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揺れるカラッポに惑わされず猫みたくしなやかに生きてたい

vol.79【ワタシノ子育てノセカイ

どんどん失敗すればどんどん成長する。間違えるから改められるんだ。

失敗が不安で恥ずかしくて、尻込みするかもしれないけど、人間はだいたいそうやって、自分のことだけ考えてる。失敗しても誰もたいして気にしないし、そもそもじきに忘れちゃう。

自分を忘れる誰かのために、自分を隠すなんてもったいない。一歩踏み出せ、自らを貶めるな、自分をちゃんと表現するんだ。



ところで私には「実子誘拐」で6年間離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。

新学期。次男ジロウは6年生になった。

2022年くらいからジロウと私は下校中に、車中や母宅でほそぼそと親子の時間をつむいでいる。だけど3月に乗車禁止令↓↓がでたらしく、以降の見通しが立たぬまま4月に入り、気づけば5月に。

とはいえ春休みに公開交流できたので、親子で話す機会はあった。だけど交流の意図はいとこ会。母子だけでなく、いとこ同士も分断状態なので、子どもたちで過ごす貴重な時間を奪うわけにもいかない。今後の母子の日常について、腰を据えて話す時間はつくれなかった。

なのでジロウと私の問題への共通認識はあいまい。ジロウは乗車禁止令に従うらしく、下校時の密会を我慢するという。いとこ会など、公開交流が必須となる時間を確実に担保したいみたいだ。

①穏便に済ませたい>②特別な日を楽しみたい>③母に会いたい、がジロウの序列らしい。①~③の未達成を想定して「避けたい状況」ほど上位となる。

つまり私はジロウのストレス要因ではないんだろう。母に会いたい③の希望が未達成でも、いまや日常に変化は起きない。なので②が未達成するような、残念さを感じて傷つかなくてすむんだ。喜ばしい反面、ジロウの複雑な心が見え隠れする。

リターンを得るにはリスクがいるが、リスクに変化はつきもので、変化を避けたいのが人間らしさともいう。悩ましい。

あいまいなりに対策できた①②の一方で、7年目となる基礎課題③についてはクリアならずで新学期へ。とりあえず、ジロウがやってくる日を、母が自宅で待つことになっている。

だけどジロウはやってこない。

ところでジロウは5年生の3学期に、学校から帰宅すれば母宅へ好きなように行ってよい、と勅命を受けているらしい。しかも同時期に、タロウのお下がりのキッズ携帯が壊れて、GPSによる位置確認からも解放されたそう。

だけどジロウはほとんど遊びにこず、でも母に会えなくなる不安をもつ。平日の夕方2時間くらい、やりたい放題なのに、どうしてジロウは母に会いにいかないのか。

理由は単純。ジロウは7年以上、親という自分のアイデンティティを、搾取され、否定され、消去されて育っているから。自分の一部を失ったままの生活が当たり前なので、安心感は育ちにくい。

また、人間は不安感を消すために、表面の欲求を満たして自己防衛をしがちになる。

ジロウのケースだと、会えない不安を会わない選択で解消する捻じれを起こす。「母宅へ好きなように行ってよい」という自由そうな勅命は、自然な状態に対する制限を解放しただけ。しかも制限の解放には「~すれば会わせない」という親の責任を子に負わせる条件がある。結局、自由なんてないんだ。

不安を抱えているほど、耳ざわりのよい言葉に心を奪われやすい。事実を容易に曲げて、世界をどんどん歪めていく。

合理性のない行動制限は、いじめとか虐待とかDVとかで、シンプルに差別だ。

3月から増えゆく質問がある。「まどかさんが親権をもてば、どう対応すればいいですか?」。潔い差別発言の連続にもう苦笑い。

単独親権制度が126年かけて捻じらせてきた日本社会が、法改正によって浮き彫りとなってきたんだろう。一方でこの類の質問は、未来予想が容易となりありがたい。

法改正後、単独親権の親子は高圧力で差別されると思う。

共同親権を選べるのに共同親権じゃないから。特に実子誘拐による別居親は、今より強大な差別圧がかかるはず。法改正により合法的に誘拐できるようになるので、子と引き離された親は今よりいっそう罪人扱いされるんだ。

日本の常識は単独親権制度のうえに、改正案も単独親権制度のまま。つまり親権者が子の支配者じゃないといけないんだ。

なのでたとえば、すでに非親権者となっている親は、共同親権の回復手続きをして当然と世間は考える。現行制度と同じく、親なら親権がないとおかしい、となるので上述の差別質問がするりとでてくるんだ。

今法案を私なりにシンプルに解説すると、親が「親権者の称号」を得られる法といえる。中身のない印籠をもらえて、運がよければ蓋が開いて中身を詰められる感じ。

法改正しようがしまいが、まどかという人間は変わらない。だけど世間は私への対応を変えたいらしい。

差別が起きるときはいつだって、中身のない入れ物という「属性」に重きを置くときなんだな。

今のところ、私は親権を欲していない。なぜなら私はもとより、差別される人間ではないから。

差別する側が差別しなくてすむように、差別されている私が、差別されない権利をなんで得ないといけないのか。たとえばDV加害者が日常生活を送れるのに、なんで被害者が逃げて日常を脅かされないといけないのか。

加害側が加害できない社会、つまり差別できない社会にすればいいだけ。「差別があるから権利を正そう」と思えても「差別されないために権利を欲しい」と私は考えたことがなかった。

差別の法制化がまずもって謎めくし、差別されない権利は差別する権利だもの。そもそも日本国憲法の下でなんで差別ができるんだ?

あぁ、社会はほんとうに矛盾の世界だ。

ジロウと音信不通となった3週間後の4月22日月曜日。車を走らせ、いつもの集合場所でジロウを待つ。

黄色い帽子が山裾に見え始め、駆け足のジロウが現れた。私に近づくにつれて走る速度が上がる。3月に2回「車に乗ったらあかんから歩いて帰る」と同じ意見したジロウが、ランドセルを後部座席に放り込んで助手席にちょこん。

ほらやっぱり。
でもチクショウ。

2週間早く、迎えにいけた。失った子育て時間を、自ら消した気になった。ジロウの会わない選択が会えない不安、と私はわかってたやんか。社会からの差別に惑わされるな。自信を持て。どんな差別を受けようと、子育てをあきらめず、母子で歩いてきたやんか。

母宅での密会は和やかに終盤へ。今後について、ジロウが自分の意見をまとめる。

車に乗らんと、お母ちゃんちに帰って、友達と遊んだりして、晩ご飯を食べてから、お父ちゃんちに帰るんがいいわ。

「僕のお家はふたつだから、プリントを2枚ください」と4年生のジロウが学校の先生にお願いしたことを思い出した。お家がふたつあるジロウが続ける。

機嫌のいい時に聞くほうがいいから、聞けたらタロウのLINEで知らせるわ。明日も会いにきてええで。

翌日の火曜日「聞けなかった」とジロウは教えてくれた。いつ聞けるかわからないからと、月一で密会するプランBを立て、5月に会う日を予備日含めて決めて、結果が出ればLINEする旨も改めて伝えてくれた。そしてジロウは「明日はもう会いに来んでええで」と穏やかな目で去っていった。

4日後の土曜日は参観日で、学校にてジロウと再会。

教室の後ろに掲示されていた自己紹介のプリントに「ほしいものベスト3」の項目があった。ジロウの第1位はサインボールで、第2位は猫。ジロウは10歳くらいから野球が好きで、猫は物心ついたころから好きなんだ。

そんなジロウのほしいもの第3位は、好きなものではなく「家」だった。

入れ物がほしいのか、中身がほしいのか。



2020年9月ジロウ8歳
念願の猫カフェへ
タロウは涙しながら母とクシャミ祭

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