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爪先の語らない美しさと

随分と久々にネイルをした。夏らしい空と海をイメージした露草色のシングルカラーである。昨今の技術の進化はその勢いを止めることなく、爪先まで包む。私が小さい頃は、母親のマニキュアをつけて遊んだが、今はUVで硬化させるジェルネイルが主流だそうだ。

女性の爪先を彩るものとして親しまれてきたそれは、近年性別にとらわれず、男性も楽しむようになって久しい。ファッションの多様性は素晴らしい。好きなものを纏い、好きな振る舞いをすることはストレスフリーな社会を形成し、優しい世界への1歩であると思っている。しかしそれを妨げるのもまた社会である。

さてタイトルにもある通り、私がピキったのはネイルをして1週間後の話である。横浜を歩いている時、すれ違う人にこう言われた。

「キショっ」

直接面と向かって言われたら、一発拳で解決できたかもしれない。しかし一瞬通り過ぎた際に言われたそれに、私は何もできなかった。そんな悔いがこの記事を書く原動力となった。今回は彼のこの言動の分析を通じて、男性性と女性性、ファッション。そんなことに触れたい。

彼はなぜ私のネイルに気持ち悪さを感じたのか正解は彼しかわからないが一つの推測として、ネイルの持つ女性性と、私の持つ男性性との大きなギャップがあると考えられる。スキンフェードが入った頭に小柄だがそれなりに筋肉質な体つき、そこに存在した青く美しいネイルとの乖離に彼は混乱したのではないだろうか。

では、ネイルはなぜ「女性的」なのであろうか。ネイルの歴史は古く、古代エジプトまで遡るとされる。当時権威ある王やそのパートナーのみが爪を染める行為は許されず、爪先はその人の品位や地位を表すものとされていた。そこからギリシャ・ローマ時代の上流階級への流行を経て、19世代に一般に流行したとされている。

日本でも、中国から伝わった文化として指先や皮膚を染めていた歴史がある。当時は、化粧・メイクは呪術としての意味合いが強く、顔面や身体に赤の塗料で模様を描くというものだった。ここからは文献のない私の想像であるが、政治・軍事を担っていた男性に対して、宗教・呪術的な役割を果たしてきたのは女性であった。(全ての事例がそうではない。)この歴史から呪術に深く入り込んできた化粧或いはネイルといった文化が日本において女性を中心に親しまれてきたのではないかと考察する。

こうした歴史を通して、ネイル率いては化粧は女性的なものとなったと考える。しかしどうだろう、令和のどこに呪術を使う場面があるだろうか。私は虎杖悠仁ではない。(注:アニメ呪術廻戦の主人公)

何々は女性的、何々は男性的。この議論はよくジェンダーの分野においてよくみられる。私は親フェミニズムではあるが、ベル・フックスの「Feminism Is for Everybody」を読んだことがあるくらいでまだ学習が足りない。しかし「女性的なことを男性がしてはいけない」そんなことがないのは自明であり、時代に合わせてアップデートされるべきである。

以前の記事で記したように、「理解できないこと」と「理解できないから忌み蔑むこと」は異なる。ネイルだけではないだろう。男性のメイクに理解を示さない人も未だ一定数存在する。しかしそれは「ファッション」なのだ。歴史と強く結びつき男性性と女性性に分けられていたファッションも、今日の世界において、その区分は必要なのだろうか。

ファッションの自分の開放区だ。今こそ好きな服を着て、好きなメイクをし、好きなネイルができる。自分の開放区に他人を立ち入らせてはいけないし、無論立ち入ってはいけない。通りすがる誰かへの配慮によってより多くの人が好きなファッションを楽しむことができるのではないか。

だから私は言ってやるのだ。そんな「彼」に向かって。
「かわいいでしょ?」

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