによその家の子とわたしを比較して、いちいち口に出してきました。
ブーとか、ふとっちょとか(もっと露骨な言葉なんだけど、オブラートに包みました)、下の子の面倒みない、役立たず、性格がきついとか、ありとあらゆる蔑み。
~わたしの器量は毒父の遺伝だし、むしろ細いほう(ろくなご飯食べられなかったし)。
長女のわたしは、毒母(体調不良でも何でもない、ネグレクト)にいつも家事を押し付けられていたけれど、それらを無難にこなし、
勉強はできたほうだし、美大に入れるレベルの美的センスもありました。(必死に勉強&努力してましたもん)
弟が何もできないのは毒親が甘やかし放題だったから。妹は兄姉(わたしと弟)を小馬鹿にするような性悪だったから、面倒は見ない。
わたしの認識と真逆の思考・態度をとる毒親でした。

毒親は、勝手に結婚相談所に登録して、わたしを嫁に出して追い出そうとしたけれど、結局は離婚。
わたしにとっては「こんな結婚は嫌だ!」と勇気をもって自分の意思を貫いた行動でした。後悔は1ミリもありません。
毒親にとっては恥をかいた、とても悔しい結果だったと思います。

すごくひねくれていますけれど、
1人の女性の人生としては失敗(負け)ですが、
毒親の思惑通りにはならなかった点で勝ち、かもしれないと思っています。

不完全でもいい、自分の道は続いていく

改めて自分史を書いてふりかえり、ひどい人生だなあ~と他人目線でみて笑い、でもこれが私の人生…と悲しくなったり。
長生き願望ゼロです。なんならもうおしまいでいい。でも人生なかなか終わらないね(苦笑)
もう半世紀近く生きてきたのです。諦めというオプション機能が新たにつき、もう前に進むしかないと思うようになってきました。
たぶんですが、どんな人も完ぺきではない。どこかに足らない、欠けた部分があるものかと思います。
わたしは、普通の人よりだいぶ欠けた部分が大きいのだけど、最期までにそこをちょっとでも埋められるよう、希望をもっていこうと思います。
拙い文章をお読みいただき、ありがとうございました。

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