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人生の終わり方をイメージしています

昨日の一件で本当にいつ終わるのか分からんなとめちゃくちゃ実感しました。

倒れた時に打っていたのかすら分かりませんが、元々痛かった首と肩と腰が今まで以上に痛くなってしまいました。

頭に浮かんでくるのはネガティブな事しか出てきません。

どうしたら気持ちが晴れるんだろう。

誰も助けてなんてくれないし、誰かをあてにするのは止めたし期待もしない。

だいたい期待した事なんて、期待通りになった事なんて殆ど無いよね。

期待なんてするから落ち込むんだ。

なんでも自分ひとりでやってくしかないんだよな。

だから俺は自分の思うままに好き勝手やってきたし、これからもやっていこうと思う。

この20年間は本当に好き勝手やってきた。
ずっと旅してる生活ってのは楽しいもんだ。

他の人からしたらそれ旅なの?って思うかもしれないし、普通は旅行とか旅って言ったら、自宅に帰るよね。
でも、俺は生活拠点を移しながら仕事も変えながらっていう、旅生活をステージアップさせたという感覚でいて、自宅も無いし実家にその度に帰る旅じゃないスタイルに変えたのです。

5年間のキャンプ生活の後に、3年の北海道生活を終えて実家に帰って、10年間の充電期間を終えて、今回のステージアップさせた旅生活に入りました。

まだ45歳ではありますが、人生の終わり方をイメージしながらこの生活をしています。

最近本当に凄く思うのが、必死に働いてたくさん稼いでも、殆どの時間を仕事に当てているのは違うなという事で、これは昔から思っていましたが、最近特にこの思いが強くなっています。

世間一般的にはお金をたくさん使う事で贅沢さを感じる人が多いのかも知れませんが、俺はその反対でお金を使わなくても感じられる贅沢さを感じられるようになった時が本当の贅沢なんじゃないかなって。

たぶんお金を使わずに感じる贅沢感を手に入れる為には、色んな事や物を捨てないとなかなか難しいんじゃないかなとか。

失いたくない物が何も無くなった時にそれを手に入れられるような気がします。

何十年もローンを組んでやっと買った家を守る為に必死に働いたり、車を維持する為にローンや駐車場代や任意保険料とか色々毎月払ったり、そういうのが本当に煩わしいと感じる。

家族なんて居なくなった俺にはそんなもん全く必要無いし、転々と色んな土地に住んでみるのが俺にとっては面白くてしょうがないんだ。

今は1年ちょっと落ち着いて生活しているけど、年明けにハッキリ結果が分かると言われている話が流れた時には移動しようかと思ってる。

次はここら辺が良いかなっていう候補もいくつか浮かんでるし、最後は沖縄が良いなと終着点も決めている。

身内も友達も近所に居ないから孤独なんじゃなくて、誰の心の中にも俺なんて居なくなったんだ。
だから俺は孤独を感じるようになったんだろう。

こんな人はたくさん居るんだろうな。
友達友達って言ってても、離れてしまえばなんの連絡も来なくなる。
たまにこっちから連絡しても向こうから連絡が来る事は無い。
ここに誰の心の中にも俺が居なくなったんだと感じる所以があるんだよね。

そんな人達にこっちからだけ何度も連絡するのも癪に障るから連絡はしない。


こうして偏屈になってどんどん孤独感が加速していくんだろうな。

楽しいと思っていた生活なんて空想の世界だったのかも知れない。
現実は全然面白くもないしつまらないし、幼稚園の頃に初めて思った「なんの為に生まれてきて生きてるんだ」って言う疑問も解決した時もあったけど、あれは本当の答えだったのだろうかと最近思うけど、その教えてもらった答えを到底手に入れる事なんて出来そうも無い。

だから街に出掛けて写真を撮るというなんで面白いのか自分でもよく分からないけど、今はこれが面白いと感じるので、撮りに出掛けています。

いかにつまらない人生を少しでも楽しく過ごすか。
ずっと試行錯誤してきたけど、そろそろ疲れてきたかも。

写真を撮ってレタッチする。
初めは写真を撮ることが面白かったけど、こんな写真撮ってレタッチしたらどんな感じに仕上がるかなって方が最近は面白くなってます。

こんな魚釣って食べたらどんな味するかなっていうのと似てるかも知れませんね。

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