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周回遅れからのブラン・ニュー・デイ


本日、上記のバッジが私の元に届けられた。

「2周年」という節目を迎えて授けられたそれは、一定の方々からすれば「今まで継続してきてよかった」という誉れとして一つの達成感が生まれてくることだろう。

だが皮肉なことで、今から3ヶ月ほど前に「再起動」という形で始めた自分にとっては、そこに価値や意味を見出すには早すぎるものであった。


私には少なくとも、いや長い間此処noteを離れていた時期がある。


当初、二年前の今頃に登録した時には好奇心の塊を持ちながら書き始めていたが、
わずか二週間も持たなかった。
今よりも更新する頻度は多くなかったこともあり、次第に面と向かって書くことはおろか訪れることすらなくなってしまったのである。

思えば今以上にさまざまな方々の記事を見てもらったり、自らいろんな方々が投稿している記事を見にいく機会が少なかった。
それどころか自分にとって誰のどんな記事が魅力的だと思うのかすら、まったくわからず仕舞いとなっていたのであった。

それから半年ほど経った時期にまた訪れては「再始動」のつもりで何かを書き始めるも、またしても一週間も持たないまま再び退いてしまった。

その頃は、偶然ながら一緒に始めた方々よりもだいぶ差が広がってしまった状態でも、なんとか立ち直るきっかけが欲しいと願っていた。
しかしその願いも虚しく、全くとかこれっぽっちもと形容していいくらい叶うことはなかった。

そして幾度ともなく濁流のような悪い流れが、私のところへと押し寄せ続けた。気づけば此処noteにまた再び「三度目の正直」として流れ着いたのだった。

これまでに一度どころか二度も挫折している身で、どうやってこの空白の穴を埋めるつもりだったのだろう。しかしそんなことを振り返っている余裕はなかった。

どうせならこれまでのことを帳消しにするだとか、あるメーターをリセットするようなテイで、アカウントを削除してまた一から始めれば良かった…とも考えていた。

だがそれはそれで始めたとしても、また同じようにこれまでのやり方を繰り返すことになるかもしれないし、またあの日のように嫌気が指しては再びずらかることになってしまうかもしれない。

 

誰より周回遅れでの再スタート。既存のもので始めようと、消して新たに始めようと、普通に考えたらある意味「無理ゲー」な話である。

此処noteの世界がいったいどんなものか、という好奇心などといった前向きな気持ちで始める人よりも、一度とはいわず二度も挫折を経験した上でのビハインドが誰よりもある状態の中で、この差を埋めるのは難しいものだと感じていた。

やり直しをしたところで何の価値もないかもしれない。しかしながらこの内に秘めた僅かな望みを、無闇に捨てたり水に流してはいけない。

「また再び」という形で再起をかけるなら今しかない。そして今度こそは消えてしまうことにならないように、ずっと火を灯し続けていけるように、ちょっとやそっとではなかなか溶けることのないロウソクを用意しよう。

時間などゼロに巻き戻さなくてもいい。真新しい一日を始めることができるなら、いくらでも広大な海原でひとりボートを延々と漕ぎ続けてやろう。

いつか貴方が振り向いてくれるのなら、もう一度…。

誰かに「伝えたい」とか「伝わってほしい」などと考えず、ある一つ節目を迎えた私は「終われない旅」などと心に宿した胡散くさい再始動を試みるのだった。

再々デビューという華々しくもなく、一方によってはなんとも痛々しい形で綴った1作目には、そんな状況下でも僅かな言葉で纏められたくない思いが今更になって滲み出ている気がしている。

 


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