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モン族のチキンスープ Vol.2

オーガニックな地鶏は早朝に

前回の投稿の続きです。

モン族のお母さんに託されたモン族のハーブと自分で地鶏を買って
自宅でモン族のチキンスープを作ります。

今回の記事は自然のグロテスクな写真や描写がありますので、
苦手な方はどうぞご遠慮ください。
ただ、それが私が体験した”生きる”ということなので、ここに体験記録として残そうと思いました。

まずは地鶏を手に入れること。
地鶏は普通のマーケットではなく地域の路上朝市で、その時来ていた小さい規模の農家さん(自宅の庭で育ったものを一部販売もしている人たち)を見つけて買います。そんな農家さんは自宅で飼っている地鶏を日も昇らないうちに絞め、羽をむしり取り、冷蔵庫などに入れる暇もなくそのまま朝市に売りに来ます。朝市が始まるのが朝4時ごろ。
先ほど絞めた地鶏は一羽ずつビニール袋に入れて販売されます。大きさによって値段が違いますが、大体120バーツから150バーツです。

朝4時ごろに始まる朝市では、地鶏の数が少ないこともあり、あっという間に買われていきます。モン族でなくても、結構年配の方達は今でも地鶏料理を好む方がいらっしゃるので、とにかく売れるらしいです。冷蔵庫も氷もない路上で売られるので、新鮮なまま買いたいお客さんたちのため、早々となくなってしまうのです。

朝6時の朝市。もう人がまばらで、店じまいしているところが多いんです。

私はそんなことを知らず、うっかり朝6時すぎに到着してしまったら、なんともう地鶏を売っている売り子さんたちはいませんでした。

あった!

ところが、諦めかけていたところ、一人のおばあちゃんが地鶏を3羽まだ販売しているのを発見!
このおばあちゃんは、地鶏を持ってきていたにもかかわらず、他の野菜を買うお客さんが立て続けに来てしまい、ついうっかり持ってきた地鶏を並べるの忘れてしまっていたそう。それで今この6時頃でもまだ残っていたというわけです。普段であれば、もう売り切れている時間だと。
私にとってはラッキーでした。150バーツの1羽を購入して無事帰宅しました。

さっきまで生きていた生き物

今朝数時間前まで生きていた地鶏。なんとなく調理する準備が整うまで冷蔵庫に入れておくことにしました。
私のパートナーは用事のため外出し、
自宅には私一人。
さて、調理を始めようかと、地鶏を冷蔵庫から取り出しました。

絞められて、羽をむしられた状態だけの地鶏は、
前回モン族のお母さんのところで調理したマーケットで購入した普通の鶏とは違いずっしりとしていました。そしてだら〜んとしたからだ。

マーケットで販売されてるものは、冷蔵庫・冷凍庫にかなり長い時間保存され、しっかりと固くなっていました。

地鶏は黒いので、顔の部分、足の部分、むしり取られた黒い羽の根っこがまだ皮に残っているのがよく見えます。

かなりグロテスクです。

一瞬怯んだものの、「いつも食べている鶏肉の元の姿よ!」と自分に言い聞かせ、まずは内臓の処理です。

下腹部の切り目から、自身の手を突っ込んで内臓を取り出す感覚は、
今までに体験したことのない感覚作業でした。

一回目は「ヒェ..!!」と声が出てしまいました。

正直いうと、泣きそうです。
誰もいないシーンとした家のキッチン。外から鳥の鳴き声だけが聞こえてきて、すごく心細くなりました。

泣きそうになったのは、悲しいからではなく、コンクリートの四角い無機質な建物の箱の中で、こんな”生”の感覚とのギャップがとても怖くなったと言ったような感じでした。

これが、もっと解放的な土の地面や木や空に近い環境だったら違った印象だったと思いました。

そして大まかに取り出した食べられる内臓をトレーに、
食べない内臓や血の塊、膜、脂身はビニール袋に入れて捨てる準備をし、

トレーに置いた地鶏とその内臓を写真に撮り、
モン族のお母さんに送り、そして電話しました。

臆病者で情けないのですが、
不安で誰かに確認する、、というか生きている人の声が聞きたくなってしまったんです。

すぐに笑いながら電話に出てくれたモン族のお母さんの声にほっとし、
それ以降、一つ一つの作業をこなすたびに写真を撮り、電話で確認しながら地鶏を扱う工程を進ませました。
頭、脚、手羽を切り落とします。

頭の部分では、まずくちばしを剥ぎます。くちばしは上下とも二重になっていて、一枚剥ぐと柔らかい部分が出るので、硬い一枚目だけを捨てます。そして頭蓋骨を外し、脳みそは食べるのでそのまま残します。

この頭の作業、私にとってほとんど苦痛に近い感覚でした。だって、そこに真一文字にグッと瞑った目があるんです。

そして脚。タイ料理・中華料理でもよく鶏の足はスープとなって出てきますが、それでもグロテスクだと思って今まで一度しか(中国で)食べなかった私です。地鶏の足は黒くて、さらに主張が強いのです。
準備としては、脚の爪を全部切ってあげます。

不思議なことに、普段から鶏のレバーが好きなので、レバーの生の状態には何も感じませんでした。”見慣れたもの”と”見慣れないもの”に対する私たちの恐怖心の差はものすごいものです。

皮に残った羽の根っこをできるだけ取り除き、
全体的に流水でよく洗い、塩を使ってさらに洗います。特に内側は念入りに。それがスープにした時の香りに影響します。

そして、お腹にモン族のハーブを詰め込みます。

鍋に残りのハーブと、鶏の本体と部位を入れ、白胡椒と黒胡椒を砕いていて、塩を振り掛けてから水を入れて火にかけました。

この工程、モン族のお母さんのとは違います。
お母さんは沸騰した湯の中に鶏やハーブを入れていました。

自分でもなぜこんなふうにしてしまったのか、混乱したのか、鉄製の鍋でスロークックをしたいと思ってしまったのです。

沸騰したらアクを取り、
水分が蒸発したら、水を足し、蓋をして
また沸騰させる、
を繰り返しました。

新鮮な地鶏を調理する時は、普通の鶏よりも時間をかけて!
と聞いていたのを思い出したからです。

最後に、ちょっとの塩とほんのちょっとのナンプラーで味の調整をして写真を撮りました。

モン族のお母さんは「とっても美味しそう!」言ってくれました。

”美味しい”味?

調理後は、なんだか変な感覚です。
疲れたような、ちょっと達成感があるような、
手にはまだあのだらんとした地鶏を持ち上げた感覚と、
内臓をとりだした感覚、硬い爪やくちばし、頭蓋骨を扱った感覚が鮮明に残っています。

それぞれ全て異なった触感覚です。

この日はたまたまパートナーの帰りが遅く、
夜8時ごろに一人でこのチキンスープを食べることしました。

手羽と骨付きもも肉をひとつずつ小さなボウルによそっていただきました。

美味しいのかな?ハーブの味がとてもよく感じられ、美味しく、
じゃぁ地鶏は?というと…なんだかピンときませんでした。
こんな体験をしたからでしょうか、「うん、多分美味しい」というぼやっとしたものが率直な感想でした。

そしてそのボウルによそった少しのチキンスープで、お腹がいっぱいと感じました。

それから食後しばらく経った後の、自分の吐く息の臭さにびっくりしました。スープの香りも、鶏肉の香りも全く”臭い”とは感じなかったのですが、
自分の吐く息から、とても野生的な”獣”の匂いがするのです。それは私の胃から上がってきている匂いだということだと思いました。普段の自分の吐く息からは全く感じられない種類の匂いでした。

夜遅く、お腹を空かせて帰ってきたパートナーは、この私が作ったチキンスープを大喜びで食べて、美味しい、美味しいと、言っていました。
控えめな塩気が鶏肉の味とハーブの味のバランスをちょうどよく引き立てていて、バランスのいい味が美味しい、と。

2本の脚もぺろっと、鶏の頭も首も大喜びで食べてしまいました。

そんな姿を見ながら、私はちょっと申し訳ないというか、悲しい気持ちになって告白をしたのです。

「正直にいうと、自分で捌こうが、調理しようが、やっぱり鶏の脚は食べたいと思えない。一度は食べたことがあるけれど、それが美味しいという感覚にはなれないの。鶏の頭、脳みそもそう。前々回日本に行った時に初めて焼き鳥の”スナギモ”や”ハツ”というものが鶏の内臓部分だと知り、それを紹介してくれた大好きな友人と食べてみたのだけれど、美味しいと思えなかった。まずいとも思わなかったけれど。。やっぱり食べなくていいかなぁ。」

するとパートナーが教えてくれました。

「美味しいってさ、いろんな種類があると思うんだよね。
自分の好みに合う味の美味しさ。
人間の好みに合わせて人工的に作られた美味しさだったり。
この鶏の脚、頭、脳みそ、内臓の場合、そのものの味というより、今朝まで自由に生きていた生き物一羽の命をもらった味だと理解してる。よっぽど毒があるとか、劇的に苦い・渋いとかいう場合以外は、できるだけ無駄に捨てたくないんだ。どれもみんな生命を持っていたものの味だから”美味しい”んだよ。本来は、僕たちが生きるために他の命をいただくという自然の厳しさであり美しさかな。こういうものをいただくときって、他の余計なものはいらなくて、すぐにお腹いっぱいになるよ。」

私は泣きそうになりました。そういうことか..。そういうことだよね。

この時、私はモン族のお母さんが、あの日の前日、料理の準備の話をした時に実は「チキンスープ以外は何もいらない。もうそれだけでお腹いっぱいになるよ。」と言っていたのを思い出しました。それなのに、私は勝手にオムレツだのみんなが楽しめるように他の料理を良かれと思って作ってしまったのです。

命を味わう。

この日の食後の洗い物の後は、普段よりもさらに念入りにキッチンを綺麗にしました。そしていつもの習慣でお線香を炊いたのです。命を送り出し、自分が生かされている感謝の気持ちを込めて。

翌日、残りのスープを食べる前に再び火にかけて温め直しました。
まず最初に気がついたのは、昨日スープが煮立った時の香りと、今日のスープが煮立った香りが全く違ったことです。

香りが断然まろやかに鍋の中の全てが混じり合ったものでした。

透明なガラスの器に入れてみると、

なんでしょう…。私の目には美しく見えました。

普段プレートの上で”彩り”を考えて作る美しさではなく、

ハーブから出た色、鶏肉から出た色、鶏肉から染み出した油の粒、
なんか、それだけで美しかったんです。

翌日のチキンスープ

前日一人で食べた時には、ショックでか味が分からず、
「今後、鶏肉食べられるかな?またベジタリアンに戻るかな?」とも考えていたのですが、

翌日のチキンスープは、
びっくりするハーモニーの”美味しい”味でした。

このひと鍋のチキンスープを食べ終わる頃に、モン族の出産後の伝統の食べ方の話になり、

「もしもこの話を知ってて私が出産してたら、このスープを毎日30日間作ってくれてた?」と聞いてみると、

「いや、絶対作らない。どちらかというとKFC(ケンタッキー)でしょ!」

と言われました。(笑)確かに私にとってその方が現実味があります。
どちらにせよ、30日間毎食の鶏一羽は難しいです。

多くのモン族は山を降りて街で生活し(もしくは行き来しながら)、普段はタイ料理も食べています。山の環境、生活環境・習慣、働き方、食べ物、気候すらも変わってきています。

それでも、この伝統は実際このモン族のお母さん夫婦もしてきたことだし、モン族であれば今でも山はもちろん、街でも各家族に受け継がれています。

ここからは私の勝手な考えなのですが、
彼らがこの伝統を続けているのは、”生きる”サイクルを家族で、コミュニティで生活の中に認識できるよう伝統として受け継ぎながら実体験しているのかな、と。

全て食べ終わった夜、私はモン族のお母さんに電話をしました。

美味しかったよー!


お母さんは、
「またいつでもモン族のハーブをあげるからとりにおいで。遠慮は無用」
と言ってくれました。

うん、遠慮しないけど
もう少し今回の体験の咀嚼が必要です。

今度また自分で鶏を捌きたいと思った時、
もしかしたら次は生きている鶏を選ぶところからもちゃんと知りたいと思うかもしれない自分がいます。もしくは、もう充分と思うかも。。

今の世の中、ほとんど何でも簡単に手に入りますよね。地域によっては食べ物ももちろん、情報なんていとも簡単に手に入り、それでなんでも知った気になっています。
それは決して理解したのとは違うんだ、ということを再確認したお料理教室でした。


ただ単に情報として知っていることと、
実際に体験して理解することは
雲泥の差です。言葉や文字、映像だけで伝えるには限界があります。
体験すると身体にも心にもその感覚が記憶されます。
そしてその感覚を受けて、必ず自分なりの考え・意見が出てくると思うのです。それが他人にとって正しかろうが、間違っていようが、その時の自分の正直な感覚は自分には正しいのです。

こんな体験を子供の時からできていたら、
牛や豚は物理的に大きくて難しくても、
魚や鶏などを捌くことを家庭や学校で体験できたら、
いろいろな意見があるかと思いますが、
私は、その命をいただくという実体験は

グロテスクだろうが、怖かろうが、

ポジティブな体験だと捉えています。

トラウマになるような経験にはならないと思うんです。
そこに人間の悪意がなければ。自然な恐怖心は健全です。

世界の全く文化の違う国々4カ国で学び、仕事をして暮らしてきましたが、
人間は見た目は綺麗だろうが、中身はちゃんとグロテスクです。
生き物ですから。
共に生きて、食わないと、”ちゃんと”生きていけません。

前回の記事に書いた、モン族のお母さんの鬱の義理の弟さん。
私が出会った頃は、口下手でも、バリバリとタイ社会の中で働いていました。それがいつからか引きこもるようになってしまいました。
兄であるお母さんのパートナーさんから気持ちを聞いたことがあります。

「生きていてくれるだけでいい。こんな世の中だしね。他人を傷つけることはしてないのはありがたい。ただ彼自身が傷ついている。強制はできないけど、生きていてくれたら嬉しい。」

お母さんの家でチキンスープを作った日、
義理の弟さんも、義理のお母さんも、私たちのテーブルから、私の作った料理を食べてくれたこと、「ありがとう」。

生きるって、食べること。
私の作ったものを信頼して食べてくれて嬉しい。

毒入れないけど。でも、そういうことだと思います。

超超長文にお付き合いくださりありがとうございました。
私の体験から、ちょっとでも何かを感じ取っていただけたら幸いです。

お疲れ様でした。

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