大切なものを通り過ぎる日々に身を置く
今から10年以上前。当時、私が高校生の時からのめり込んでいた、UVERworldの通算7枚目のアルバム「THE ONE」手に取った日のことだ。
最後に収められている「NOWHERE boy」という曲が流れ始めた時、思わず胸が抉れられそうな感覚を持った。
これまでUVERworldが発表してきた、それぞれのアルバムの最後の曲にはインストであったり、お決まりの疾走感溢れるバンドサウンドが収録されているのが個人的な見解では通例だった。
だがこれまでとは異なり、乾いた音を主張するアコギとピアノを軸に、ジャジー調というアプローチに衝撃を受けたのも、今でも鮮明に思い出せる。
そして何より内省的な歌詞が、内容が、かつて下を常に向きながら過ごしてきた過去の自分とどこか重ねるようにして、不思議と繰り返し聴き込ませる活力源となっていた。
学生時代の頃に私は、灰色の青春を少しずつ謳歌するようになっていく。高校卒業を控えた年を迎えようとしている頃には、人に対して半信半疑を持つようになってしまった。
これまで飽きたり使えなかったり、気に入らなくなったりと判断すれば、それらしい理由を並べて裏切っては立ち去っていく人の、顧みない姿を眺めてきた。
やがて社会人となってから10年以上経過したが、その間にも何十人もしくは何百人もの人と関わっていくうちに、今の自分の心はおそらく、煤のように真っ黒になってしまっていると思う。
右も左もわからず、善悪の区別すらまともに付けなかった頃の自分を振り返ってみて、こちらにも少なからず落ち度はあったと若輩ながら反省できるようにはなった。
それでも「あの時やめておけば良かった」という場面に遭遇することは多々あった。絶望の壁に立ち尽くすたびに、人に対する疑念が増していき、何度心の底から悔やんだことだろうか。
もしも仮に今後、出会うべくして出会う人間がどうであれ、こちらから心を開く必要や理由もないだろう。
ただその一方で、自分が最も大切にするべき出会いや繋がりがあったのかもしれない。そう思うと、そこに手を伸ばすどころか、何も気づけもしなかった自分に対して憤りを覚えてしまう。
今更嘆いたところで、追いかけるべきだったはずの彼ら彼女らの背中は、二つの肉眼ではもう捕らえることもできないほど、遥か彼方へと遠ざかってしまっている。
あの日あの時「たられば」を思い浮かべたところで、これから先も何の意味も役にも立たない。時間だけが、だらしなく通り過ぎていくだけで、何一つ価値すら産み落とされることはない。
きっとこうして、画面越しにひたすら言葉を綴り続けている間にも、自分にとって大切なものに気づけずに通り過ぎてしまっていることだろう。
10年以上前の学生時代だった自分に、ちゃんと生きているところを見せてあげたいところだが、間もなくあぶれ者になろうとしている姿を見せてしまったら、もはや目も当てられないほどに幻滅してしまうかもしれない。
せめて過去に置き去りにしてきた自分たちには、こんなどうしようもない人生を送っていても悪くなかったと、胸を張って言えるように今を生き続けていたい。
最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!