大切な人に言葉を届けることができる人、とは。
「頑張るとは、ちょっと無理をすることです。」
中学2,3年生の担任が、学年集会にて体育座りする私たちの前で放った言葉だ。
どんな文脈で「頑張る」を説いてくれたのか、まるで記憶がない。
寧ろ、私は誰かに言われて印象的だった言葉など全くと言っていいほどない。(ただし、悪口を除いては。)
唯一覚えているこの言葉。
なぜこの言葉が記憶に色濃く残っているのか?
それは、担任の存在そのものが、
どこかで私の支えになっているからだろう。
*
3月の半ば、私は日帰り手術を行った際に過呼吸になってしまった。
それをきっかけに、その週末に再び過呼吸に見舞われることになった。
憶測に過ぎないけど、パニック障害に近しい様子だと思う。
どうにかしなきゃと思うほど、過呼吸が止まらないのだ。
過呼吸になった瞬間、当時の記憶がフラッシュバックする。
私は中学生のとき、過呼吸持ちだった。
*
特段いじめられることもなく、友達も十分にいた。
だが、嫌われることを恐れ酷く人の目を気にしていた私は、よく死にたがっていた。
今でも非常に仲の良い友人と、窓掃除をしながら「死にたい」と言い合ったのは数少ない当時の記憶だ。
(二人ともなんとか生きていて、よくやったね)
こんな様子だから、精神不安定もいいところ。
ある日の放課後、仲が良かった数名に無視をされた。原因に思い当たる節はないし、その日だけだったので、今思うと子供の気まぐれだったのだろう。
その日の帰り、私は道端で泣き崩れながら、腕に刃物を当て、大声で泣き喚いた。
通りがかりの人が心配し、私が道端で泣いていることを学校に連絡してくれたのだろう。
これでもかというほどの涙をアスファルトに落としながら俯いていた私は、気づけば学校の先生たちに囲まれていた。
周囲に意識がいった瞬間、私は一目散にその場から離れ、家に帰った。
母曰く、その後は学校の先生が家に押し寄せたそうだ。
校長や教頭までいたらしい。
何があったのか、先生たちは母に問うた。
近所の大人が私を発見したことを考えると、学校側が慌ててそのような対応をとることは当然だろう。
その中で唯一人が静観していた。
それが、担任だった。
担任の先生は私を見守ってくれた。
何も言わず、信頼してくれていた。
大人になった今だから思う。
何もしないほど、強いことはないと。
私は先生に詳細や胸の内を明かしたのかは覚えていない。
嫌な記憶は出てこない仕組みになっているんだろうね、そういった類のことだけは綺麗に記憶から抜け落ちている。
卒業してから数年後。弟の授業参観のために中学校に訪れた際、卒業ぶりに担任に会った。
こんにちは、と声をかけると、元気?と聞いてくれる。
元気ですよと返事をすると、
あの時は大変だったんだからと眉をひそめて笑う先生。
すごく、すごく優しい表情だった。
先生のあの顔を忘れることができない。
担任と他の生徒より仲が良かったわけでもないし、連絡先を知っているわけでもない。
でもなぜか、今の私が先生のところに泣きつきに向かったら、先生は私を受け止めてくれると思ってしまう。
泣く私に、どうしたのかと聞くことなく、私が泣き止むまで隣にいてくれるのだと思う。
それで、お前なら大丈夫だと言わんばかりの目で私を見てくれるのだと思う。
集会で先生の言葉を聞いてからこれまでずっと、
頑張るぞ!と踏ん張るとき、
頑張れ!と誰かを応援するとき、
先生からもらった「頑張る」の定義が頭をよぎる。
先生は、私に「頑張る」を授けてくれた。
先生の定義が秀逸だったからではない。
先生が先生自身で一所懸命に私と対峙してくれたかだら。
*
「誰かに言われた大切な言葉」をテーマに書きました。
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