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オムツを履いて約30年越しに矢野顕子さんに会いにいったとても長い話

矢野顕子さんのコンサートに行ってきた。

最後に見たのは父が連れていってくれた渋谷クアトロ、アンソニージャクソンさんがいらっしゃったことを記憶しているのでおそらく25年〜30年くらい前、中学生くらいだった気がする。

ちなみに私が初めて音楽コンサートを見たのはパットメセニー香港公演で、矢野顕子さんとメセニーがコラボしたアルバム「welcome back」に衝撃を受けた小学4年生くらい、矢野さんと同時にメセニーも好きになりすぎて父が連れていってくれたのだった。当時泣きながら毎日ピアノに座りクラシックのコンクールなどで戦っていた私が自分の意思でポップスミュージックを目指すきっかけになったアルバムが「welcome back」だった。この1曲目の「It's For You」が好きすぎて、クラシックの練習そっちのけでなんとか耳コピしようと奮闘していた。(今思うとポップスというよりかなりプログレなアルバムなのだけども。)

矢野さんの最新アルバム「君に会いたいんだ、とても」は宇宙飛行士の野口聡一さんが宇宙で書いた詩に矢野さんが曲をつけた作品で、私はこれを聴いたときに、「welcome back」を聴いたときと同じような電流が走った。矢野さんがめちゃくちゃ自由だ。いや、どの作品も矢野さんは自由なのだけど、この解き放たれたようなエネルギーは一体なんだ?となり、夢中で聴いた。

そして、行こうと思えば行けたはずなのに、好きすぎて見るのが怖いとどこかで思っていた矢野さんのライブに、約30年越し、ついに行くことにした。これを書いている今日だ。

これから公演を見る方のためにネタバレは避けつつの結論から先に言うと、矢野さんはマジで超絶魅力的で、当たり前みたいにスーパー現役そのもので、私が聴きたかった宇宙のアルバムの曲たちはもちろん、初披露の新曲たちが素晴らしすぎて、いわゆるサービス曲みたいなのはほぼゼロ(冒頭の某カバーはさすがに泣いたが)、本当に今の矢野さんのピチピチフレッシュ音楽が聴ける、ある意味ではめちゃくちゃガチファン向けのライブだったと思う。矢野さんは世界の矢野たる圧倒的才能をまさに宇宙のようにキラキラ爆発させながら、同時に小さなライブハウスでえへへと歌っているように無邪気に愛らしく、私はその振り幅に振り回されながら泣いたり笑ったり度肝を抜かれたりしながら、コンサート中に改めて彼女の音楽に何度も恋をしていた。

ところでみなさんも気になってるであろう(?)釣りタイトルのようなオムツの件。これは釣りでもなんでもなく、大事な話なので聞いて頂きたい。

私たち夫婦は数年前に愛するポールマッカートニーの東京ドーム公演にゆき、そこで謎の黒服外国人の男女二人に「Hey!君たちはポールが好きかい?」と聞かれ、「オフコーーース!!!」と答えたら、「OK、これはポールからのプレゼントだよ!」とチケットを渡され、2階のめちゃくちゃ後ろの座席から、ドームのアリーナ最前列の席にチケットを交換してもらえたことがある。これはポールの粋な計らいだったそうで、若くてイキの良さそうなカップルなどに声をかけていったらしい。

マジでこの距離

それにしてもスーパーラッキーなことで、舞い上がった私はビールをあおりまくり、いざコンサートが始まった瞬間、あろうことか尿意を催していた。ブラックバードのイントロ、ポールの足カウントが聴こえるようなマジの至近距離、こんな目の前にポールがいる、信じられない、こんなことは二度とないだろう、夢のよう、だけどおしっこは今にも漏れそう、という状態のまま2時間強を過ごした。

ポールは全然老けておらず、タフだった。こちとら今にも漏れそうなのにポールは公演中一度も水すら飲まない。もう漏れてもいい、おしっこを漏らしてでもポールのそばにいたいと思った。アンコールも少しも聴き逃したくないので精神崩壊ギリギリで我慢しきった。

そしてしっかり膀胱炎になった。後悔はない

しかし!私にとってはポールマッカートニーよりはるかに昔から影響を受けてきたゴッドマザー矢野顕子さんのライブで、再び尿意と闘うことだけは絶対に避けたかった。私は軽度のパニック障害持ちなので、緊張するとトイレに行きたくなる的なやつがかなりハードなレベルで起こる。なのでそもそも大きなコンサートや催し物にまず行かない。ゆえに前日から「尿意 コンサート 我慢」などで検索をし、バップフォーレディというのがいいらしいとわかったが、喉の乾きがかなり気になるらしく、コンサート会場では飲み物が飲めない場合もあるし、もし喉が乾いて咳き込んだら矢野さんの音楽の邪魔になる!とまた不安が襲いかかり、最終的にロキソニンを飲んでいると尿意が起こりづらいという医療的データにたどり着き、それに頼ることにしたがまだやっぱり不安だったので、最終手段としてオムツ(とてつもなく重い日の生理用ショーツ)を履くことにした。家を出る15分前に決めた。おしっこを漏らす前提でライブに行くなどしたら私の中の乙女が傷ついたりしないかと心配していたが、オムツをした瞬間、「ああもう無敵。私はおしっこを漏らしてでも矢野顕子さんの音楽を1%も聴き逃したくないという強い意思でコンサートに行く、それはたとえ漏らしても絶対に最高の体験だ!!!」と猛烈な勇気が湧いてきて、とっても可愛いワンピースとオムツに身を包んで大手町三井ホールへ向かった。もう怖いものは何もなかった。(それでも少し緊張はしていたのでワインを少しあおってから家を出た。)

一張羅とおむつを身に纏った私

会場につくなり可愛いグッズたちを購入。「ここにいる人たちはみんな矢野顕子さんが好きな人たち・・・!!!」と思うと全員に話しかけたくなり落ち着かない。ちなみに終演後には興奮しきっていたので喫煙所にたむろする全員に向かって「ねえ!今日ほんと最高でしたよね!!!」と大声で話しかけそうになったが「まもなく閉館でーす」の声に我に帰り踏みとどまった。

矢野さんの宇宙のライブは、本当に本当に言葉では到底尽くせない、最高に素晴らしかった。彼女が紡ぐ和音の響きの全てが泣ける、正直にグルーヴする歌のエネルギーは愛そのものだ。これが聴きたかった!!!と何度も身震いし、周りに気を遣いながらも頭と指先だけはどうしてもノリノリになってしまう。

いくつか初披露の新曲をやってくださり、興奮して思わず一人で小さく「イェア!」と叫んだが、それらがことごとく素晴らしく、何度も何度も嗚咽した。矢野さんは気を使って「新曲ばっかやってごめんね?」なんて笑ってたけど、矢野さんでもそんなこと気にするんだ、という気持ちと同時に、いやいやほんとにそういうライブを嗅ぎ分けて来た自分を褒めてやりたいという気持ちになった。だって私は、今の矢野さんが最高だと思ってコンサートに来たのだから。

昔の曲も全部好きだからそりゃあやってくれたら嬉しい。しかし彼女はやるたびにアレンジが変わるので、いわゆる「思い出泣き」をさせてくれるような音楽家ではない。メジャーなポップスミュージックというのは基本的にアレンジや崩しを嫌うもので、それはなぜかと言うと、時にそのアレンジが人々の思い出の邪魔になるからだ。その曲を好きで好きで聴き込んで節回しまでカラオケで真似しようとしてきた人たちは、その節回しをなるべくそのままで聴きたいし、音源通りのほうが思い出が再生されやすく、感情移入がしやすくなる。

かくいう私もメジャーデビュー後の地方で年配の方に「はなちゃんはCDと歌が毎回違うから・・」と少し残念そうに言われたことがある。本当に申し訳なかったけど、こればっかりは矢野さんの影響ではなく、私が単純に下手くそなのと、幼い頃から自分の気分で演奏やリズムが変わってしまうタイプだったことも大きい。幼少期はしっかりクラシックをやってるので楽譜通りでないと怒られるのだが、「今日はここを食いたい、ここに一音足したコードがいい、テンポをめっちゃ早くしたい」などなど、気分で演奏が変わるので「ナメとんのか」と本当によく怒られた。だけど、決められた通りにやらないといけない、と思うと、体がこわばって、それは私にとっての「たのしい音楽」にならなかった。

矢野さんが実際どういう感覚でああなったのかは私には分からないけど、矢野さんはたとえみんなが聴きたい「あの曲」をやるとしても、みんなが思い出に酔いしれて泣けるための演奏ではなく、その時の矢野さんがその曲を真摯に愛した結果のアレンジになるのだと思う。だから、ある意味、どの曲をやっても、新旧問わず矢野顕子さんでしかなくて、「どの曲をやってくれたからよかった」みたいな次元では全くないライブをし続けてるのだと思ったし、だからこそ私も見に行きたいと思ったのだ。

今日のコンサートはちょっとした機材トラブルなどもあり、おそらく多少なりとも「まじかよ」(と、漏らしてらっしゃった)と思って動揺したところもあったと思うのだけど、稀代の天才音楽家が機材トラブルによって予想外の剥き出しの状態で音楽を紡ぎ出していく瞬間を見れるなんて、とんでもない贅沢、正直ラッキーだとすら思った。

さっきまで矢野顕子さんがいたステージ

もうキリがないから一旦終わりにするけど、約30年越しにオムツをしてまで見に行った矢野顕子さんは、30年分の思い出の感傷に浸る隙間など一切与えない、圧倒的に「NOW」を体現する音楽家だった。なので私は思い出が満たされたとかそういうセンチなことを全部吹っ飛ばして、単に矢野顕子さんに再び恋してしまったのだ。ここまで夢中で書いていてすでに忘れていたがオムツの勇気と安心感によるものなのかロキソニン効果なのか分からないが尿意なんてどこ吹く風、余裕のよっちゃん、いやアッコちゃんだった。ひとつトラウマを克服した気持ち。

ちなみに次公演の八ヶ岳ロッヂは父母が幼少期に何度か連れていってくれただいだいだい大好きな思い出の場所。これ以上ない組み合わせだと思ったが、なんせ宿泊費を含めるとなかなかのお値段で、これはさすがに厳しいか・・と思っていたところに江戸川区民ホールの情報が来た。これだ!絶対行く!!!

https://edogawa-bunkacenter.jp/sp/calendar/2024/09/056951.html

同じ人のライブに何度も行くなんてもう10代のジュディマリ以降なかったのに、今ふたたび私は矢野さんの来日公演はなるべく全部行きたい、やのとあがつまも見たい、全部見たい、となってしまっている。彼女が「今」を音楽にする魔法を、見れるうちに見ておきたいのだ。

ちなみにもうひと方、どうしても死ぬまでに見たいと思ってチケットを取ろうと思っているのが大貫妙子さん。大貫さんも私の超ルーツで、大貫さんの歌声は私にとってタイムトラベルのような作用がある。まさに、「タイムトラベルは、たのし♪」。だから矢野さんが「音楽はおくりもの」で大貫さんのことを歌ったときも「横顔」をお二人で歌ったバージョンも、好きなものが同じ空間にぎゅっとありすぎて死ぬかと思った。

子供のときから好きな女の人たちが今も元気に生きて才能バキバキのままステージに立ち続けてくれていること、それを当たり前だなんて思えないくらいには私も歳を取った。だからこそ思い切って矢野さんのライブに行けるようになったのだと思うと、歳をとるのは素晴らしいことだし、これからもまだまだ続く音楽人生の道すがら大天才たちの生の音に触れることで、私は私の音楽をこの先も続けていけると思った。あんなにも圧倒的な才能を目の前で見てしまったのに、不思議なくらい全然落ち込んでない。ポールのときもそうだった。比べたって仕方ないのだ。とことんのオリジナルをやってる人の音楽に触れるとそう感じる。私も少なからずそのつもりでやっている。なので、明日のつるうちはなと家族のライブが、とっても楽しみだ!

と、最後にちゃんと自分の告知もする。ほっほっほ。だってアタイも音楽家だからね!いっちょやったるで〜〜!!!


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