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人生は最高のエンターテイメント 2014沖縄『か』

ぼくがお米つくりを始める前の物語 第14話

安波節から安波ダムに寄り道をしながら歩きます。
高江へ。

今回は、少し真面目なお話。
実体験と現実のドキュメント!!

数日前に会った安次嶺現達さんのいるであろう
カフェ山ガメへ向かう。

この日は、昼前くらいから暑くなってきて、
歩くのがすごくキツかったのを覚えている。

高江

今回のヤンバル歩き旅の目的のひとつ。
【高江】高江地区に入ると、
森との間に張られたフェンス、
大型トラックが出入りする入口のようなゲート(中は見えない)、米軍基地の看板が目についた。

2004年の自転車旅で初めて知ったし、まるで想像もしていなかった。

沖縄本島には広範囲に米軍基地と訓練場があること。

2014年も米軍基地の存在を強く感じていた。
良くも悪くも。

cafeヤマガメ

高江の中心地の少し手前にcafe山ガメはあった。

川と森の中にある不思議な建物、いや不思議で神秘的な場所だった。

暑い日なのに涼しくてとても気持ちよかったことを覚えているけど、何を食べたかは思い出せない。

現達さんは出かけていて、お会いすることは出来なかった。

標的の村

その山ガメよりも手前だったか? 先だったか?

高江の現状を伝えるための簡易テントが道沿いにあった。
そこにいた女性は、
資料とともに現在高江で問題となっている、
米軍基地の新設備【ヘリパッド】について過去の歴史とともに教えてくれた。

現実というのは本当に、知らぬが仏のことだらけだ。

沖縄というのは、
第二次世界大戦末期、唯一の地上戦となり、武力によって占領され、とても多くの一般市民、子どもたちが亡くなった場所。

そして、故郷や土地を奪われた。



そんな中、住民から安心や安全、【ただただ、普通の暮らしをしたい】という想いを奪おうとしているというのが高江のヘリパッドの現実。
(2021年現在、ヘリパッドは完成し、危惧していた騒音は悪化し、大きな不安は続いているそうです)

ヘリパッドとは、オスプレイという通称のヘリコプターによる訓練を行うためのもの。

ベトナム戦争のもっと前から、
高江は、実戦訓練のための、仮の【標的の村】にされています。

もちろんそんなことは現地の人だけでなく、
米軍も日本政府も偉い人やインテリたちはみんな知っている。
わからないけど、住民の求めている安心や安全よりも大切なことがあるんだと思う。

誰かのために誰かが泣いている。

そういうことは、世界中で起きていることなんだ。

アブシバレー?

2004年には泥棒騒ぎで、ザワザワしていた高江の共同売店。
ザワザワしているのに声をかけてもらって、
お茶とパイナップルを食べさせてもらったことは忘れられない思い出。

そして、2014年の高江共同売店は何事もなく平和だった。

太陽と土の色をしたかぼちゃ農家のおじいは、
年に3回栽培できるから、台風で1回駄目になっても大丈夫なんだわーと笑っていた。

共同売店を出て少し歩くと、
軽トラに乗った現達さんに声をかけられた。

『今から高江のアブシバレーのお祭りに行くけど、行くか?』と。


つづく

僕がお米つくりを始める1年前の沖縄での出来事を
語っています。



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