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短編小説『純白の誘い』

この小説は三つのお題を元にして作成したものです。
お題は作者が収集し、ランダムに選定しました。
使用したお題は一番最後に掲載していますので、お題を知った上で読んでもよし、どんなお題が使われているのか想像しながら読むのもよしです。

※今回は少し、ホラーテイストです。


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  明日香が住んでいる家はなかなかに年季が入っていて、明日香の親の親、曽祖父の代から住んでいる家だった。所々手は加えられているものの、長い年月を重ねた厳粛な雰囲気は保ったままである。
 その家の裏側には大きな竹藪が広がっており、徐々に緩やかな上り坂になって小さな山のようだった。昼間のうちでもその竹藪の中は薄暗く、黄昏時、さらに夜になると、その鬱蒼とした雰囲気と相まって恐ろしく不気味だった。強風が吹いている日は特に、揺れいてる様子が生き物のように見えた。
 明日香は家族から竹藪に入ることを禁止されて育ったので、入ったことはない。興味本位で近づくことはあっても、密集した竹の先に未知の世界が広がっているような気がして、すぐに逃げてくるのだった。

 それは、明日香が小学校一年生の初夏のことだった。
 明日香は買い物へ出掛けて行く両親を見送ってから、冷凍庫にあるカップのアイスクリームを持ち、足を外に出して縁側に座る。そこが明日香のお気に入りの場所だった。夏になると戸が全開にしてあるので、庭から入ってくる風を感じ、足をぶらぶら揺らしながら食べるアイスクリームが大好きだった。
 黙々と食べている途中だったがトイレに行きたくなったので、アイスクリームを一旦縁側に置いておき、その場を離れた。
 急いで戻って来た明日香だったが、その足は縁側にたどり着く前に止まる。その目線の先には、食べかけのアイスクリームに向かって伸びる『手』があった。本当に、『手』だけだった。手首の部分が伸びているのか、はたまた前腕が伸びているのかは知らないが、縁側から見て左側のどこかから伸び出て来ているようだった。日差しを吸い込んでさらに輝いているかのように白く、作られた陶芸品のように綺麗な手だった。
 置物のようになっていた明日香に気付いていないのか、手は木のスプーンが刺さったアイスクリームカップを上から覆うようにして持ち上げた。
「あっ」
 取られると思って思わず出た明日香の声で驚いたのか、手はアイスクリームを落とした。そのまま数秒固まっていたのだが、まるで明日香の視線から逃げるように引っ込んでいく。
 明日香は衝動的にその後を追いかけて裸足のまま庭に出た。手は音もなくするすると遠ざかり、裏にある竹藪の中へ入っていくとたちまち見えなくなってしまった。
 竹藪の手前でこのまま追いかけようか迷った明日香だったが、家族にキツく言われていることと、元々持っていた恐怖でそこから先へ足が動かなかった。それよりも、せっかく死守したアイスクリームが溶けてしまうと、裸足のせいでチクチク痛む足を気にしながら縁側に戻った。
 その不思議な出来事をさっそく両親に伝えたものの、当然のように全く信じてもらえなかった。それじゃあ見せてあげると意気込んだ明日香は、アイスクリームを縁側に置いておき、両親を伴って待った。しかし、待てど暮らせど、例の『手』は表れなかった。
 日を改めたりして何度も挑戦したものの、どれも失敗に終わった。それに比例して、溶けかけたアイスクリームを食べることにもなったので、「アイスが食べたいからって嘘を言うな」と、両親に怒られる始末だった。
 あの日確かに見た『手』は一体何だったのか。明日香は信じてもらえないことの絶望を知ると共に、あの手をもう一度見てみたいという思いをひそかに募らせていた。
 
 夏の暑さも本格的になった頃、明日香はいつものようにお気に入りの縁側で、両親の留守番中にアイスクリームを食べていた。見せつけるようにして、大きく口を開けて食べるようにした。そしてわざとらしく、ここに置くぞとアピールしてからその場を離れる。
 そのまま縁側からは見えない居間の戸の裏に隠れ、そっと様子を伺った。こんなことをしてもどうせ来ないだろうと思っていたものの、もしかしたらという気持ちもあった。
 数分待ったが、やはり何も来なかった。期待も薄かったので、明日香はそれほど落ち込まなかった。溶ける前に早く食べようと思って一歩踏み出したところで、するすると、あの手がアイスクリームに向かって伸びて来た。声が漏れそうになる口を、慌てて自分の手で塞ぐ。現れた手はアイスクリームの上を彷徨って、恐る恐るという風にカップを手に持つ。そのタイミングで明日香は手に近付いた。
「食べたいの?」
 手は驚いたようだったが、今度は落とすこともなく、逃げるように引っ込んでいくこともなかった。手に聞いたところで返事が返ってくるはずはないのに、手は迷っているかのように指同士を擦り合わせてもじもじとさせている。近くで見ても、その手の深い白さは美しく、吸い込まれそうだった。
「新しいのあげるから、ちょっと待ってて」
 明日香は台所に走って行き、すぐに同じアイスクリームを持って来た。ゆっくりと、手の方に差し出すが、手は動かない。そうしている間にもアイスクリームはどんどん溶けていき、代わりに明日香の手を冷やす。
「持っていっていいから、早く。溶けちゃうよ」
 そう言ってさらに近付けると、手は持っていた食べかけのアイスクリームをそっと置き、明日香が持っている未開封のアイスクリームをゆっくり掴んだ。持ったのを確認してから、明日香はパッと手を引いた。
 アイスクリームを掴んだ手は満足したのか、そのまま前回と同じようにするすると引っ込んでいく。その後を、今度は縁側に置いてあったサンダルを履いてから追いかける。やはり竹藪の中へと帰っていくようだった。この先に手の本体があるのだろうかと考えながら、明日香はじっと目を凝らして竹藪の先を見つめたが、あの輝くような白さを見つけることはできなかった。
 明日香と手の交流はそれっきりだった。あの手はアイスクリームを手に入れることができたので、それでもう満足してしまったのかもしれない。
 明日香はがっかりした。両親にも見せて、自分は嘘つきじゃないことを証明したかったのだが、それは叶わなそうだった。
 そうして月日だけが過ぎていき、自分を正直者だと証明することも面倒になって、いつしかその奇妙な出来事も記憶の中に埋もれていった。

 例年と変わらず暑い日が続く夏の日、中学二年生になった明日香は、お気に入りの場所である縁側に立ったのだが、あまりの熱気にすぐ居間へと避難した。フライパンの上に乗った食材の気持ちを体感できるほどの熱さである。
 古びた雰囲気には似合わない、ピカピカのクーラーが稼働する居間で寝転がりながらぼんやりとしていた明日香はふと、夏の日差しを受けて白く輝いていた綺麗な手を思い出した。いつの日か明日香だけが見たあの手は、もしかすると夢だったのかもしれないとすら思えるほど儚い記憶になっていた。
「明日香、お父さんと買い物行くけど来る?」
「いいー」
「じゃあお留守番よろしくね。ダラダラしてないで宿題しなさいよ」
「分かってるって」
 明日香は眉間に皺を寄せている母親の顔を見ることもなく答えた。まもなく車のドアの開閉音とエンジンの音が聞こえて、遠ざかっていった。
 太陽が沈みかけて夜の色を作り始めた頃、明日香はトイレに立ったついでに縁側に立った。昼間よりはマシになったものの、床の板はじんわりと熱を持っていた。
 縁側の戸を開けてみると、むっとするような生ぬるい空気が入り込んできた。クーラーですっかり冷やされた明日香の皮膚にまとわりついてくる。
 昔のように足を投げ出して縁側に座ってみると、なんとも言えない懐かしい気持ちになった。あの頃は楽しかったなぁなどと感傷に浸っていた。
 生ぬるさにも慣れてきた頃、明日香は無性にアイスクリームが食べたくなった。昔のお気に入りのアイスクリームはとっくに製造されていないのでどこにも売っていないが、代わりのアイスクリームはいくらでもある。
 明日香は冷凍庫の中にある、父親によって買い置きされたアイスクリームたちの中から一つ選んで手に持ち、縁側に戻った。
 すると、つい先ほどまでいた縁側に何かが置いてある。どこか見覚えのあるそれは、明日香が昔大好きだったアイスクリームだ。もう販売しているはずがないのにと、怪しんだ明日香は警戒しなが近付き、恐る恐る、アイスクリームのカップを持ってみた。ひんやりと冷たく、どうやら中身も入っているようだ。
 懐かしいと思いながら、角度を変えつつパッケージを見る。そっと蓋を開けてみると、白色の表面が夕方の日差しを受けてキラキラと輝いていた。それにしても、誰がこんなところに置いたのだろうか。手元に視線を落として考えていた明日香は、視界に白い何かがちらついたような気がして顔を上げた。
「あっ」
 強い風が吹き、竹の間を吹き抜ける音が地鳴りのように響く。ゆっくりと、しなやかに揺れる竹の群れは一つの生き物となり、形を変えつつ蠢いている。
 誰もいなくなった縁側にはすっかり溶け切ったアイスクリームが二つ、残っているだけだった。













お題『アイスクリーム・留守番・竹藪』


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