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捜査員青柳美香の黒歴史Ⅰ

あらすじ

伊勢神宮に参詣に行ったはずの妻と娘と義母が失踪した。三人は密かに憑神教という新興宗教に入信していた。夫の大石司は単身その本拠地に乗り込む決意をする。同じ頃、自宅に差出人不明の手紙が届く。中には読解不能の和歌が一首。思案していると、警察官青柳美香が現れ、同行を申し出る。二人は憑神教の本拠地和歌山を目指す。憑神教の教義とは。三人が憑神教に入信した理由は。憑神教二代目代表を名乗る山田昇とはいかなる人物か。二人は和歌を頼りに京都東寺へ。そこで語られる和泉式部伝説。解明された憑神教と三人を結ぶ因縁。全てを知った二人は失踪した三人を取り戻すべく、再び憑神教の本殿へ向かうのだった。


本文

 こっちは、ひどい雪です。名古屋で乗り換えるときは吹雪になって、電車が動くか心配しました。でも、安心してください。伊勢には十五分遅れで到着。曇りだけど、雪は今、降っていません。今日はセンター試験でしたっけ。名古屋の受験生は大変ですね。私も四年前のことが思い出されて、なんだか同情しちゃいます。あの日も、雪は降ってなかったけど、寒かったなあ。お母さんは、張り切ってます。明日の朝、伊勢神宮でお払いしてもらいます。夕方には帰ります。

 メールには雪の名古屋の街と、今日泊まる宿の写真が貼付されていた。僕は三秒くらいそれを眺めて、スマホを閉じた。どうせあっちで松阪牛とか食うんだろうな、などと考えつつククレカレーをレンジに入れる。日曜日なのに、私立高校の出願があるので、明日は学校待機だ。

「日曜、学校待機できる人いますか」
 学年主任の大村さんが言う。誰も手を上げない。
「土曜は私が待機するんで、日曜は誰かやってくれませんか」
 みんな手を上げない。目を伏せている。でも、たぶんあと五秒が限界。五秒後には、大村さんの大声が降ってくる。
 五、四、三、二、一、…。
「ああ、そうなんだ! 誰もいないんだ! じゃ、私が来ますよ。土曜も日曜も、私が電話番しますよ! まあね、義務じゃないからね、私立の出願は家庭責任だしね、調査書渡したら、後は家庭の責任だからね、出願んときなんかあっても、そりゃ家庭だからね! でもね、あるんですよ電話。私、三年生十回くらいやってるからね、あるの、出願トラブル! 書類不備だけじゃないよ。電車止まったとかね、他校の生徒にインネンつけられたとかね、ああ、自動車とぶつかったなんてのもあったけねえ、あんときはびっくりしたわ! でも、いてよかった。そんときは、僕が電話番で、その子ん家、父子家庭でね、父親がラーメン屋の雇われ店長。そりゃ、日曜はかき入れ時だから、家にはおらんわな、家には! で、学校に電話がくるわけなのよ、ああ、あん時いてよかったわ、俺、いてホントよかったわ」
「日曜、出ます」
 仕方なく、手をあげた。はす向かいの山之内先生が、僕を見て小さくスマンのポーズをする。他の三人の学年団は依然目を伏せたまま、なんか書き物らしきことを、実はやってなくて、やってる振りをしてる。
「あ、そう。じゃ八時半からお昼までお願いします。それでは朝の打ち合わせ終わりにしまあす」
 大村学年主任は、ころっと態度が変わって、さっさと学級に向かう。僕も出席簿を持って立ち上がると、向かいの川井先生が、すまんね、とか言ってくる。
「あっ、いいですよ」
いつものことなんで、という言葉を飲み込んで、それだけ言う。あっ、それからーー。
「今度、二月十一日と十二日の私立試験日が土日にあたるんで、電話番残りの方で当番決めといてくださいねえ~」
 ギョッとした顔でみんな一斉に僕を見る。素知らぬ振りで、僕も教室に向かった。

 そういうわけで、僕は伊勢神宮の参拝には行けない。奥さんと娘と僕の代わりに奥さんのお母さんと。三人の女旅行で今日の朝から出て行った。この三人はとりわけ仲がいい。普段でもちょいちょい三人で出かける。奥さんは養子なのだが、だからこそ二人は親子の関係を大切に思っている。それを見て育った娘も母親を大切にする。
 暇な一日を、だらだらテレビ見て、スマホいじって過ごした。後は飯作って食べて片づけて寝るだけだ。
 まあ、別に伊勢神宮にどうしても行きたかったわけでもない。奥さんの趣味だ。どういう訳か、学生の頃からうちの奥さんはスピリチュアルなものに関心が高く、精神世界的な本をよく借りてくる。借りてくるが、あまり読んでる場面を見たことはない。その代わりか知らんが、パワースポット的な場所が大好きだ。昨年の年末には九州の高千穂に行った。今年だけでも、榛名山、鹿島神宮、那智の滝、明治神宮、大宮なんとか一宮、養老乃瀧には千葉のと近所のと両方行った。僕もうるさいのは苦手だから静かな場所に付き合うのはやぶさかではない。小旅行は、楽しくもある。ただ、滝に向かって、あるいは朝日に向かって、こう両手を広げてパワーを吸収する趣味はない。この間のスーパームーンのとき、ベランダで三十分くらい月光浴してたのには驚いた。でもまあ、実害はないので好きにさせている。

 翌日曜日、一日電話番をして四時に学校を出た。電話は一本もかかってこなかった。電話がかかってこないことは無論いいことなのだが、徒労感はいっぱいで久々にビールのロング缶を買ってしまった。郵便受けをのぞくと封書が二枚。持って帰って、ビールを飲みながら一通目を開ける。
 同窓会の誘い。
 五年前に卒業させた連中が成人式に集まって、久々に顔を合わせたので、そうだ、今度クラス会をやろうぜって流れで、それで、先生も是非出席してくださいトカナントカ。成人式とクラス会、期間近すぎだろ。全く興味なし。自慢じゃないが、教員になってこのかた、この種の会合に出たことはない。自分の同窓会だって、ない。だいたい過去を懐かしみあうなんて、どうかしてる。ましてや、そんな席に元担任の教師がのこのこ行くもんではない。彼らは、恩師を待ちこがれているのではなく、恩師の財布を待ちこがれているのだ。そういえば、今日は一月十五日。昔なら今日が成人式だったか。
 さて、二通目。あれれ、便せんに一行だけ。

みなかみに こと夜のしもは ふらねども 七日七日の月といわれじ

 なんだこれ。と、表書きを見ると、しまった、奥さん宛だった。でもまあ、見てしまったものはしかたない。封筒に入れて、差出人を見ると、「十四夜」とそれだけ。ますます訳がわからん。消印はにじんでよく読めんし。まあ、いいやとうっちゃって、ビールを飲みながらテレビを見る。七時になって、晩飯どうするのかメールしてみる。
 十五分たって音沙汰がない。
 仕方ないなあと思いつつ、電話する。あれれ、通じない。また電源切ってるな。もう十五分たって、また電話しても、同じ。もういいやとラーメン食って寝る。
 久々に酒など飲んだので、すぐに寝付いたが、夜中尿意で目がさめる。寝ぼけ眼で隣を見ると、奥さんの布団はもぬけの殻。時計を見ると、二時半。ちょっと、ぎょっとして、まずはトイレ。すませてから、娘の部屋をノックするも返事がない。そっと開けても誰もいない。玄関を見る。靴がない。
 昨日、大雪とか言ってたことを思いだし、電車止まったかとスマホを探す。「友達をさがす」機能で、位置確認を試みるも、圏外。もしくは電源が入ってない。天気予報で、伊勢地方を見る。雪は降っていない。名古屋も雪は降っていない。交通情報、ニュースを覗いてみても、電車が止まったような形跡はない。えっ、どうした。どこ行った。義母が一人暮らししている家に電話しても誰も出ない。えっ。どうした。どこ行った!どこ行ったんだ!

 ひと月。ずいぶんといろんな人に、心当たりを探してもらった。もちろん警察にも相談した。失踪届も出した。でも、何もわからない。なにか変わったことはなかったですか。知らない人の気配はありませんでしたか。奥さんや娘さんが口にして、おやっと思ったことは。不審な電話やメールや郵便物は。あるとしたら「十四夜」の封書だけ。それも警察に持って行かれたままで、そのまま音沙汰がなかった。
 防犯カメラの映像では、十四日に伊勢駅を降りたことは確かめられた。翌十五日に、名古屋とは反対方向の電車に三人が乗ったのを最後に、足取りが途絶えているそうだ。そんな馬鹿な、乗ったんなら降りた映像だってあるはずじゃないですか。と食い下がってはみたものの、「それがどうも」と言われ、伊勢駅の映像さえ見せてはくれない。
 ひと月たって、やっと警察から連絡が来た。映像を見てほしい、とのことだった。昼間学校に電話をもらい、午後休暇をとってすぐ警察署に向かった。二階の個室に案内されると、中にモニターがあって席が二つ。一つには小太りの定年前くらいの警官が座っている。モニターには静止画で伊勢駅の映像が映っていた。椅子に座ると、警官が再生ボタンを押した。確かに三人が映っている。話す風でもなく、三人ぼんやり線路を見ている。旅行鞄は誰も持っていない。三人の鞄は旅館に置かれたままだった。三人の持ち物で確認できなかったのは財布とスマートフォンだけだった。

 やがて電車がくる。驚いたことに満員である。しかも、駅に着いても誰も降りない。三人は、力付くのように車両に乗り込み、かろうじてドアが閉まると電車は発車した。
「これは……」
 答えを求めて警官を見やると、彼は、「ご家族で間違いないですか」と言った。
「ええ、家内と娘と義母です。間違いありません。で、今の映像……」
「そうですか」
 警官は、「やっぱりか」と重ねて、心から気の毒そうな顔をした。
「憑神教です」

「ツクガミキョウって何ですか」
 警官は二度せわしなく瞬きした。軽く口を膨らませてから息を吐く。それから僕を見て重そうな口を開いた。
「憑神教。つくがみきょう。憑依する神の教えって意味でしょうか」
「なんですか。新興宗教ですか」
「ええ、まあ。宗教法人です」
「そこに三人はいるっていうんですか」
「まあ、おそらく」
 警官は画面を切り替える。新しい駅の映像だった。ホームには誰もいない。そこへ電車が入ってきて、ドアが開く。そして、おびただしい数の人間が電車から吐き出されていく。
「これは……」
「みなさん、憑神教の神殿に向かわれるんです」
「なんですか! 憑神教って。聞いたこともない」
 思わず声を上げた。そんなそぶりなんてなかった。どう思い返したって、新興宗教だなんて、そんな何かを信じてるそぶりなんて、何もなかった。信じない。ある訳がない。
「初詣はいっしょに行かれましたか」
 警官は意外なことを言った。
 頭を巡らす。そういえば、……行かなかった。
「あなた、初詣は氷川神社?」
「まあ、そうだけど、どっか行きたいの?」
「ちょっとね。毎年氷川神社だから。ちょっと気分を変えて」
「そんな、近くでいいだろ」
「アカリがね、四月から就職だし。それにあの娘、最近御朱印を始めたのよ」
「御朱印ねえ」
「だから、いろんな神社行きたいんだって」
「まあ、いいけど。でも毎年氷川神社行ってんだから、今年だけ変えるのもなんだかなあ」
「そうなのよね、なんか浮気性みたいで嫌じゃない」
「まあな」
「だから、あなたはいつも通りに氷川神社にお参りしてよ」
「ええ! 俺だけ?」
「仕方ないじゃない。御朱印帳があるんだから」
「全く。あいつ、いつからそんな趣味なんだよ」
 ちょっと不満も感じたが、私だけ氷川神社に行った。でもその後は、特に何事もなかったはずだ。
「同じ所にお参りしたわけではないんですね」
 口ごもりながら、ええと答えた。そうですっか、と妙な抑揚をつけて膝を叩き、警官は画面に目を戻す。
「ごらんの通り、大変な数の人です。みなさん、憑神教の御神殿に向かわれるんですが、なにしろ、これだけの人数で画質も悪い。同じ様な色の服を着ている人も多くて。まあ、それでも三人固まっているんなら、まだ当たりもつくんですが、たぶんこの混みようでは離ればなれになっている可能性も高い。で、職員も頑張ったんですがーー」
「それらしい人間が見つからないと」
「申し訳ありません。で、ご家族ならと思いまして」
「ああ、なるほど」
「ご協力願えますか」
「勿論です」
 座り直して画面を見る。
「ところで、この駅は」
「ああ、奥泉です」
「奥泉、どこですか」
「白浜の少し先で、田辺の手前です」
 土地勘がないので、全くイメージがわかない。後で調べてみよう。グーグル・アースに映っていればいいのだけど。

 何度も画面を再生させて、何度も確かめて、僕は三人を見つけだした。人混みの中、妻は義母を抱える様に歩き、少し離れてアカリがいた。義母の顔は見えなかったが、見慣れたコートだった。確かに画質は悪く、画像だけで他人に特定は難しいのかもしれなかったが、僕にはわかった。三人はこの駅で降りている。
 僕は画像をストップさせて、警官に三人を教えた。
「ああ、この方たちがそうなんですね。なるほどなるほど。さすが家族の方は、やはり違いますねえ」
 心底感心したように警官が言う。かんに障る物言いだ。それなら、もっと早くに見せてくれてもいいじゃないか。
「ありがとうございます」
 警官は立ち上がる。驚いた。これでもう帰れと言うのだろうか。
「ご協力に感謝します。それから、ひとつお願いなんですが」
「何でしょう」
 不機嫌に座ったまま答えた。
「いや、お願いというか、これは必ず守っていただかなければならないことなんですがーー」
「他言無用と言うことですね。それは、勿論捜査に協力します。変なマスコミとかに知られて週刊誌ざたにでもなったらかなわない」
 帰れと言うなら帰ってやるさ。思って、僕は立ち上がった。でも、これで少なくともやれることはできた。ただ悶々と時間を過ごす、あのやるせなさからは解放される。小さな灯りが見えた。
「いやいや、それはもう大前提のことで」
と警官が言う。彼の背は、僕の肩ぐらいで、その位置からしきりに瞬きしながら穏やかな声で続ける。
「あなたから憑神教には接触しないでいただきたい」
 唖然とした。それは無理だ。そんな、小さな灯りがともったばかりなのに。そこへ行くなと言うのか。
「そんな」と言い掛けたとき、「いいえ」と、それまでにない強い声で警官は僕の声を遮る。いつの間にか目を大きく見開き、威圧するように僕を見ている。
「ここは警察に任せていただきたい」
 何を言ってる。僕の助けがなければ、三人を見つけることさえできなかったじゃないか。
「これは守ってもらわなければならないことです。でないとーー」
「でないと?」
 でないと、なんだと言うんだ。
「でないと、三人は永遠に帰ってこないかもしれませんよ」

「何言ってるんですか!」
 思わず噛みついた。こっちは被害者だ。妻と娘と義母と、みんな騙されて拉致されて、それを何もするなって。何を根拠に。と怒りが沸きそうなその時に、あっ、と不意に合点がいった。あっ、そうなのか。そうか。そうなら、早く言ってほしかった。なるほど。と、同時に怒りの気持ちがスーと引いた。
「あ、すいません。そうですか。危険なんですね」
 なるほど、そうなのだ。人の家族を拉致するような集団。普通の人間を日常の生活から、たちまちのうちにさらってしまう様な集団。危険。個人で接触するのは圧倒的に危険なのだ。

 オウム真理教。

 当然のように、あのカルト集団の名前が浮かんだ。そうなのだ。個人で太刀打ちできる相手ではないのだ。軽い鳥肌がたつ。アカリ。静恵。義母さん。三人の顔が浮かんで消える。ひどく悲しそうな。何か、僕に求めているような。
「そんなに……危険なんですか」
 警官はじっと僕の目を見る。瞬きもせず。そして言った。
「いえ、別に」
 …… えっ。
「憑神教は、今のところ、そう危険な集団ではないと聞いています」
 えっ! なんで。なんでなんで。危険だろう。どう考えたって危険だろう。危険に違いないだろ! 何を馬鹿な。こいつ馬鹿か! 何言ってる。ていうか、おまえ気は確かか。
 慌てた。慌てて、すぐに反論した。
「な、何言ってんですか。自分の言ってるころがわかってんですか。分かって、今、言ってますか。ねえ、お巡りさん。ねえ」
 いつの間にか、人差し指を警官の額に向けて、叫んでいた。警官は、今度は申し訳なさそうに言った。
「いや、ですからね、犯罪行為じゃないんですよ」
 その言葉を聞いて、血管が切れそうになった。図らずも大声で応戦する。手はいつの間にか警官の胸ぐらをつかんでいる。
「な、何、馬鹿なこと言ってんですか。家族全員拉致して、犯罪じゃないって。あんた、何言ってんだ。何言ってんだ。ことと次第によっちゃあ許さんぞ。誰が許しても、俺は許さん!!」
 警官は僕に首を絞められながらも、手を両手をあげて、それを上下にひらひらさせて言う。落ち着け落ち付けのそのゼスチャーにまた腹がたつ。
「イッ、クウ、ま、ア、あまあ、クッ、まあ。そう、コ。コウ、コウフ、ンン、シナ……シヌ…シヌウ…」
 と、もう少しで落とせるなどと思っているうち、気がつくと、羽交い締めにされていた。お巡りさんがイキナリ五人くらいドアから怒濤のごとく飛び込んできて、羽交い締めにされて、アシガラかけられ、倒され、たちまちのうちに制圧されて、組み敷かれて、なんだ、なんだなんだ、どっちが被害者だ、と思う間に床に組み伏せられた。

「だから、もう一度説明しますよ」
 警官はうんざりしたように続ける。
「警察は、犯罪行為がないと動けないんですよ」
「家族が拉致されたんだ。立派な犯罪行為じゃないか」
「そんな、北朝鮮じゃないんだから」
「何言ってんだ。いっしょじゃないか」
「いっしょじゃありませんたら」
 警官は顔をつるりと撫でた。それから耳の穴をほじくって、手を組む。仕方ないなあ、という感じでまた喋る。
「娘さんを含めて立派な成人でしょ。大人が自分の考えで自分で行動することに犯罪行為はないんですよ」
「僕は何も聞いてない」
「だから。そうですね、たとえば、結婚されてる奥さんが、離婚を考えて別居するとします」
「離婚なんて考えてない」
「だから、たとえばの話です。旦那が嫌になって、旦那の留守中、荷物をまとめて家を出たとする」
「妻は、そんなことしない」
「だから、たとえばですって。たとえば、そういうことがあったとして、警察が介入できますか。逃げた先が、たとえば不倫の相手で、だとしても警察が奥さんを捕まえられますか」
「うちの女房を侮辱する気か。こととしだいによっては名誉毀損でーー」
「だから、話しにくいなあ。たとえ話だって言ってるでしょ」
 警官はお手上げという顔をする。頭では分かっている。警官の言うことも、頭ではわかっているんだが、感情がもう止めようがない。止められない。
「お茶でも飲みますか」
 警官は、傍にいる婦人警官にお茶を頼む。僕が暴れてから、彼女は部屋にいる。監視役なんだろう。娘くらいの若さに見えた。
 お茶を飲んで、少し気分が落ち着いた。
「洗脳されてるんですよ、三人とも」そう呟いてみる。「自分の意志で行動したなら、そりゃ仕方ないかもしれませんけど、妻も娘も義母も洗脳されてるんです」
「そーかもしれませんねえ」
 とのんきに警官はお茶をすする。
「自分の意志じゃないんです。そうでしょ」
「まあ、なかなか難しいですなあ」
 またすする。
「どうしてですか」
「洗脳って言われてもねえ」
「洗脳されてますって、絶対」
「いや、悪く言えば洗脳ですけど、まあ普通に言えば信者さんですからねえ」
「信者って……」
「だから、信者さんは捕まえられんでしょ。例えば、教徒さんに、神なんていない、インチキだ、あなたは洗脳されてるっていえますか。逮捕できますか」
「それは……」
「ね。日本には信仰の自由があるんです。何信じても、イワシの頭だって信じたっていいわけですから」
「じゃ、わたしがその洗脳を解いてみせます。私ならできる。なのに、憑神教に近づくなってどういうことですか」
「いや、いや、だからね。警察だって、まあ、ほっとく訳でもないんですよ。脱税の隠れ蓑に宗教法人使う人もいれば、信仰をたてに詐欺する団体もあるわけですから」
「はい」
「で。あんまり捜査上のことを民間の方に言う訳にはいかんのですが、その」
「詐欺罪か、何かで挙げられる寸前だ、と」
「いや、そうハッキリとはいいませんが」
「脱税のしっぽをつかみつつある、と」
「いやいや、ご想像におまかせします」
 そうか、そうなら、いや、でも。
「で、ずっと何もせずに待ってろ、と」
「いや、そこまでは。だからご協力ねがえませんか、と」
「でも、下手に動くと、三人は帰ってこないとあなた僕を脅しましたよね」
「いやいや。そりゃ、あの、民間のあなたの行動を制限する権利は私にはありません」
「じゃ、なんであんなこと言ったんですか」
「誤解のないように、脅しじゃないですから」
「言ったじゃないですか」
「説明しますね。今、大事なときです。もう少し待てば、打開策が開けるかもしれません」
「かも?」
「まあ、今段階では、かも、なんですけど。で、この大事な時期にあなたに勝手に動かれると非常にまずい。向こう側が態度を硬化させるかもしれない。証拠隠滅されるかもしれない。なによりお三人があなたを警察側の人間と思って、敵対意識を持つかもしれない」
「私は警察側の人間じゃない。話せば分かってくれると信じます」
「話してもらうとまずいんですよ。せっかくいいとこなんですから」
「いいとこって何ですか。映画じゃあるまいし」
「だから、ご協力を願いたい、と」
「警察の指図は受けません。僕は僕の判断で行動します」
「あ、はあ。まあ。ここまで言っても無理なら、どうぞご自由に。ただし、警察が動いていることだけは、ご内密に願いますよ」
「わかりました。今の話は聞かなかったことにします」  僕は憤然と席を立った。
「どうもお疲れさまでしたあ」
 あさってから出るような声で婦人警官が挨拶した。クソ忌々しくてドアを思い切り閉めてやった。

 家に帰ると封書が来ていた。「十四夜」と同じ便せんだ。消印は、ない。誰かが直接投函したのか。警察が動き出したと知って警戒しているのかもしれない。
裏を返すと「十四夜」。やっぱり同じ差出人だ。筆跡も同じに見える。急いで封書を切って中身を確かめた。

 お月さんいくつ
 十三ひとつ
 まだ年ゃ若い
 七折着せて
 おんどきょへのぼしょ
 おんどきょの道で
 尾のない鳥と
 尾のある鳥と
 けいちゃいや あら
 きいようようと鳴いたとさ

「な、なんじゃ、こりゃ」と思わずうなる。なんか聞いたことのあるような歌詞ではあるが、それも最初の方で、終わりの方はてんで知らない。「かごめかごめ」みたいな、わけのわからん童謡か。

 部屋に戻って、もう一度読む。「おんどきょ」って何だ。「けいちゃいや」は。「あら」はかけ声か。なにがなんだかわからない。ネットで調べてみる。やはり童謡だ。「お月さまいくつ」という題だが、東京で歌われているものとは、相当に違う。しばらく探して、紀伊地方のバージョンだと分かった。
 紀伊。伊勢。……つながった。
 グーグル・アースで奥泉駅周辺を探ってみる。駅前の道路はあるのだが、途中で消える。地図、航空写真を見てみるが、それらしい建物はわからない。ただ、寺らしい建物は、ある。ここか。ここしかないか。僕は寺の屋根らしい写真をじっと見つめた。
 やはり行くしかないだろう。
 コピーしていた前の便せんを並べてみた。筆跡はやはり同じだ。

 みなかみの こと夜のしもは ふらねども 七日七日の月といわれじ

 なんのことだか、やっぱりわからない。たぶん昔の和歌なんだろう。意味がわかれば、なんとかなるかもしれない。ネットで探しても出てこない以上、図書館に行くしかないか。あの童謡との共通点は。きっとなにかあるはずだ。
 すぐにでも奥泉とやらに行きたい気持ちはやまやまだが、中学三年生を担任する身、明日行くのはまずかろうと思った。しかし、明後日には行く。明日、校長に話して、そう、ひと月休暇をもらおう。どうせ、生徒は、後は試験を受けるだけだ。調査書も冬休み中、全部仕上げている。願書なんか、間違いがあっても自分の責任だ。間違ったら、翌日出し直しに行けばいい。授業なんか、もう試験対策だし。教科書なんかいまさらやらない。対策プリントはもう用意してある。そう、中学教師にとって一番長期休暇を取りやすいのは、実はこの時期なのだ。そうさ、他人の子よりも自分の子、自分の家族。大事なのは自分のことさ。悪いか馬鹿野郎。聖職なんかクソくらえ。どうせ卒業したら担任のことなんか覚えちゃいないんだから。思い出すとしたら同窓会の金蔓ってだけ。そんなやつらと大事な家族とどっちが大事か、おのずと答えは出ているさ。
 はははははははははは。と意味もなく笑う。いや、笑っている場合ではない。家族がわけのわからぬ新興宗教団体にさらわれて、僕は今不幸のどん底にいるのだ。
 しかし、光明は、ある。ありすぎるほどに、ある。場所もわかっている。説得する自信も、ある。警察も僕を止められない。後は、行くだけだ。そうそう、肝心の憑神教について調べてなかった。

 調べると、まことに貧弱な情報しか得られなかった。踊る宗教。昭和四十五年に宗教法人として認可。しかし、初代教祖さまは、平成十四年にお亡くなりになっている。今は二代目の山田昇と名乗る人物が代表らしい。信者数、およそ一千。
 なんだ、山田昇って。河口恵海とか、出口王仁三郎とか、それらしい名前はないのか。なんだ、ヤマダノボルって。一千人も怪しいものだ。日本の知られている神社仏閣の、つまり神道仏教の信者数を合わせると、軽く日本人の人口を越えるっていうじゃないか。宗教法人は、基本信者を水増しする。だとすると、憑神教は、せいぜい数百人、下手すると百人前後だって可能性もある。大丈夫なのか、そんな宗教法人で。
 などと、拉致した相手に同情してどうする。て言うか、どうせ洗脳され拉致されるんなら、名のある宗教法人に拉致されてほしいみいたいな乞食根性が自分にあるのが悩ましい。
 ふうとため息をつく。コーヒーでも飲もうか。時計を見れば九時を回っていた。今からコーヒーを飲んだら眠れないかもしれない。しかしホットミルクの雰囲気ではない。酒は駄目だ。僕は酒に弱い。気分を変えるなら、やはりコーヒーか。いや、緑茶か。
 僕はコーヒーを選んだ。

 寝不足のまま出勤。三人が失踪したことは、校長には告げてあったので、ひと月の長期休暇は許可してくれた。というか許可せざるをえない状況だった。親には事件のことは伏せてくれと言うと、むう、と唸って校長は言った。
「まあ、やむをえませんねえ。表向きには病休ということにするしかなさそうですね。あの学年主任の大村先生にだけは言ってもいいですか」
「いえ、それもできることなら」
「まあ、そうですね。あの人、口が軽いからなあ」
 極めてさりげないふうを装って、休暇をとって学校を出る。
「最近休暇、多くないですか」
 大村先生の嫌みを聞きつつ、それじゃあと職員室を出た。
「あっ、先生、また休み?」
 めざとく生徒に見つけられ、ああ、まあな、と言葉を濁して校門を出た。

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