見出し画像

拝啓10年前うつ病だった私へ。今の私を見てどう思いますか?


 初めてうつ病になったのは、およそ10年前。

 新卒で入った会社で、仕事量に押しつぶされ、責任に疲弊し、罵詈雑言を身体中で浴びたのち、私は目を血走らせながら家の玄関で倒れ込んでいた。


 家にたどり着けた時はまだよかった。

 私は帰りの道でよく座り込んでしまった。あと5分歩けば自分の家に帰れるというのに。

 帰る理由がわからなくなってしまうのだ。帰って何をする。ひとりで何をしたらいい。シャワーを適当に浴びて、コンビニの弁当をもそもそと食べて、そうして横になるだけではないか。
 それができれば御の字だ。玄関で倒れ込み、体を痛めながら夜中の2時頃に目が覚める。そうしてまた這いつくばるようにしてベッドまで辿り着き、気を失っていた。

 苦しかった。あの頃は気持ちを言語化する余裕すらなく、ただ単純に毎日が怖かった。


 仕事を終えて一刻も早く会社から出たい、逃げ出したいのに、家に帰りたくはなかった。

 1日が長かった。あてもなく夜風を浴びながら、涙をつーっと走らせることが哀しみを帯びた死に近い快感だった。途中、人通りのあるところで座り込んでしまう時もあった。松屋で牛丼を食べながら、数分気絶してしまったこともあった。

 そんな中、ある日の出勤時、私はアスファルトの上に倒れ込んでいた。苦しくて、手足が痺れて。

 怖くて、もう何か楽しみを持って生きることなど一生できないと本気で思っていた。救急車で運ばれ、病院でよくわからない管が繋がれていた。のちに精神科で、うつ病とパニック障害の診断を受けた。

「うつ病」という病気、言葉を少し鼻で笑っていた私は当時、怖かったのだ。まさか自分がなるなんて。自分がなってしまうなんて。松屋で牛丼を食べている時ですら、思いたくなかったのである。


  ・・・


「○○さん!これどうする?」

 あれからおよそ10年経った今、私はなんてことない会社員として生きている。あらゆる部署と関わりを持ちながら、仕事をこなすというよりは、仕事にしがみつき、なんとか走りきろうという気概の日々だ。

「次の案件はこれでさ」
「あとでもこの案件はこの準備が必要で…」
「この前の報告書は——」
「見積り早く出さないとまずいんじゃない!?」

 毎日があっという間に終わる。

 電車に乗り込み、家に帰り、シャワーを浴び、ご飯を食べる。そうして眠くなった私は、すやすやとあたたかい布団の中で眠る。あの頃と布団は変わっていないというのに。どうしてこんなにも寝心地が違うのだろう。むしろ10年も使っているのだからそろそろ冷静に買い替え時かもしれない。ただ本当に、あたたかいのだ。

 私は意を決して今の会社の面接を受け、試用期間を経て無事私は正社員になった。

 あらゆる仕事を同時に進め、責任も多い。それでもやっていけている自分を、ふと客観視すると不思議な感じがする。

 何か大きなきっかけがあったわけでもない。誰かの言葉に心打たれて再起したわけでもない。病院に通い、薬を飲み、治療に専念していたわけでもない。

 気づいたら、今だったのだ。あんなに日々泣いていたのに。苦しかったのに、怖かったのに。時間は沈み、味を持たせ、深みが心に起きた。


 私は今自分に言ってやりたい。

「よく働いているな」と。


 途方もなく長かったあの頃の「1日」を今でも思い出す。


 帰りたくなかった。

 苦しかった。怖かった。

 うつ病になってから休職もした。無職も何度も経験した。お金がなくて、病気などと言ってられなくなり、体と心に鞭を撃って転職した。

 でも続かなかった。

 続かないことがわかっていても、お金の為に就活を繰り返すしかなかった。嘘を面接で並べ、自分を偽り、強い自分を演じた。採用されたとしても、そんなものは数週間でいつも砕け散った。正社員として働く力も、能力もなくなった私はフリーターになった。

 アルバイトは楽だと思う人もいるかもしれないが、とんでもない。どんな仕事だって責任があると私は思う。苦しくて、つらくて、楽しみを見出すことなんてできなかった。それでいて給料は当然少ない。くたくたに毎日なっているのに、手取りは月10万円そこそこ。朝と昼はごはんを食べない。欲を捨てた。捨てたというより、忘れるようにした。友人も恋人もいない。家族とも関わらない。そんな生活が10年続いていた。


 ・・・


 今の私は、仕事をする能力がいっぺんに向上したわけでもなく、うつ病が完全に治ったわけでもない。今でも仕事が大変で、頭の中が真っ白になったり、くたくたになって、道で座り込んでしまいたくなる時もある。電車に乗っていたら急に汗が止まらなくなって、途中駅で降りるしかない時もある。ベッドに横になって、電源が落ちたみたいに動けなくなる時もある。

 私はうつ病を、パニック障害を治そうと思って日々を過ごしたことはほとんどない。休職をしていた時も、無職の時も、べッドで横になったまま動けなかったとしても、必死に生きていた。

 お金がなくて、誰にも頼れなくて。病気のことは診断された後、ほとんど忘れていたのかもしれない。生きるしかなかったから。でも怖かった。生きるのが怖いと思うのは、生き続けたいと思っている緩やかな証明だと思う。


 今も誰かに誇れるほど、私はよくできた人間ではない。

 収入は今、ちょうど新卒の頃と同じくらいになった。「やっとここまでの給料に戻ってこれた」とか「10年も経ったのに変わってないのか」とも思わない。私は確かに歩んできたから。その歩みを、うつ病になったあの頃から1年経った後も5年経った後も、今でも、認めている。

 あの頃と変わらず、よく失敗もすれば、恥ずかしながらよく泣いてしまう。こうして文章を書いていると、またうつ病が深刻になる不安に駆られたりもする。それでも私はまた、生きるしかないと思うだろう。

 うつ病になって、私はここに成功例を記したいわけではない。もっと言えば、「うつ病」という病(やまい)に、完治はないと個人的には思うし、"結果"というのもない。ほとんどが"過程"とともに生き続けるものだろう。

 本音を言えば、明日だって会社に行くのが怖い。それでも私は会社に行く。

 10年経って、突然変異したみたいに私の姿や心が変わったわけではない。ずっと私のままだ。ただいろいろなことを経験した。経験する必要のあったこともあれば、必要なかったこともあるだろう。いままでがあったから、こうして文章を書くことができる。時間が粛々と流れ、私は日々を生き、働いている。


 ・
 ・
 ・


 拝啓 10年前うつ病になった私へ

 今の私を見てどう思いますか?


 あまり成長していなくて悲しいですか?それとも、働けていることに驚いていますか?

 もし、今の私から10年前の私に手紙を書けるとしたら、





「ありがとう」


 そう書きたい。

 どんなに怖く、苦しかったとしても、生きていて、生き続けてくれてありがとうと伝えたい。

 うつ病を治す何か画期的な方法を私は知らないが、少なくとも毎日、昨日の自分に感謝を伝え続けたいと思う。

 昨日の自分が今日の自分を作っている!なんて、そこまで力強い言葉を綴りたいわけではない。ただ昨日の自分に感謝できたら、今日の自分も大事にできるだろう。

 たまには今度自分へのご褒美に、美味しい珈琲でも飲みに行こうかな。夜風が涙を撫で、今宵も麗しい。なんと潤沢で、分相応な日々であろうか。


 詩旅つむぎ

この記事が参加している募集

スキしてみて

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?