見出し画像

ランドセルの贈り主は祖母だった

私が小学生だった頃、学校に通うときにいつも背負っていたランドセルは、祖母が買ってくれたものだった。


母から時おり、祖母の話をするたびに、そう聞かされていたものである。しかしながら私自身、祖母がどういう人物であったかを、まったく覚えていない。

どんな食べ物が好みで、どんな趣味をもっていたかはおろか、どんな声色にしてどんな口調だったのかさえ尚更だった。もし、祖母自身が映ったビデオテープが残っていれば、いくらか見当はつけられるかもしれない。

だが生憎と、そういった記録なる物は、わずかばかりの写真でしか残っていない。唯一肉眼でとらえられるものとして、実家の仏壇に祖父母、それぞれの写真が飾られている。


ちなみに祖母が、そのランドセルをいつ頃購入したのか、詳しい話は聞いていない。もしかしたら、おそらく私が生まれる前後に買ったものだと思われる。

その類の話を聞いた母は当初、とてつもなく気が早すぎると驚いていたことに違いない。なにせ私が小学生になるまで、丸7年も待たなければならないのだ。

初めての孫に大いなる喜びを持ち、どれだけ心の底から待ち侘びていたことだろう。そしていつか自分の孫が、買ってあげたランドセルを背負って登校する姿を、どんなに夢見ていたことだろうか。


祖母は、私がまだ物心がついていないときに亡くなってしまっている。享年50代という年齢は、当時もそうであったが、今にしてみえば十分若すぎる早さだ。

そしてこの5月3日は、祖母の命日である。気づけば亡くなってから、とうに30年は経過している。想像もつかない早さで、時があっという間に流れてしまったと痛感してしまうのだ。

もしも祖母が、私が小学生になってランドセルを背負う姿を、目に焼き付けるまで生きていてくれたら、少しでも未来は変わることができただろうか。

こんな取り留めのない話をしたところで、現実は何一つ変わらないのは承知の上だ。だからこそ私自身、あらゆる物事において深く理解しようと熱が入るようになってからは、やはりそう考えられずにはいられない。


私が実家を離れる数日前に、母とお墓参りに訪れた際、母はやはり決まってランドセルの話をしていた。それほど母にとっても、たった一つの忘れ難き思い出エピソードとして、深く刻まれているものだと私は改めて解釈するのである。

祖母と直接目を合わせず、話を交わせずとも、ランドセルを買って貰ったことが、唯一の記憶として今も残っている。そしてこれからも、私の中で忘れることは決してないだろう。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!