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芥川龍之介『煙草と悪魔』から考える、耳への種の収納方法

 朝の通勤電車、運よく座席に腰を下ろすことができた。昨日の睡眠不足を解消しようかと思ったが、次の駅でおばあさんが乗ってきたので、勇気を出して席を譲る。物珍しそうに筆者を観察しながら、「ありがとうねえ。優しい子だねえ」と目を細め、「お礼にこれをどうぞ」と筆者の手のひらに「何かの植物の種」を乗せた。

 突如として見知らぬおばあさんから「何かの植物の種」をもらった筆者。その場で振り払うわけにもいかず、かといって適切な入れ物を持っている訳でもなく、電車内で誰しもが持て余すであろう「何かの植物の種」を収納する場所について、目的駅に到着するまで考えることにした。

 ティッシュで包もうと考えたが、生憎、持ち合わせていない。代わりにハンカチは持っているが、よく分からない「何かの植物の種」を包むのも少し怖い。しかしだからと言ってこのまま手に持っておくのも何だか奇妙である。

 そういえば、大学生のときにふと手に取った芥川龍之介の『煙草と悪魔』に登場する悪魔は、西洋から日本に来る際に耳の穴に種を入れて上陸した、との記載があった気がする。記憶違いではないことを示すために、本文を下記に引用してみると、

悪魔は、いろいろ思案した末に、先園芸でもやつて、暇をつぶさうと考へた。それには、西洋を出る時から、種々雑多な植物の種を、耳の穴の中へ入れて持つてゐる。

底本「現代日本文学大系43芥川龍之介集」筑摩書房/1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行

 とある。ということは、人間の耳であっても、もしかすると種を収納するベストなスポットがあるのかもしれないと、閃いた。

 そこで「耳の構造」で検索してみる。すると、我々が「耳」と認識しているこの箇所、つまり顔の外に張り付いている部分を「耳介(じかい)」というそうだ。

 その「耳介」を細かく分類していくと、上から「耳輪(じりん)」、上の方の耳のうねうねとした箇所を「対耳輪上脚(ついじりんじょうきゃく)」、下のうねうねを「対耳輪下脚(ついじりんかきゃく)」、耳掃除をする際に綿棒、乃至は耳かきを挿入する入り口を「耳甲介(じこうかい)」と呼ぶらしい。

 もし今、相手の耳を観察しても問題のない関係性の人物が近くにいるのであれば、「耳甲介」を凝視してほしい。想像以上に「何かの植物の種」を置いておくのにベストなサイズ感であることが分かるだろう。程よく空洞がありつつも、適度な高さが存在しているのだ。

 他者の耳を見ることができない方々のために、すごくざっくりとした大きさを計測してみると、縦横高さ、それぞれに1cm角ほどの正方形を収納できそうなイメージ、お分りいただけるだろうか。

 いや、一度呼吸をしてよく考えてほしい。我々人類はすでに、1cm角ほどの正方形を耳に挿入した経験がある人間が半数を占めてはいないだろうか。そう、イヤホンだ。ワイヤレスイヤホンなどはその最たる例であるが、現在耳に詰め込んでいるワイヤレスイヤホンの代わりに、先ほどおばあさんから頂戴した「何かの植物の種」をそっと「耳甲介」内に置き、何食わぬ顔で乗車を続ければいいのだろうか、筆者は。

 と、ここで、先ほどの『煙草と悪魔』に話を戻すが、作中に登場する悪魔はどの部分に種を収納し、日本に上陸したのだろうか。「悪魔の耳」に関する記載は、上述の箇所を除くと下記の一箇所がある。

悪魔は、とうとう、数日の中に、畑打ちを完をはつて、耳の中の種を、その畦うねに播まいた。

「耳の中に種」との表記があるものの、詳細な場所の指定や、保存方法に関する記載はない。それならば、どの悪魔の、どの耳であれば、いとも簡単に種を収納可能かどうか下記にて考察する。

 全ては筆者の想像に過ぎず、実際の悪魔に会ったことのある方や、もしくは悪魔ご本人様がこの文章を目にした際に、的外れな考察である可能性が大いにありうるが、どうかご容赦いただきたい。願わくば、そっとお問い合わせフォームにて、正しい耳への収納方法をご教示いただけると幸甚に存ずる。

メフィストフェレス

ウィキペディアより

 まずは、キリスト教の悪魔といえば一番に思いつく方も多いであろう「メフィストフェレス」だ。彼は(彼という三人称でいいのか不明だが、悪魔は全てこう呼ぶことにする)は、16世紀のドイツのファウスト伝説や、ゲーテの『ファウスト』に登場する悪魔で、契約を交わした人間の願いやこの世の快楽を叶える代償として魂を奪う、あいつである。

 いくつかの写真を確認したが、意外にも人間と同じような耳の持ち主であることが分かった。先述の「耳介」の上部が丸みを帯びておらず、長くトンガリのある形をしているようだが、これでは人間と同じではないか、と呪われない程度にこっそり異議申し立てをしたい。耳の内部に種を収納することが目的であり、耳の形状に関しては、こちらでは我関せず焉。

 誠に遺憾ながら、一番の有力候補であったメフィストフェレスさんの耳が種の収納にあまり適していないということで、かの有名なソロモン王が使役した「72柱の悪魔」たちの名簿を確認し、いくつかご紹介しようと思う。

アガレス

ウィキペディアより

 彼は「72柱の悪魔」の中で二番目に位が高く、「公爵」という称号を持つ悪魔だ。ワニの上に乗り、腕に大鷹を乗せた老人の姿をしているのも特徴。

 アガレスの耳は大変収納に適しているように思える。「耳介」内部の凹凸が非常にはっきりとしているため、彼のような耳の持ち主であれば、複数種類の種も混じることなく収納した上で、至るところへと移動できるのではないだろうか。

ロノウェ

ウィキペディアより

 そしてお次に紹介するロノウェは、序列27位に鎮座する怪物の姿をした悪魔である。彼の耳が種の収納に最適な理由としてはただ一つ、怪物であるので耳のサイズまで大きいのではないかという推測のもとである。確認した資料によると、人間のふくらはぎ程のサイズの耳を持っており、ロノウェの「耳甲介」には大量の種が収納できそうである。

ガープ

ウィキペディアより

 彼の写真を見つけた時、嬉しさのあまり「めちゃくちゃいい耳してるやん!」と感謝の念を浮かばせて叫んでしまったのが正直なところ。それほどまでに立派な「耳介」をお持ちの悪魔様である。頭部に人間のような存在を乗せていることから6-7m程の体長があるのではないかと推測できることから、人間の顔3個分程あるガープの「耳甲介」には、種の貯蔵庫として大いに活躍するのではないか、との結論に至った。


 と、まあここまで調べた感想としては、本来の耳の役割とは音を聞くための器官であり、内部が器型で水など溜まってしまったら本末転倒という訳で、それが仮に悪魔だとしても、耳の内部に何か異物を溜めることへのメリットはないのではないか、ということだ。

 それでもなお、『煙草と悪魔』に登場する「悪魔」が「耳の穴の中」に種を収納しておいたのだろうか。返す返すも、不明である。

 耳にしていたイヤホンがホロリと落ちて、目が覚める。ふと気がつくと、乗車時と同じように電車内の座席に腰を下ろしていた筆者であった。(文 みきえみこ)

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