勉強って必要?無駄?無意味?No.「自由に生きるため」の武器さ!
そもそも勉強するのに年齢は関係ない。学生であっても社会人であっても老人であっても、勉強したいと思った日から始めればいい。
そしてタイトルの通り。なぜ勉強しなければならないのか?
(約 4,000文字の記事です。)
【答え1】自分の考えを持つため
「え?だって、勉強しなくても自分の意見言えるよ!」というそこのあなた。その自分の意見、根拠は何ですか?何に基づいてそう決めたのですか?
野生動物として生きるのか?
野生動物ならば、考えを持つ必要はない。全て本能に従って生きればいい。そして天に還る時もまた、何も考えないだろう。
「全て本能のままに生きるのでOK!」
という人は、まったく勉強しなくていい。
そもそも野生動物は勉強などしない。ただし野生動物であっても「生き残り」をかけて、実体験から色んなことを「学習」してはいる。なぜならば野生動物は生きている間はずっと「生存競争」にさらされている。
だが野生動物については学習するか否かは「生存競争で勝てそうか否か」この一点で判断している。そして生き残るために体や思考を進化させている。
言語を操る「人間」としてものを考える土台は「知識」
では野生動物としてではなく、人間としてものを考える場合、全ての根拠となる土台は、殆どの場合は、学習を通じて知った「知恵・知識」だ。もちろん直感を根拠にすることもある。だがその割合は私の人生経験上では数少ない。毎回直感に頼って判断していると、失敗するケースのほうが多い。
それに対して知恵や知識に基づいて物事を判断すると、合理的な判断ができる。
その知識は「正しいのか否か」どう判断する?
さてだんだん核心に近づいてきた。あなたや私が見知ったその知識、知恵、「今このときの判断材料として、その情報は正しいのか?」これを判断しなければならない。10年前の知識や情報が「今、この令和6年の今」正しいとは限らない。
既に知識を持ち合わせる人ですら、知識のアップデートが必要。そしてその知識や知恵すら持ち合わせていない場合、どこかから知恵を仕入れる必要がある。だがその仕入れた知識は、本当に正しいのか?誤った情報ではないか?
どうやってその情報の正しさを判断するのか?
情報の正しさを判断するためには「知恵・知識」が必要
そう、1つの情報について正しさを判断するためには「別の知恵」が必要だ。色んな別分野の情報を持っている場合、1つの情報の正しさを判断する場合に色んな角度や視点で「正しさ」を判定できる。例えば、
歴史的に見て正しいのか?誤った行動になるのか?
数学的に正しいのか?数字のペテンなのか?
法律的に正しいのか?違法行為なのか?
社会通念上認められるのか?非難されるべきなのか?
ざっと思いつくだけでもこれだけの視点が必要だ。歴史を学んでこなければ愚策を繰り返すし、数字に疎ければ数字で騙される。法律知識がなければ故意または過失によって法律違反を犯して罰せられる。社会通念上認められない行動を取れば非難される。
その際に、自分にとって最適な答えを決めるために、たくさんの色んな分野の知識が必要になる。これは多ければ多いほど、自分にとって最適な答えをつかみ取れる。逆に勉強してこないで知識や知恵が少ないと、誤った判断や、他人に有利な答えを選ばされることになる。
そう、自分の人生を最も自分に有利に進めるためには、他人に騙されないようにすることも必要なのだ。そのための知恵・知識を身に付けるために、色んな分野の勉強をしなければならない。だから義務教育では色んな分野の勉強をさせられる。
【答え2】生きたいように生きるためには、正しい判断をし続ける必要があるから。
生きたいように生きるためには、本能や直感だけでは足りない。それで手に入る自由は「野生動物としての自由」でしかない。社会的に自由を得るためには、身体的、金銭的、社会的自由が必要だ。それらは誰も与えてくれない。自分でつかみ取り「続ける」必要がある。
自分でつかみ取るしかない。自分が望む自由をつかみ取るためには、正しい判断力が必要だ。それを支えるのが「知恵・知識」だ。得たものが正しい情報か否かを判断するためにもまた別の分野の「知恵・知識」が必要だ。
だから色んなことを勉強しなければならない。
学生は社会に守られている状態
この「知恵・知識」なしに社会の中で社会人が生きたいように生きることは、多分、かなり難しいと思う。学生は社会にかなり守られている。その自覚がないままに「私は自由だ!」と思っているならば、多分、壮大な勘違いだろう。
そうなって初めて「もっと勉強しておけばよかった」と感じる大人が大多数なのだ!
そして社会人になってから勉強を始めると、一気に不利になる。
時間の確保の難しさ
記憶力・暗記力の衰え
社会生活でのストレス
情報収集の難しさ
お金を使わない限り「あらゆる点でサポートがない」
などなど。不利な要素しかない。
社会人になってからも「自由に生きていたい」ならばこそ、知恵を身に付けるべき
社会人になってからも「自由に生きていく」ために必要なものは何か?これを洗い出すためにも、今の日本の社会の仕組みを理解する必要がある。経済だったり税金の話だったり。お金を効率よく稼ぐ方法を考える必要がある。数学が必要なのは当たり前。投資でも然り。
自分の才能をお金に換えるためには、どんな分野でどんな能力を発揮すればいいのか?文字ならば国文学の知識や英語による偉人の知恵なども必要。また外国で勝負したいなら英語は必須。芸人として生きるならば芸に関する古今東西の知識がないと話にならない。何かの専門家になるためにはその専門家の必須書籍は通読している必要がある。
【答え3】勉強の「やり方」を身に付けることが重要だから
勉強にも「やり方」がある。それを学生のうちに身に付けていないと社会人になってから「勉強のやり方の模索・試行錯誤」からスタートすることになる。一方でライバル達、学生時代に勉強のやり方を身に付けている人達は社会人になってからでもいきなり「効率的な勉強方法」からスタートできる。
なので別の見方をすれば、学生のうちに「勉強のやり方」を身に付けるためにも、学生のうちに「勉強のやり方について試行錯誤」していい時期だし、学生時代にそれをやってきたか否かで、社会人になってからの学習の成果が大きく変わる。タイムパフォーマンスの差。そして社会人での成果の違いはそのまま賃金の差に直結する。
というわけで私見ですが、私が考える「なぜ勉強しなければならないのか」の答えは「自分の考えを持ち、他人に騙されず、人間社会で社会人が自由に生きていくために必要な知恵・知識を持ち続けるため」です。自由に生き続けるためにはそれを支える情報と判断力、この2つが必要であり、それらを維持し続けるためにも勉強が必要なのです。
それでも勉強しない!という人は、各自の責任において自由だと思うので、それでいいと思う。
自由には必ず責任を伴う。
(イソップ童話の「アリとキリギリス」参照。)
その責任を負えるならば、負う覚悟があるならば、判断の自由はあなた自身にある。どうか自由に生きて下さい。それは尊重する。
ただ、私は「勉強する」けどね。
だって自由でいたいもん😊
今回の創作活動は約45分(累積 約3,783時間)
(1,040回目のnote更新)
読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊