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「大好き」は一緒にいる理由になりますか?

「あんたの優しさとか愛って、結局薄いなぁって感じ
自分のこと大好きなんだろうな〜」

これは、私が好きな友人から送られた一文。

このメッセージを見たとき、
ほんの少し嬉しかった。

ああ、私ちゃんと自分のこと好きだなって。
好きになれてるなって、思えたんだ。

彼女のことは大好きだけど、私が許せないラインを超えてきたのはもうこれで3回目だった。
もう一緒にいるのは「無理」だった。
難しいなどではなく、無理だった。

私はフットワークが軽い分、知り合う人の数も多い。
だが、私の時間と気持ちは有限なので、全員と仲を深めることは難しい。
だから、
「サシで2回ご飯に行き、この人にしかない魅力を感じたら、それ以降も付き合う」というルールがある。

こんな具合に「入りのルール」があるので、
反対に「出のルール」もいくつかある。

連絡不精が過ぎて予定を円滑に決めることができない人、
遅刻やドタキャンが多い人、
(だいたいこの2つはセットのことが多い)
愚痴不平不満か噂話しばかりの人、
何も頑張っていなく他責思考で話がすすむ人、
といった具合である。


そして、冒頭の言葉を私に投げた友人は前半2つを備えており、
私はちょうど一年前に彼女から離れる決意をし、やんわりその雰囲気を醸した。
けれども彼女は何を考えているのやら、数ヶ月したら再び私の元に戻ってきた。
思えば、何も考えていなかったのかもしれない。

彼女はよく彼女の知人友人に私のことを紹介したがった。態度を見る限り、ずいぶん私のことを好いてくれているように感じていた。

何より、私が彼女のことをとても好きだった。
彼女にしかない面白さや感性に、彼女のとても「変」なところに惹かれていた。

彼女の唯一無二性が、私の「出のルール」の効力を凌駕したのだ。

そんなこともあり、時々違和感は感じつつも
変わらずご飯に行って話しまくったり、お泊まりしたり、イベントに行ったりなど楽しい時間を共有していた。


少し遡り、2月末の夜のこと。
用事が終わり、私から彼女にに今から飲まないかと連絡したところ
紹介したい同期と飲んでるから合流しよう!とのこと。
私は新しい人との出会いはどんな形であれ好きなので、ありがたく誘いに乗った。

はじめまして同士が5人集まる飲み会など、当然他愛も無い話ししかしなかったが、その日は楽しくお酒を飲みたい気分だったため問題なく楽しかった記憶がある。

ただひとつを除いて。

友人が、その飲みの場で私の過去の恋愛を勝手に口にした。

その恋愛は、私にとって史上最悪の終わりを迎え、去年はずいぶんそれで落ち込んだ。
彼女はあたしが落ち込んでいる様子を知っているうえで、一瞬の飲み会のネタとしてそれを消費したのだ。
彼女の軽薄さ、想像力の欠陥具合に対して1秒にも満たないあいだ、脳がショートした。

私がその恋愛が終わりを迎えたとき、どんなに身が焼ける思いをしたか。
過去に戻れるなら、感情を憎んで海の底から出てこれなくなった私を強く強く抱きしめ、泣いていいよと声をかけてあげたい。当然私は喉が千切れるまで大泣きするだろう。
(美談にしすぎるのも良くないので、過去の恋愛が終焉を迎える契機は完全に私にあり、過ちを犯した後悔によるしんどさだったんですけど。と補足)

それほど辛かった過去をさらっと言われるもんだから、もちろんやるせない思いは募る。
だが、彼女は私の中の特例級の面白みを持っていたので、そのことについては飲み込んだ。

そして、先月末。
彼女はまたしても、私の苦労話を飲み会の話題として出した。
それを知った瞬間、彼女に連絡をした。
もうあなたとは会えない、と。

憤りを感じたが、私は知っているのだ、
怒りの元に眠る感情を。

悲しかった。

大好きな友人に思いやりがない行動をされたことが、ただ悲しかった。
傷ついた。私のこと、そんな風に扱うんだね、って。


今後の人生において、彼女と何かを共有する気になれないことを
わざわざ伝えるものか迷ったが、
去年何も言わずに離れようとした結果が今なので、今回ははっきり伝えた。

好きだった分、はっきりと何が嫌だったか伝えた。

もちろん彼女は反発した。
ごめんねの文章の至る所にトゲトゲが隠され、
私は彼女を傷つけたのだな、と思った。
彼女は傷ついたから、せめてもの防御として毒を仕込んだ。

これにより、私は正しさと優しさについて深く考えることになったのだけど、その話は追々しよう。

何度かやりとりした末に送られてきたのがこれだ。

「あんたの優しさとか愛って、結局薄いなぁって感じ
自分のこと大好きなんだろうな〜」


好きな人にこんなこと言われることは、これまでの人生でなかった。


好きな人にこう言われて、私が最初に思ったこと、

自分のこと、大好きだよ。
自分のことを大好きになれるように努力したから!
それで、あなたのことも、大好きだよ。



2020年にある出会いを経て、私の人生の指針が生まれた。
「自分を大切にすることが、周りの人を大切にすることにつながる」
と。

それから、たくさんの時間と気持ちをかけて私を大切にすることに懸けた。
道のりは短くなかったけど、やっと自分と周囲を同時に大切にできるようになってきた。
(今でも苦戦するけど、難しいと思うことがより具体になっているので、成長したと感じる。)


そして、私は、みんなの幸せを心から願ってるよ、本当に。
これを読んでくれているあなたも、健やかな気持ちで過ごしていてくれたら、とっても嬉しいんだ。この気持ちに全くの偽りはない。

でも、確かにね、願うだけなら簡単だよね。
時間や体験、感情を通して幸せを思いやることができるのは、私の手の届く範囲の人だけだ。
「みんな」という気持ちと「手の届く範囲」の現実の乖離を見れば、彼女の言う通り、確かに「浅い」かもしれない。

けれども、彼女とのやりとりに心が疲弊している最中に
大好きな人に私の一部を否定されても、
私は自分の優しさや愛に胸を張ることができたんだ!!!

この体験はすごく喜ばしいものだった。

大好きな彼女は、最後に、
私の優しさや愛に大きな自信をもたらしてくれた。


たくさん一緒に楽しい思い出を作ってくれてありがとう。
大好きだよ。
雷雨や台風の先には虹があるから!大丈夫。
あなたの前に葵い空がめいいっぱい広がり続けていますように。


春は好きじゃない。
緊張や別れが多い。

「最近怒ったこと」をテーマに書きました。

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