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「頼山陽」を尋ねて、車と新幹線に路面電車で

・頼山陽記念館から、原爆ドームまでは西北に560メートル。「広島国際会議場」にはやや西に500メートル。文学フリマなどの催事が行われる「広島産業会館」には東南に1キロメートル。

(袋町)広島に(旧)日銀広島支店の横手に「頼山陽記念館」がある。頼山陽の『日本外史』を読む前に人物概要を知りたく行ってきた。

自動車専用道を35分、こだま発車まで6分、駐車場で、「急いでください。料金は帰りに清算可能です」推されてホームに向かう。妻はやはり歩く速度が遅い、切符も買わず、ホームへ、こんな時にエスカレータが動いていない。妻もひっし。いつもと変わらぬ「歩足」に、通過新幹線が通り過ぎた。後、7段。息を切らしてはいないが、発射ベルの音が出るまでに乗り込めた。(大いに反省)

新幹線こだまは空いていて、クレジットで清算。スマホでもできるのだろうか。

ようやく落ち着いた。と、思う内、もう横川(広島駅の手前)。もう降りる準備。新幹線の構内も改装中、本館は改造中、駅は新築中。通路がギザギザ、狭い構内だが、間違えて歩き返すのは難儀。広島電鉄に到着。今回の改装で、電車の軌道も変わり、駅舎の2階に移動するという。

電車待ちをすると、外国人の観光客が多い、平和都市Hiroshima。高齢者も散見するが、ビジネスマンも多い、しかも出張族も多そう。1本電車をやり過ごし、次の電車に、妻が座れた。

テナントは変わっているが、ほぼ代わり映えしない市内電車の街路。旧日銀広島支店前で下車。次の停留所は「白神社前」。あのブラタモリがやってきた。そこまで海(白神社ができた頃)だったという。なるほど。石垣がくすんでいた。

旧日銀広島支店の南側を歩いていくと、ネクストドアが「頼山陽史跡資料館」。被曝して破壊され、再建されているので、「長屋門」風だろうか、門をくぐると、「頼山陽居室」が再現されている。しばし、休憩を兼ねて余韻に浸る。

資料館は中央部奥にある。特集展「江戸の中国趣味(シノワズリ)」が開催されている。※シノワズリ=中国趣味の美術様式、というが、チンプンカンプンに等しい。

頼山陽『日本外史』について(略)

「頼山陽史跡資料館」を後にし、目的の料理店へ。おっと、かなり勘違いしている。探しても見当たらず、妻のお気に入りのカレー屋に。タリーズコーヒーを求めようとしたが、時計を見ると、ごくうの散歩時間に間に合わない。諦めて、電車で広島駅に向かう。

電車に乗ると大入り満員。妻が乗り込むと、二十歳くらいの男の子、妻に席を譲ると申し出、言われるままに妻は軽く礼をして座る。なんとスムーズなことよ。妻はもう十分「おばあさん」と認識されている。

目の前を見ると、外国人のカップル、一人一人はよく見るタイプ。組み合わせを不思議に感ずるが、荷物を引き寄せる気づかいを見せる。「ドンマイ」と日本語で。

次の停留所から若い女性が隣に立った。なんと「あのちゃん」だ。しかも、ハイクオリティ。終点に着くと、皆、歩きが早い。妻を気遣いながら降りる。

ホームに向かうが、「エレベーター?、歩き?」と聞くと、エレベータという。後ろから、子ずれの女性が友達と別れてエレベータに乗り込んできた。子供に比較して十分年齢を重ねているようだ。キビキビとするビヘイビアーに心地よい。同じことが新幹線を降りた駅でも出くわす。

新幹線を降りて、駐車場へ。駐車場の管理人は往路の新幹線間に合いましたかと、気づかい質問。自動車専用道から降りて、家路に。ごくうが散歩を待っている。

妻は歩き疲れてごくうの散歩をスキップ。ごくうはお構いなく、せっせと散歩を急ぐ。もう夕暮れ近い。頼山陽も漢文体の『日本外史』を書きながら、時折散歩をしたのだろうか。暮れ行く空を見ながら嘆息したかも。西の空にはうっすらと三日月が。頼山陽も月が出ると、祈ったのだろうか。※当夕は若い三日月で、日没後位に姿を現した。