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最後の晩餐は、願わくばウニ丼

どういういきさつだったのかはとんと思い出せないのだけれど、小学四年生の夏休みに祖母と二人で北海道旅行をした。
張り切った両親は、特別お小遣いとして一万円札を持たせてくれた。
当時月のお小遣いが400円で、お年玉だってほぼ千円、三千円ももらえたら超ラッキーだった私にとっては破格の棚ぼた。あまりの尊さに目がくらみそうで、宝箱として使っていた綺麗なお菓子の缶に大切にしまった。

この諭吉さえいれば、いつもは友だちからお土産をもらってばかりの自分が、ついにお土産をあげる側に回れる。
休み明けに友だちからお揃いのキーホルダーやお菓子をもらうことは嬉しかったけれど、自分だけがもらってばかりいることに気が咎めていた私は、この旅行で何か素敵なものを見つけて友だちに買えることを心待ちにしていた。

そんな両親からの一万円札が丁重に宝箱にしまわれたままだと気づいたときには、私は祖母とともに機上の人になっていた。
財宝がぎっしり詰まった葛籠だと信じて握り締めていた財布は、ほぼ空っぽに等しかった。

……終わった。
あまりのショックで頭が真っ白になる。
うっかり度合い的には財布を持たずに買い物に出るサザエさんとそう変わらない。
旅行中一万円は立て替えようと祖母が申し出てくれたものの、自分のことをそこそこにしっかり者だと信じこんでいた私はなかなか立ち直れなかった。

北海道に着いて意外と日差しが強いことを心配した祖母が帽子を買ってくれようとしたが、私は「一万円を忘れたバカな人間なんて、じりじり日に焼かれるのがお似合いだよ……」的な面倒くさいしょげ方で拒絶した。
結局忍耐強い祖母の説得を受け入れるような形で、しぶしぶ帽子を買ってもらった。

そんな感じで、旅行の前半はこってりふてくされていた記憶がある。
日本最北端の稚内にある謎の三角の塔(宗谷岬の「日本最北端の地の碑」)に行ったときも、アイヌの資料館に入場料を払うときも、どこかに展示されていたクリオネを見たときも、友だちへのお土産にクリオネとクマのマグネット(各380円)とハマナスの栞(210円)を祖母から借りた一万円で買ったときも、うっかり浮かれかけてはおめおめ喜んでなるものかと気を引き締めていた。
いまだに土産の値段が頭に残っているあたりが、一万円を忘れた無念の激しさを物語っている。

そんな私と、祖母は何を話していたのだろう。
いまでこそある程度は共通の話題がある私たちだけれど、当時どんな話をしていたのかはまったく思い出せない。
あのころ私が興味をもっていたのは、クラスの友だちや飼っている猫や亀、「マテバシイより椎の実の方がおいしい」といった校庭の幸に関する情報くらいだったような気がする。

私の不機嫌さは、どのくらい表に出ていたのだろう。
祖母に怒られたり悲しまれたりしたらきっと覚えていると思うのだけれど、そんな記憶は皆無なのだ。
けれど、「楽しくないふりなんて、してる場合じゃない」とハッとした瞬間のことははっきりと覚えている。

その日の昼食、祖母はウニ丼、私はイクラ丼を食べていた。
祖母は一口交換しようと提案して、自分のどんぶりを私の前に置いた。ひと匙ウニを口にした私は、愕然とした。
祖母がおいしそうに食べていたウニが、少しもおいしいと思えなかったのである。
容赦なく鼻を覆うむんとした風味とありえないほどの磯の香り。
大人になればあれこそがウニの本領だと思えるけれど、子どもにとっては衝撃以外のなにものでもなかった。

おばあちゃんにとっては、これがおいしいんだ。
へらへら上っていけると思い込んでいた大人の階段にその高さを見せつけられて戦慄した私は、すぐさま祖母にどんぶりを返した。
そして、ウニを食べる祖母を観察した。
大切そうに、そうっとウニを木の匙で掬う祖母の手と、その手に刻まれた皺。
それを向かいから見つめていたら突如「この人は、私よりも先に死んでしまうのだ」という思いがさあっと胸に広がった。
さっきまでウニのことだけを考えていたのに、思考の振れ幅がすごい。
絶望と諦念がわっと押し寄せてきたものの、それをそのまま祖母に伝えることはできない。こんなことを考えているなんて、悟られたくない。
どんぶりにわさびは入っていないのに鼻の奥がツンとして、祖母の手から目をそらして目の前のキラキラしたイクラをなるたけ潰さずに口に運ぼうと一生懸命になっているふりをしたこと、「もしこの旅行が祖母の最後の旅行になってしまったら、私はぶすっとしていたことをずっと後悔するだろう」と思ったことを、なぜか鮮明に覚えている。
ウニはおいしいとは思えなかったけれど少しだけ大人になったような、張り詰めていた肩肘がちょっとゆるんだような、妙な感覚だった。

そんな旅行から、約20年が経った。
最近祖母と電話をすると、彼女は「自分はもう、いつお迎えがきてもおかしくない」と頻繁に口にするようになった。92歳、弱気になるお年頃。
話題を変えるのもわざとらしいので、近頃は「そうだとしたら、最後の晩餐は何がいい?」と尋ねている。
そうすると祖母の声が、あからさまに弾むのだ。

「あそこで食べた寿司か、あの店の鰻。ドイツの黒パンも好き。でもやっぱり最後は……」といつも丹念に熟考するのだけれど、何度かに一度の割合で「北海道で食べたウニ丼」が挙がる。
私にとって特別だった北海道旅行は、祖母にとってもときどき特別になる。
祖母が最後の晩餐にウニ丼を定めるたび、私は身もだえするような後悔と恥ずかしさと、なんだか無性に誇らしさを感じたりする。

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