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正論ではなく思いやりの言葉を


最近ショート動画で『観音日和の南無い言葉』をあげている。
お寺の掲示板に書かれているようなありがたい言葉や、
名言、ことわざなどを紹介している。

タイトルの言葉はその中の一つでとても心に残っている言葉。
相手に正論を言って言い負かしたり、マウントをとることはできても何も得るものはない。争いが生まれそうだし、言われた方もそんなことはわかっているかもしれない。
正論で論破した未来に笑顔はないような気がする。

正論は正しいから正論かもしれない。
ただ人間としては正しい行いではないかもしれない。

会話や話し合いをする上で大切なのは正しさではなく思いやり。
相手が今どんな気持ちで話しているのか、どんな言葉を
かけて欲しいのかそこを察する心が人として大切なことなんだと思う。

僕自身それをできている自身は微塵もない。いつも自分のことは棚に上げて相方の工藤くんに正論をぶつけてしまっている。
きっと正しいことなんて大人になればみんなわかってる。
でもできない、やれない、直せない中でどう人間関係を築いていけるか。生きていくか。大切な相手を思いやれるか。とても難しいことだと思う。

でもこの言葉を知って、いいなと思って、心の片隅に置きながら生活するのと。
何も考えず正論をぶつけるのとではだいぶ違うと思う。

相手を思いやるためには自分に余裕がなければならないし。
そんないつも余裕があるほどできた人間ではないし。

僕はお坊さんだからできて当たり前だろと思われそうだし。自分でもそうありたいと思っている。
でも難しい。

僕は芸人でもある。正しさよりおもしろくありたいと
いつも思う。
おもしろくあるのは自分のためでもある。
思いやりの言葉は毎回かけられなくても、少しはおもしろい言葉を、ユーモアを交えて返すことはできるかもしれない。

『正論よりユーモアのある言葉を』これなら思いやりや親切よりできるかもしれない。
ただ相手が思い悩んでるときにそれを茶化すようにはならないようにしなければならない。

いつか『正論よりユーモアで親切な言葉を』かけられるような。
本当の意味でのお坊さん芸人になりたい。

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