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長期高校交換留学へ~留学準備編 Part.2~【ビザ申請のため、東京の米国大使館へ】

ビザ申請のため、東京の米国大使館へ
コロナ前の世の中は、語学学習は当たり前となり、留学はとても身近で気軽なものになりつつありました。コロナ後の現在はどうなるか未知数です。
ソーシャルディスタンスを保ったまま新しい人と出会い、深い交友関係を築くのは難しくも感じられます。
私の留学した当時は、ちょうど9.11、アメリカ同時多発テロ事件が起こってから数年後のことでした。この頃は、富裕層のお金持ちは軽い気持ちで行けるが、一般家庭からの留学はまだまだまれでした。

私の参加した留学斡旋会社の強化学習塾の卒業のとき、職員の方が発した言葉はこうでした。
「これからのグローバル社会において、あなたたち一人ひとりは国際社会の未来です。頑張り次第で留学を一生の体験にするのか、無駄にするのかはあなたたち次第です。一瞬一瞬を大切にして、立派になって帰ってきてください」
少し宗教染みていますが、この時の私を含めた生徒たちには未来が明るいものに見えていました。
今良い年の大人になってみて思うのは、少なくともあらゆる時代の学生の思考は夢であふれていてほしいものです。

1泊2日のビザ申請、東京の旅。

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いよいよビザ申請のため、東京へ向かう日が来ました。
クラスからアメリカ留学する他の生徒と一緒に新幹線で1泊2日の旅へ。
私はその中でも、学習塾で出会った友達2人と新幹線に乗ることとなりました。新幹線のチケットの手配は各自で行います。その当時、学生が空港で国内線の飛行機に載って東京へ行くという選択肢はなかったので、私は友人と共に新幹線で東京へ行くことにしました。

私はこの時、同行するAちゃんとSちゃんに相談しました。Aちゃんもおとなしい性格でしたが、Sちゃんはコンサバ風のお嬢様でした。イギリス留学へ向かった子とは違うタイプのお嬢様です。Sちゃんは常にいろんな物を失くしたり壊したりしていたので、常に最新のものを持っていておしゃれで、新幹線はグリーン車以外には乗ったことがないお嬢様でした。見た目は、有名人の剛力彩芽に似ている美人さんでした。今回もSちゃんはグリーン車にしか乗れないと言い出しました。
私もAちゃんも親に無理をいって留学に参加させてもらっている身です。親に頼っている高校生がグリーン車なんて乗ったこともないし、乗りたいとも思ったこともありませんでした。
「グリーン車には乗れないので、別々に行こうか」とAちゃんが言い出しました。Sちゃんは文句を言って怒り出し、「Aちゃんは一人で行ったら良いよ!あなたは一緒に乗るよね」と私の手を掴みました。引っ込み思案の私でしたがSちゃんに断りを入れ、Aちゃんと普通車に乗ると伝えました。Sちゃんが泣き始めます。Aちゃんは私を見て、「わかった。泣かないで。私もTmyちゃんも今回はグリーン車に乗るから」と言い出しました。
Aちゃんも私よりも裕福の家庭出だったのです。
真っ青になり家に帰って母に「グリーン車に乗ることになった。友達がグリーン車以外乗れないと言って泣くから」と伝えると、案の定、両親は普通車にしろと言いました。
Sちゃんと両親の間で板挟みとなった私は、両親に内緒でお年玉貯金をつぎ込み、グリーン車のチケットを購入しました。今思えばなんてバカなことをしたのだろうと思います。
当日、チケットを持って駅に行くと、Aちゃんが急に「やっぱりグリーン車は親に反対されたから普通車に乗るね」といってSちゃんと私を残し、Aちゃんは普通車に消えていきました。
「なにあいつ、最低」と言ってSちゃんは無表情でグリーン車へ。私は裏切られたと思い、自分の購入したチケットを後悔しながらSちゃんを追ってグリーン車へ乗りました。
平日ということもあってか、グリーン車には私たち以外誰も載っていませんでした。
途中の駅で板東英二が乗ってきたくらいでした。特にグリーン車を快適と感じた記憶もなく、ただただバカな浪費をしたにすぎません。
Sちゃんは常に無言だし、どうして留学前のビザ申請でこんなに人に気を使って疲れている自分がいるのかむなしい気持ちでいっぱいでした。
ここで気づいたのが、SちゃんにとってAちゃんはお気に入りの友達だったようです。彼女に裏切られたのが相当ショックだったようで、東京に着いてすぐ、Aちゃんに絶好を伝えていました。
高校生は純粋ですね。絶好なんて今じゃ相手に言いません。
新幹線を降りて、東京駅から宿泊先のホテルへ向かい、荷物を置いて晩御飯。翌日早朝に団体でビザ申請のため、大使館へ向かいました。

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高校留学へ旅経つにあたり、東京にある米国大使館でF-1ビザを申請します。
F-1ビザとは一般的な学生ビザです。
申請書類、パスポート、証明写真1枚を持って大使館へ。
米国大使館前には私たち以外にも数十人の学生の団体がいて、ビザ申請が一気に行われていました。大使館で職員の人から面接があるかもと聞いていたので、とても緊張していましたが、面接などはないに等しく、大きな部屋に皆一列に並んでYesしか言わず、すぐにビザが取れました。
たった一年の留学だからかもしれませんが、こんなに簡単にビザが取れることに当時の私は驚きました。

たった一泊の旅でしたが、Sちゃんは東北出身の同じく留学に行く知らない男の子と知り合い、彼氏ができていました。「同じ志を持つ人だから、好きになったの。これから遠距離だから心配」と話すSちゃんの話を聞きながら、たった1日で彼氏ができるなんて、私には本当に住む世界の違う人だなと尊敬の念すら覚えるほどでした。

出発の日、父の車で空港まで家族が送ってくれました。
前回の1ヵ月の短期留学とは違い、一年も家族から離れるということで、仲良し家族で育った私は複雑な心境でしたが、飛行機に飛び乗り、約15時間。団体が手配してくれた航空券だったので、特に安かったのでしょう。テレビがありませんでした。テレビのない飛行機がいかに苦痛だったか想像に値します。しかし、かなり酷い飛行機酔いにあっていた私にはテレビどころではありませんでした。今は平気で飛行機に乗れますが、トイレに何回行って吐いてしまったことか。緊張していたせいかもしれません。
そんな過酷な状況を乗り切り、途中のハワイで乗換、目的地のワシントン州にある州立大学に到着。ここで1ヵ月の事前合宿が始まります。

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