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禁酒4日目 世の中は『酒』以外の楽しみで溢れている。明日は遠足。

十年以上ほぼ毎日続いた飲酒生活を止めて4日目。もはや「お酒とは何か?」すら忘れつつある。お酒のない世界線 4日目。お酒以外の楽しみを探すようになった。世界はお酒以外の楽しみで溢れている。

(約 2,800文字の記事です。)



酒は液状薬物(何度でも言おう)

お酒は飲み物だと思っていた。だが実は酒は合法薬物だったのだ。私は何十年も合法薬物を服用していたわけだ。急に怖くなった。この恐怖がお酒への記憶を封印してしまった。ある意味PTSDな気もする。体にも精神にも優しいPTSDだ。


明日は隣町の森林公園にピクニック

酒を飲まなくなった。すると夕食、風呂、やることがない。喪失感も3日を過ぎれば逆に「何ができるか、何をしたいか?」を考える時間に変わる

そして今まで自分が如何に時間を無駄にしてきたかを思い知る。

そして世界には酒の酩酊感以外に楽しいことがたくさんあることを知った。それを探すようになった。童心に返ったのである。

さっそく明日は隣町の森林公園に家族でピクニックに行くことにした。遠足である。

  • ソーセージを炒めて(炒めすぎて皮から油が溢れ出すw)、

  • カニクリームコロッケをチンして(加熱しすぎて爆発w)、

  • チキンナゲットやエビ、ゆでブロッコリーと携帯マヨ&ケチャップをセット。

あとは冷蔵庫で明日までお休みだ。明日早起きして混ぜご飯のおにぎりならぬ「おにぎらず」をラップで作って、電車とバスの旅に出る。

童心に返る。酒以外の楽しみは大人でも子供でも楽しめるはずなのだ。なので十数年ぶりに酒以外の楽しみでリフレッシュしてこようと思う。


アルコールの酩酊感は「偽物」。何も残らない。

アルコールの酩酊感は、脳が薬物の影響で夢を見ている状態だ。ほとんどがまがい物の体験になる。カボチャの馬車だ。醒めてみれば、大したことでもないのに、薬物の影響でハイになっているために「何だか凄いこと、面白いこと」のように感じる。だが朝になって見れば、大したことのないものだったりする。

これはアルコール以外の「違法ドラッグ」のトリップ状態で確認されている現象だ。本人は「これまでにない世界的な傑作ができた!」とそのときは思っているが、翌朝見ると or 他人が見ると「そうでもないね」という結論に。

当然合法の液状薬物にも当てはまる。なので酔っ払って作品を仕上げると、う~ん、という次の日の感想がよくある。

それでも習慣飲酒に至るほど、酒が欲しくなる理由。自己分析した結果。


酒を口に入れる行為は「ジェットコースターで登っている」状態

酒の味自体が美味しくて飲んでいると言うよりも、血中アルコール濃度が高まって脳がドーパミンもどきを感じてハイになっている感覚、これを目指して酒を口に運ぶのだ。なので口に入った味は二の次で、せいぜいフレーバーを楽しんでいる状態+炭酸の刺激程度であって、目的は次なのだ。

脳がアルコールを感じ始めた=ジェットコースター下りスタート

実はこのジェットコースターの下りの快感が欲しくて、酒を口に運ぶのだ。そしてひとたびジェットコースターが下り始めると、脳は無尽蔵にひたすらにその快感を欲する。どんどん飲む。ジャンジャン飲む。無限に下り続けるジェットコースター。だから寝落ちするまで飲み続ける羽目になる。

そして下っている間中は脳はその快感に酔いしれているので、何にもやる気が出ない。なので受動的な快楽のみを求める。例えばYouTubeをダラダラと見たり、映画をダラダラと見たり。あるいは止めどなくSNSを眺めてはいいねとリポストボタンを押しまくる。

そして次の日にはほとんど覚えていない。無益な時間が過ぎ、年だけを取る。手の中には何が残っているのか?アセトアルデヒドくらい?


薬物に依存しない「楽しい経験」を

習慣飲酒を止めると、途端に世の中つまんねぇな、と思う。それだけ液状薬物の日常的な快感が、自分の中で大きな体験になっていく。実際は大したことないのに、それが自分の快楽の大部分だと思い込む日々を十数年も続ければ、そりゃまぁそうなるわな。

だが禁酒をして3日もすれば、世界の見え方が変わる。世の中には液状薬物に依存しない楽しいことがたくさんある。それを楽しめるだけの時間とお金を、禁酒によって生み出すことなど簡単なことだ。計算すれば分かることだ。

ちょっとおかずを豪華にしたり、ちょっと外食したり。ちょっと「普段行かない町」に遊びに行ったり、日帰り旅行に行ってみたり。

毎月お小遣いが1万円もあるのだ、結構なことができる。月1回の贅沢ができる。そしてそこで得た体験は、次に行かせる。決してアルコールのように揮発してなくなったりはしない。


時の流れがゆったりになる

ま、酒の酩酊感で時間を2倍速でどぶに捨てていた時代からすれば、相対的に4倍も時の流れが緩やかに感じられる。だから思考する時間も量もたっぷり取れる。酒に逃げる必要もないので、じっくり腰を据えて思考できる。そして決断したら行動すればいい。シンプル。

だが習慣飲酒ではそれ全部「いつかやるリスト」に放り込んで、酩酊してハイになって翌日を迎えるのだ。永遠の先送りシステムの完成だ。

どっちの人生を歩んでいたいか。これの答えが「禁酒しますか、飲酒を続けますか?」の答えだ。好きなほうを選べばいい。

私は時間の価値をしっかり感じられる禁酒側を選んだ。まったく後悔していない。むしろもっと早く決断したかったくらいだ。だが過去には戻れない。これからの自分の人生を大切にして生きていくしかない。そのためにも人生を2倍速化する液状薬物には絶対に手を出してはいけない。だから飲むつもりは全くない。


究極の選択にならない限り、飲まない

そしてもし「飲むか、銃で撃ち○されるか」という究極の選択になったならば、生き残るために飲むかも知れない。だがフラッシュバックはないだろうな。口にしたその液体、アセトアルデヒドの素ですぜ。毒ですぜ。裏でこっそり吐き戻しますわ。体に吸収される前に。酩酊感やハイな気分など二の次。次に残るアセトアルデヒドの害、これが怖いのだ。そしてそれを押しのけてでも脳が欲しがる「ハイな体験」。合法薬物たる所以である。


というわけで4日経過したが、まったく酒などなくてOK。明日の遠足が楽しみである😊おっと、もう寝ないと。


今回の創作活動は約30分(累積 約3,798時間)
(1,057回目のnote更新)

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#禁酒 #禁酒日記


読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊