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◆日記◆ シン・エヴァンゲリオン劇場版の感想(ネタバレあり)

※エヴァオタクの気持ち悪い一人語りです。早口です。
ネタバレをふんだんに含みますので、苦手な方はご注意ください。

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自分は旧エヴァが大好きで、今までで一番影響を受けたアニメだと思います。
テレビシリーズと、その続編である旧劇場版ですね。
新劇場版のシリーズは、追っかけながらも旧作と比べて物足りなさを感じていました。
旧エヴァには時代性、先進性もありますし、自分自身が過敏な感性を持った年齢であったこともあります。
なので、その衝撃には及ばないのは仕方ないまでも、新劇場版の完結編である「シン・エヴァンゲリオン劇場版」も十分に楽しめました。
この感想文は主に、旧作と新劇場版の比較ということになると思います。


■ストーリー展開と結末
ストーリーは旧劇場版と細かな違いはあっても、基本的には同じ展開だと感じました。
結末に至るまでのバトルや、人類補完計画を発動させたのがシンジではなくゲンドウだった、などの違いはあります。
計画通りに滅び・融合の道へと進み、そこでシンジ(とゲンドウ)に全ての選択が任される流れです。

人と接することへの恐怖・ディスコミュニケーションがエヴァのテーマの一つになっていると思っています。
それは恐らく旧作も新劇場版も変わりません。
どちらもディスコミュニケーションに対して、癒し、批判し、外に出て人と接して生きていこう、それしかできないよ、というようなメッセージ性を持っているのではないかと思います。

しかし、それに対するアプローチは違ってきているように感じました。
旧作は最後の「気持ち悪い」のセリフに表されるように「お前(俺)まだウジウジ悩んでるの?」と責めるような、自己批判のような姿勢。
新劇場版は、最後は大人になったシンジとマリが「行こう!」と手を取り合って、実写の街を走っていきます。
とてもポジティブで吹っ切れていて、更に言えばリア充です。
シンジの成長物語としては、これ以上ない完結の仕方と言えると思います。

ただ、自分は旧作の「ウジウジした弱いままの自分」に寄り添ったままでいてくれる感じに共感を覚えていました。
シンジや他のキャラクターの悩みへの共感が、エヴァの魅力の一つであったように思います。

新劇場版はシンジに追い抜かれ、置いてけぼりにされてしまった感じがあります。
「長年ウジウジして病んでいたシンジ君、前を向けて良かったね」と、他人事として見るなら祝福もできます。
しかし自分と照らし合わせてしまうと、リア充のシンジには共感できかねるのが本音です。
共感はできない。ただただ羨ましい。


■旧エヴァの続編としての新劇場版
旧エヴァありきの作品でもあると思いました。
なんせ、トウジ、ケンスケ、ヒカリが作中で重要な役割を持って活躍するのです。
このキャラクター達はテレビシリーズを見ているかどうかで、思い入れが変わってくるはずです。
ちゃんと旧作の流れを引き受けた続編としても楽しめると思いました。

明かされた設定や、キャラの新たな掘り下げがあったのも、旧作ファンとしては嬉しいですね。
渚カヲルと加持リョウジの関係性。
ゲンドウの過去と内面の掘り下げ。
「ダメです!」ばっかり言ってた伊吹マヤの「ダメって言うな!」も面白かったです。

従来のエヴァらしく、無防備なお色気シーンも結構ありました。
特にアスカはだいたい半裸ですし、謎アングルのグラビアみたいなカットも多々あります。
こういう露骨なカメラワークは、エロいおっさんの視点を再現してエロい視聴者のことを批評してるのかなと、やや強引に思い込むようにしています。
また、コミュニケーションの一種としての意味もあると思いますが、旧作ではセックスや性描写が盛り込まれていました。
新劇場版ではセックスはなく、その先の出産が強調して描かれているのが印象的でした。

それと、農業のシーンですね。
旧作での農業と言えば、加持リョウジのスイカ畑が思い出されます。
新劇場版では、がっつり田植えします。
命の育みという意味では、出産と同じような意味合いなのかもしれません。

スイカ畑は、スイカや他の種の動植物が滅びないように丁寧に保管する、ノアの箱舟的な感じで描かれてましたね。
最後までスイカを守ろうとした加持リョウジ。
ミサトよりもスイカを選んだ感もあったりして、うーん、博愛イケメン……なのかな。
息子さんは真っ直ぐに育ってくれているようですが、両親ともに放任してるのは問題だなと思ったり。
親子のディスコミュニケーションがこじれた結果が、ゲンドウとシンジなんじゃないの……。


■真希波・マリ・イラストリアス
マリについてはよくわからなかったです。
見落としてる情報があるのかもしれません。

ゲンドウやユイの先輩、冬月の同僚? みたいなシーンがありました。
たぶんカヲルやアスカのように、見た目変わらず歳を重ねてる普通の人間ではないキャラなのかなと思います。
シンジを迎えにきたりアスカの戦闘のフォローをしたり、やってることは白馬の王子様ですね。
立ち回りや登場は、渚カヲルとよく似ています。
最初からシンジに好意を持って近づいたり、自己紹介のシーンなど。

「イスカリオテのマリア」とも呼ばれていました。
「イスカリオテ」は十二使徒でキリストを裏切ったユダのことでしょう。
「マリア」は、キリストの母親である聖母マリアか、マグダラのマリアかなと。

マリは旧作にはいない、新劇場版から登場したキャラクターです。
新劇場版の結末を迎えるために、必要なキャラクターなのでしょう。
旧作でカヲルが滅びへシンジを導いたように、マリは復活へとシンジを導いたようにも思えます。


■黒いプラグスーツを着たアヤナミレイ(仮称)
とはいえシンジを再起に導いたキャラクターとして、黒いプラグスーツを着たアヤナミレイ、通称「黒レイ」の存在も見逃せません。
黒レイはトウジ、ケンスケ、ヒカリの住む集落で共に生活をし、農作業を手伝います。
生活する中で「おはよう、おやすみ、ありがとう、さよなら」などの挨拶を学んでいきます。
「かわいい、恥ずかしい、さびしい」など、感情も獲得していきます。
前半の主人公は黒レイと言っても差し支えないように思います。

黒レイはコミュニケーションを獲得し、死を覚悟しつつもシンジに対してコミュニケーションを図ります。
黒レイがシンジに対して使う言葉や行動はヒカリや集落の人々から学んだもので、それは相手への優しい「おまじない」の意味が含まれています。
コミュニケーションを放棄して引きこもるシンジに対して、母親のクローンである黒レイによる、無償の愛であり教育のようにも思えました。

そんなこんなで色んな人に支えられて、旧劇場版で最後までヘタレ続けていたシンジは、新劇場版では吹っ切って成長し、大人になり、リア充になったのかなと思います。
クキイイイイイイ!! 妬ましい!!


「そうだ、これも一つの世界。僕の中の可能性。
今の僕が僕そのものではない、色んな僕自身がありえるんだ。

父に、ありがとう
母に、さようなら
そして、全ての子供達(チルドレン)におめでとう」
(テレビシリーズの26話より)


テレビシリーズから新劇場版まで一貫してるメッセージは、
「いい年なんだし、ぼちぼち『子供』は卒業して大人になれや」ってことですよね、たぶん……。

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