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「農耕なキス」って、どんなキスなのだ

「モテ子が心がけている男子との会話のコツ5つ」とか「彼からずっと愛される女子の特徴8選」なんて恋愛コラムの広告が流れてくると、ついつい読み耽り、関連記事を漁ってしまうクチだ。

そうした記事で描かれる世の愛され彼女たちは一様に性格がよく、また並外れた努力を持続する力にも長けていて、圧倒された私は敗北感が高まるあまりゲラゲラ笑い転げたり、こんな素敵女子を彼女に持つ男性っていったいどんな果報者だよとちょっとムカついたりして、そんな一連の感情に翻弄されたことによる疲労を洗い流すためにとりあえずビールを飲んでしまう。


そこで自分も頑張ろう!と思えるか否かが、きっとモテる人とそうでない人の違いなんだろう。

そう虚しく思う一方で、そんな血の滲むような努力をしてまでモテたいかと言われればそうでもないわな、とすでに諦めの境地に達している。
「愛され続ける女子」としてあげられている特徴は、どのサイトでもほとんど同じだ。

・素直
・明るい
・束縛しすぎない
・優しい
・料理上手
・恋人を批判しない
・かわいさを保つ努力をする
・浮気しない
・聞き上手
・恥じらいを忘れない
・教養がある

……そりゃあモテるでしょうよ。愛するほかないでしょうよ、こんな子。そもそもこんなに男性にとって都合がいい女の子なんて、ほんとにいるんかい!というのが率直なところ。
性根の悪さがそこはかとなく滲み出ている(らしい)私には、ほど遠い女性像である。

こうした「モテ」を意識した恋愛記事の広告は、私が女であり25歳であり近頃暇さえあればインドの恋愛映画を検索してばかりいるから流れてきているのだろうか。
私が世間的に恋愛真っ盛りとされる妙齢の女であるということと、インド的ご都合主義なハッピー感に浸りたいという精神的疲労を嗅ぎつけた敵から
「ほらほら、読んでごらん。あんたは女として超劣っているぜ」
とそっと囁かれているようで、平時に読んでもムッとするし、気が滅入っている時にこうした記事が目に留まろうものならスマホをぶん投げてしまいたいくらいにイライラする。
それでもつい次から次へと記事を読んで負の感情を募らせていってしまうのは、こうした記事を嗤いきれない私の弱さにも原因があるような気がする。

恋愛コラムの特に気にくわない点は、見た目以上に性格面に重きを置いているところだ。
「愛され女子になるために」的恋愛コラムでは「外見よりも結局は性格!」と謳っていることが多い、ように思う。

けれど、実感として外見と性格とは完全に切り離すことは不可能だし、この歳になるまで付き合ってきたおかげである程度の諦めがついている容姿に対して、性格なんてすでにほとんど完成しているものを今更変えろと言われても、絶望しか感じない。

「素直な子はモテるのかぁ、いいなー」

「常に明るくいるべきなのか、無理だなー」

と、もとより素直でも明るくもなくかわいげのかけらもない私は、指をくわえて彼女たちの恋愛成功体験を読むしかないのだ。

ああムカつく。しかもイラつきながら読んでいるせいか、やたらと誤字が目に留まる。

「農耕なキスを仕掛けてみましょう」

だって。どんなキスだよ。仕掛けられた方もいい迷惑だ。
田舎っぺカップルが畑でイチャつく牧歌的な光景がつい目に浮かんでしまう。
スクショし損ねたが「イチャイチャしたい」が「チャイチャイしたい」になっていたり、「男はスケペな生き物です」なんて吹き出してしまう誤字も見かけたことがある。
そんな誤字をいちいち見つけては「わっはっは!ざまあ味噌漬け!」と嗤う自分のねじ曲がった性格に絶望する一方で、校正の大切さをしみじみと感じてもいる。
そういえばウェブ媒体の誤字に対しては「間違えてやんの!やーい」と揶揄したくなるのに、書籍になるとお宝を発見したような気持ちになるのはなんでだろう。

もちろんそれは他社の本の話で、自分が編集を担当した本に関してはお宝どころではなく、見つけた瞬間鈍器でぶん殴られたようなショックに打ちのめされてしまうのだけれど。

とかなんとか関連ページを漂流していたら、「恋愛、就活、見た目、コミュニケーション、家族……。
コンプレックスをテーマにしたエッセイを自由に書いてください。〜中略〜エッセイが採用された方には、クオカード1,000円分を進呈いたします」という投稿サイトに漂着した。
現金な私は「1000円と引き換えに提供できるコンプレックスってなんだ?」ともらえる金額から提供できるコンプレックスを探し始めた。コンプレックスは無数にあるものの、1000円分といわれるとけっこう難しい。

1000円とは、

バイトの時給と同じくらい
ちょっといいランチ一食
米2kg
リサイクルショップで100円の服を買うなら、10着分

に当たる金額である。

「私のコンプレックスを聞いてくんろ!」と鼻息荒く一万円級の劣等感をさらけ出したら他のエッセイからかなり浮くだろうし、かといって自己保身に走りすぎれば採用すらされないだろう。塩梅が、肝心である。

どのようなものを書けばクオカードがもらえるのかは他の掲載者がどのようなことを書いているのかを読めばいいだけなのだが、私はどうしても自分の思う「1000円分のコンプレックス」の濃度が世間一般とズレていないかを知りたかった。
結局3日間悩んで、「ラッパを吹いてる顔がバナナマンの日村に見える」と中学の時に同じパートだった男子に言われたことを書くことにした。彼の言葉に衝撃を受けて思わずラッパを吹きながらトイレに入り鏡を見たら、頰を膨らませてラッパを構えた私は、本当にバナナマン日村に酷似していた。「めっちゃ似てるね!」と興奮して彼にも言ったし、大学に入って「似てると言われる芸能人はいるか?」的な話を振られたら私は必ず日村の話をした。そしていまだに、日村としての自覚を胸に秘めながらトランペットを吹いている。そのくらい私に強い影響を及ぼした出来事だった。
彼に似ていると言われても正直まったく嬉しくはないが、私はバナナマン日村がけっこう好きだ。
彼のようにおもしろいことを言えないことを恥じている節もある。
ああおそるべき、日村・コンプレックス。もはや日村に似るべきか似ざるべきか、私にはわからない。
そしてこれを機に、コンプレックスに値段をつけるのが趣味になりつつある。

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