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ベトナム放浪記1


 3月14日。昼下がり。
花粉症による鼻の痒さと、頭がふわふわするようなぽかぽか陽気に春の訪れを感じる。
空は雲ひとつない。

昨日遅くまで飲んでいたせいか、花粉のせいか、それともこの陽気のせいなのか、なんとなく冴えない脳みそと、瞼の上にぴったりくっついてくる眠気と共に私は家を後にした。

 いつもの通り最寄り駅まで歩きいつもの通り特に何も考えないでいつも乗る電車に乗っていた。
電車が動き出して一駅過ぎたところで私ははっとした。

乗る電車を間違えたのだ。脳みそなんて使わないで足のおもくままに歩いた矢先、このミスである。

一瞬ヒヤッとするが、よくあることなのであーあまたやらかしたなと思う。よくあるというのは電車をよく間違える、そういうことではない。重要な時に何か必ずミスを犯すということである。私の奇怪な習慣の一つである。

まったく自分のトンチンカン具合には毎度うんざりするが、きっとこのトンチンカン(時々ひょこっと出てくる私の分身、通称トンチンカンちゃん)とは一生付き合う必要があるのだろう。一生付き合う必要があるのならこの際仲良くやっていこうじゃないかそんなとこである。

時々現れる私の分身、トンチンカンちゃん

しかしまあ、早速出鼻を挫かれるようなミスを犯したものである。

こんな私のトンチンカンはいつもの事なので至って冷静でいたが、これで万が一飛行機を逃したりするようなことがあれば元も子もないではないか。
1人でベトナム行ってくる!なんて友達に散々話しておいて、電車を間違え飛行機に間に合わなかったので行けませんでした。なんてかなり格好がつかないエピソードである。

そうやってぐるぐると考えているうちにだんだんと焦りの気持ちが芽生えてきてしまった。

 ここはお金を少し高く払って速い電車で行くべきか、それともお金を惜しんでなんとかギリギリを狙うか、家族LINEに早速今回のトンチンカンを報告し、どちらの選択をするべきか相談する。


そんな相談をしている会話の最中、突然母から、スマホを持って歩いてると手首ごと切られるよ、と忠告のメッセージが送られてくる。おい!少々焦っている今それ言うか!と思いながらもこわーと一言返信する。

10分ほど悩んだ末、結局高いお金を払って空港まで行くことにした。

予定より高いお金を使う羽目になり少し落ち込むが近頃、日常の買い物で何を買うかで迷う瞬間、よく考えることを思い出す。

 それは、お金とは自分で死ぬまで生み出し消費し続けるものであるから人生を終える日が明確に決まってない限り出し惜しみするとかそういう概念はそもそも存在しないのではないか、それなら値段だけにとらわれず、消費者として自分が選ぶ商品に投票するつもりで買い物をした方がよっぽど今後の社会のためにも自分の心の健康のためにもなるのではないか、ということである。
これについては書き始めれば長くなってしまうのでまたいつか書き留めようと思う。


 さてそんな近頃の私の思考はさておき、成田まで運んでくれる全席指定のスカイライナーを使って移動することにしたので結局本来着く予定の時刻とは、わずか6分遅れで着くことになった。

 そのためスカイライナーに乗り換える駅へと移動し始めた頃には間に合わないかもしれない、という焦りはすっかり消えていた。
お金で時間と、スカイライナーの指定席の空間と、安心感を買ったのだ。そのおかげで私は今のんびりと文章を打っている。


 電車で出発して20分後、スカイライナーに乗るための駅に着く。


 切符を買ってスカイライナーのホームへ向かう。
そこにはたくさんの外国人がいて、日本人はほとんどいなかった。きっとほとんどの日本人が普通の電車を使って成田まで向かうからだろう。

電車を待つ人たちはそれぞれ1人だったり、家族だったり様々な形態の人がいる。

どこへ行くのかなあ、どこの国の人なのかなあ、どんな旅をしたのだろう、美味しいものは食べたかな、今から帰るのかな、そんなことを考えながら私も指定された号車の列に並ぶ。

 やがて駅のアナウンスと共に日本のアニメキャラクターのラッピングが施された電車が到着した。(なんのキャラクターだったかはちっとも思い出せない。)

腰の曲がったおばあちゃんが家族に手を引かれながらゆっくりと一歩一歩電車に乗っていく。

そんな彼女を眺めながら、私もせっかく人間に生まれてきたのだからどれだけ歳を取ろうが自分の命があるうちはいろんな場所へ訪れて美味しい物を食べ、沢山の景色を見てひたすらに心奪われていたい、と考える。


私の後ろにはおそらく1人であろう海外の男の人が並んでいた。
1人で旅をしている人を見るとなんだか同志のような気がして勝手に気持ちがほくほくとしてしまう。心の中であなたも良い旅をねと声をかける。


 さて、これからどんな旅が始まるのだろう。
窓の外を眺めながら今見ている看板も今日の夜には全て知らない言葉に変わるのか、とぼんやり考える。

 行きの電車から間違えてしまってなんとも頼りない自分だが、なんとかなるだろうという根拠のない自信を抱えて空港へと向かった。

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