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再び「実家に帰る」までの間

一週間前の夜、母から一通のLINEが来た。


内容は、私が東京に戻る際にまとめて持ち帰った荷物のうち、弁当箱ランチボックスの中に付属の箸を入れ忘れてしまった、とのことだった。

しかも驚くことに、置き忘れてしまった箸を、わざわざ郵便で送ろうとしていたらしい。この時点で「しまった!」と思い、慌てて送ろうとしている母の気持ちはわからないわけでもない。

ただ、そんなことをした日には、場合によっては片方が折れてしまった状態で到着する可能性だってある。その対策として頑丈に梱包したところで、そこに関わる送料を含む費用が高くついて勿体無い。

母には、しばらく弁当箱ランチボックスを使う予定はないから、とりあえず送らなくていいとだけ返事した。どうしても必要になってくる時は、割り箸でも用意しておけばいいと。


そういえば、母は過剰に心配性であったことを、唐突に思い出した。

特にこれまで記憶に焼き付いているのは、私が20代の頃、まだ実家暮らしをしていた時のこと。定時で上がれないまま夜8〜9時あたりになると、母から決まって「まだ帰れないの?」などといった文言のメールが来るようになっていた。

月の締め作業が絡む時期や、繁忙期の真っ只中では、そうした通知が来るたびに返事している暇もない。そんな状況を顧みず、下手すると今にも電話がかかってきそうな勢いに、自分の親とはいえども、一つの煩わしさを覚えてしまったのである。

私も私で成人し、それなりに自立して、いい年齢になってきている。あの頃みたいにもう子供ガキじゃないから、そこまで心配にならなくてもいいのにと。

そう思いつつも、残業になるたびに母からの度重なるメールに、不覚にも辟易へきえきさせられるのだった。


やがて私が上京して一人暮らしを始めると、当然ながらそういった旨のメールやLINEは落ち着いてくるのであった。しかしながら「ちゃんとご飯食べているか」などの文面が時々寄せられてくることは、少なからずあったと思う。

私が実家にいた時は、ろくに料理や洗濯などの家事をしておらず、ほとんど母に任せっきりだった。もしかしたら、そのことが尾を引いているかもしれない。

そう考えた時、自立する前に家事スキルを万全な状態にしておくべきだったと、反省せざるを得ないのである。


東京に戻ってから母のLINEが来るまでの間、動向が少々気掛かりになっていた。

営業所での最終出勤を終えた翌朝、私は東京に戻るため、前日のうちにひとまとめにしておいた荷物を、車の中に積んでいる。そこに母の姿はない。

ゴールデンウィークの期間の中とはいえ、この日は祝日が絡んでいない平日であり、一足先に仕事先に出かけていたのである。そして夕方頃に、誰もいなくなった家へと戻ってきた母は、いったいどんな顔をしていたのだろう。


今その家には、かつて長い間共に暮らしていた父の姿はいない。今から三年前の三月に亡くしてから数ヶ月間、母は立ち直れないまま、ひとり悲しみに明け暮れてばかりであった。

先月まで私が実家暮らししている間も、母はたまに父のことについて話をするたびに、途中で涙ぐむ場面を見受けられることがあった。

三回忌を終えたとはいえ、長年寄り添った伴侶を失ったことによる心の傷は、いまだ癒えていない様子が伺えた。

そうして、また独りになってしまった…もとい、独りにさせてしまったという罪悪感を覚えてしまった。だが先日、前述のようにいつも通りのなんてことのないLINEを見て、この心配は杞憂だったと、私は密かに胸を撫で下ろすのであった。


次に実家に帰省する時期は、おそらく夏場のお盆休みあたりになるだろう。それまでに私自身も、次なる新天地を目指さなくてはならない。

…とはいったものの、駆け込み乗車するようにして決めてしまうようでは、たぶん長続きはしないことだろう。

「急がず焦らず」なんて、どこかで聞き覚えのあるセリフを思い浮かべながら、また独りの日々を刻んでいくのであった。

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