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春なんて、うまくいくはずないんだから



 入居審査に落ちてしまった。

 私の人生、うまくいったことなどそうない。これくらい想定内だ。私は常に自分を取り巻くあらゆることが、"うまくいかない"と思って生きている。

 最近あたたかい日が増えてきた。目に入ってくる緑。瑞々しさを帯びた太陽。アスファルトからくる僅かな照り返し。痩せたカラダ。乾いた貯金。


 春にはあまりいい思い出がない。
 記憶のほとんどを私は美化しないところがある。

 入居審査に落ちてしまった。

 大事なことなので2回言った。

 数ヶ月前から交際を始めた彼女と同棲を始めるべく、最近2人で物件探しに奮闘していた。
 お互いに譲れないところがあったり、妥協できるところがあったり。部屋は狭くてもいいから、駅から近くて綺麗なところがよかった。
 可能な家賃の範囲内で、できるだけ良いところに住みたいと思うのが人間だろう。私たちも同様である。


 話は少し逸れるが、私は彼女の笑顔が大好きだ。

 8年ぶりの恋人だった。彼女が笑うから、私は頑張れることがたくさんあった。両手で彼女の笑顔を包み込み、眺めていると、あまりの幸せに意識が飛んでいきそうな時がある。齢30を越えて、まさか私にこんなにも美しく、愛おしい人ができるなんて思ってもいなかった。なぜなら私はずっと、うまくいくと思って人生を生きていなかったからだ。


 不動産屋さんに初めて二人で向かった時、なんだかピクニックに行くような気持ちだった。繋いだ手をぶんぶんと振り「ここが私たちの街になるかもしれないんだね」と彼女が言うから、私はいつもの想像をしながら「そうだね」と笑った。

 もともと調べておいた二人の希望する物件が空いていたから、いくつか内見もした。私たちが選んでいた物件はどれも新築だった。

 いくつか回った中で、お互いに一番良いと思う物件が見つかった。エントランスから綺麗で、新築だから当然かもしれないが、とにかくあらゆる設備が最新だった。彼女がそれを見てどう思っていたかはわからないが、私たちにはもったいないくらい甘美に見えた。とはいえ私も彼女も、ここに決まったらいいなと思っていただろう。

 そして申し込みをし、ほんの数日後だった。




「〇〇様。審査結果は、ご期待に沿えない結果となりました」


 なんと淋しい文章だろう。

 不動産屋さんで対応をしてくれたのは若いお兄さんだった。明るくて、楽しそうで「審査全然通ると思いますよ!」なんて言っていたけれど、うまくいかないとわかった時、人は大抵おごそかだ。(お兄さんはわるくない)

 だたまあ。うんうん。想定内想定内。全然落ち込んでなんていない。彼女とも「1回目から希望するところにいけるなんてこと少ないみたいだよ」なんて話をしていたから。

 彼女は落ち込んでいた。けれど、私にそんな素振りを見せないようにしていたと思う。ただ「決まったらよかったよね」と思うのは私も同じだった。 


 ・・・・


 翌週、私たちはまた改めて同じ不動産屋のお兄さんのところに行った。

 もう一度私たちの方でも事前に調べ直し、希望する物件の資料を従えて向かった。


 だがどの物件も埋まっていた。

 色々全部駄目でも、ここだったら空いているだろうというところも埋まっていた。代替案としてお兄さんが提案してくれる部屋はどれも、最初に希望していた条件から大きく外れるものばかりだった。

「最初にあの物件見てしまうと、難しいですよね…」とお兄さんも苦い顔をしていた。別に高望みをしていたつもりはないのだけれど、結果高望みだったのだろう。

 いくつも、いくつも物件を眺めていて。ただもうどれかに決めるしかないのだろうけれど、二人とも「住みたい」と思えるようなところはどこもなかった。お兄さんも言葉では言わないけれど、もうこの中から決めるしかないですよと言わんばかりな表情にも見えた。そんな時だった。



「たった今、こんなところが空き出ましたね」


 ぺらっと、一枚。

 物件情報の紙が私たちの前に差し出させる。

 建物はだいぶ古かったが、リノベーションが入った物件で、家賃も希望範囲内だった。

 二人で顔を見合わせ、やっとの思いで「良さそうじゃない?」と言葉が重なった。彼女には内緒だけれど、この時私の目の奥で、じんわりとした水滴を感じていた。


 内見にも行き、二人の感触はよかった。

 最初に思っていた条件とはまた違ったけれど、物件をたくさん見たことによって、妥協できるところも緩やかに増えた。建物が古い分、家賃が安く、部屋が広かった。"部屋は狭くてもいい"なんて最初は二人して思っていたけれど、キッチンも広く、彼女の表情はほころんでいたように見えた。

 ここに住めたらどれほど——と思ったところで私はいつもの想像をしていた。そんな、、うまくいくはずがない。


 学校も仕事も、家族だってうまくいったことがない。"うまくいく"というのは、自分が想像していたハードルを越えられた時に私は思うわけで、とはいえほとんど最悪の状況みたいなことを考えている私にとって、結果越えたところで「なんか無事でよかった」くらいの感想しか出てこない。よくよく考えたらこんなこと、誰でもできていることじゃないかと思い、"うまくいかなかったこと"として気づけば私は処理していた。


 受験は失敗した。仕事も続いたことがない。何度も退職した。家族は幼少期バラバラになった。思えばほとんど春だった。

 平凡未満な人生を、このまま歩んでいくのだと思っていた。うつ病とパニック障害を10年前診断され、無職も何度も経験したが、なんとか立ち上がり、転び、這っては歩み、立ち上がりを繰り返してきた。

 立ち上がるきっかけは何も不屈の精神があったわけではない。金銭的な危機が迫ると人間は防衛本能が働くのだろう。がむしゃらに立ち上がるのだ。


 今勤務している会社も、どうにか這いつくばってたどり着いたところだった。どんな形でもいいから生き続けたい、それだけだった。

 そんな私に数ヶ月前、ふわりとした羽が天から手に収まるようにして、恋人ができた。

 うつ病になってからは、もう私なんかに恋人ができるはずがない。友人だって、もうひとっこひとりいない。どこに私に好かれる要素があるのだろう。そもそも誰かを好きになる、愛する資格もないと思っていた。


 思っていたのに、気づけば私は彼女に夢中だった。


 うまくいかないと思っても、心が止まらなかった。本当に好きだった。お付き合いを始める前から、彼女は無意識だろうが私の心を誰よりも包んでくれた。

 天真爛漫で、誰にでも優しくて、誰にでも愛されるような人だった。だから、勘違いしてしまった。私はあなたと一緒に過ごしたいと伝えてしまいそうだった。

 弱い私に優しくしてくれた。無理しなくていいと言った。どうしてそんなに下をいつも向いているの?と言った。前を向いたら、こんなに綺麗なのにと言って笑った。私のことを「優しい」と言ってくれた。誰のことも悪く言わない人だった。私の心と体に抱えているあらゆるコンプレックスを彼女は一度たりとも嘲笑ったりしない。しまいには、どうして悪く言う必要があるの?今まであなたのこと悪く言った人がいるの?信じられないと言った。こんなにあなたは綺麗なのにと言った。強くなくていいと言ってくれた。強くいれると私が言えば、その背中だってあたたかく押してくれた。

 この文章を書いているだけで、私の目の奥がまたじんわりとおかしくなってしまいそうだ。

 私が何度も「好き」を伝えた。

 うまくいかないと思っても、何度も伝えた。そうして私の勘違いは、勘違いではなくなった。



 彼女と一緒に過ごしたい。

 あなたと暮らしたら、お互いのよくないところも出てくるかもしれない。理解し合えないところも。

 数ヶ月後、やっぱり、と言って彼女はどこかに行ってしまうかもしれない。だっていつもそんなことばかり考えてしまうから。でも、でも——それでもいいからこの瞬間、私は彼女と一緒にいたかった。一緒に住みたかった。うまくいくはずがない、なんて今はどうでもいい。愛しているから。

 二人が「住みたい」と思えた物件。

 ここが私たちの求めていた、待ってくれていた物件だ、場所だ、街だとすら思った。


 すぐに申し込みをし、審査をしてもらった。

 そうして数日後——





「無事全ての審査通過いたしました!」



 そのメッセージを受けて、私は仕事を終えた後、彼女にすぐに電話をした。やった!やったね!一緒に住めるね!と言って私たちは笑った。どれほど、これはどれほどの幸福だろうと思った。

 電話を終え、私は帰りの電車に乗った。たまたま空いた席に腰をおろす。身体はまだ熱かった。なんだか溢れてきてしまいそうだったから、私は両手で顔を覆った。

 うまくいかない想定を常にしているのは、うまくいかなかったことに対する感情の落差を抑えるためだった。うまくいく、つまり期待をすれば、それにそぐわなかった時、苦しいだけだろう。そもそも期待を越えてくることなどまずないのだから。卵を割って、二つの黄身が出てくることなんてない。

 一番の希望が通ったことなど、人生で一度だってあっただろうか。受験も仕事も駄目だった。それでも人生を歩んできたわけだった。ただ今思えば、うまくいかなかったということは、もっと別に色鮮やかな道が残されていたとも考えられる。


 いつになく前向きな自分がこわい。

 とはいえ文章を続けてみる。



 受験は失敗した。とはいえ高校にだって大学にだって入れた。

 仕事は失敗した。とはいえ今も会社員として働けている。

 よかったじゃないか。

 十分じゃないか。

 もううまくいかない想像はやめにしたい。
 いや、多分またしてしまうのだろうけれど、愛する人のこととなれば、それは私の人生だけではない。

 人生全てが希望通りにいくはずないと思うのは悲観的かもしれないが、あらゆる選択肢を想像できるとも捉えられるだろう。春はそんな場面がきっと多い。



 正直に、真面目に生きていれば、うまくいかなくたって、道は続いていく。数年後、入居審査に通ったことを"うまくいかなかったこと"として私が処理していないといいと願う。

 来週、物件の契約をしてくる予定だ。

 ちょうど桜が開花する頃合いだろう。

 ただもしかすると雨が降ったりするかもしれない。別にそれでもいいか。春なんて、うまくいくはずないんだから。


 詩旅つむぎ

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