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月下の再会~三井寺の鐘

先日行ってきた講座では、参加してる皆さんとで演目「老松」の一節の謡をさせてもらえました。
参加されてる皆様の中では自分は全然年齢が若いもので候、40、50代はまだまだぞぇと言われる世界、謡ったり舞ったり、年齢や身体の状態等もですが、テイストって変わっていくもの、これ、あぁ年取ったな的な日常世界でいう退化ではなく、ここでは進化していくものって捉える。

シテさんはあっちの世界の方を演じ(演ずるじゃなく真似るだろとか面倒くさく捉えず)、ワキさんはこの世の方を演ずる、あっちの世界の幽玄な感じだからと言って、弱弱しい細々とした声で謡うわけじゃない、腹の底(丹田)から言葉を吐き出すかのように熱を帯びて届かせる、能楽師の先生のお手本を見聞きしながら感動しました。

実際声を出してみたが、気持ちいいものです、スッキリします。
この感じ、薬無くして鬱気を散ず…まさに謡曲十五徳ですね。
では、動きながら声を出してみましょうか、全然付いていけません(汗)。

半能というのもありますが、一曲を途中で終わらせたり、敢えて演者さんと書きますが、例え誰かが発作で倒れようとも、舞台を中途で終わらせてはいけない、そのために後見さんという方が舞台の鏡板のところにいらっしゃる。全体のことを考え細かな手伝いもし、演者さんが何かあったら代わりに演じる方、今でいう選手兼任監督とかプレイングマネージャー的な存在ですかね。

揚幕や扇子、後見さんも、演目「蝉丸」で切っ掛けを得た楽器の琵琶もそうですね、能楽の中のひとつひとつを探究するのもまた楽しく発見がある。

シテさんワキさんは会うべくしてお会いになったのだろうか、作能するということは当然それを想像していたものだし、当時から言葉は存在していてその言葉を紡ぐ共時性みたいなものもある、感じ得る、わかっていたのだろうか、そして含まれているのかな、「シンクロニシティ」を若いころは時折体験したことを思い出した。

「シンクロニシティ」とは、心理学者カール・グスタフ・ユングによって提唱された概念で、互いに因果関係がないにもかかわらず、意味のある関連性を持つと感じられる二つ以上の事象が同時に起こる現象を指します。ユングは、このような事象の一致を偶然とは別のものと捉え、それらが個人の心理状態や無意識の内容と深く関連していると考えました。

シンクロニシティは、たとえば、ある人物を考えていた時にその人から突然連絡が来る、特定の言葉やシンボルについて考えているときに、それに関連する内容が目の前に現れるといった経験を通じて体験されることがあります。ユングはこれらの一致を単なる偶然ではなく、深い意味を持つ「合意的一致」として解釈しました。

シンクロニシティの概念は、因果律に基づく科学的な説明とは異なるアプローチを提供し、心理学や哲学、精神世界の探求において重要な概念となっています。この理論は、人間の心理や意識が外部の世界とどのように関わっているのか、また、内面の世界が現実世界にどのように影響を与えるのかについての理解を深めることに寄与しています。

ただし、シンクロニシティは科学的な証明が難しいため、批判的な見方も存在します。それでもなお、多くの人々が個人的な経験を通じてこの現象を実感しており、精神的成長や自己理解の手がかりとしてシンクロニシティの概念を用いることがあります。

引用 ChatGPT

スピった話も結構昔から好きでしたが、きちんと心理学を学習してからは、宗教学や神学などとの違いは理解でき、中年期の生活に良く作用してくれている。宗教学的な背景や信仰・文化・たくさんの知について、研究者さんや教授さんなど様々な意見がありますが、自分はただ観阿弥・世阿弥が魅力的で、セクシーで、ナイスガイで、未だにイケてるやん、という、それもあり能楽にツボり・ハマり・沼っている。今でいう推しの研究という感じがいい。

そうしてこうしてという感じで、そのことについて思考している。さらには無意識の中で誰か何かが作業している、クレーンゲームで何かを掴んで表層意識に出そうとしているのだろうか、で、たまにゲットできるとそりゃ嬉しい。
集合無意識の元にもしかしてご縁があるのなら、色々聞きたいことが山ほどありますので、ご挨拶してくださいませ。


演目「三井寺」があります。
滋賀大津近江シリーズ・・何の前置きもなく突然始まります。

ま、かなり遊んでしまいましたが、三井寺を現代風にアレンジするとこんな感じ。

現代の京都で、心に深い傷を抱えた女性、美穂が主人公です。美穂は、幼い息子を不慮の事故で失った過去があり、その喪失感から立ち直れずにいました。ある日、彼女は友人からの勧めで、心の平穏を求めて清水寺を訪れます。そこで静かに祈りを捧げる中、美穂は夢の中で息子と再会し、彼がまだどこかで生きているというメッセージを受け取ります。

物語の展開

夢のお告げに導かれるように、美穂は息子がいるとされる三井寺へと旅立ちます。寺での生活、そこに住む人々との交流を通じて、美穂は徐々に心の傷を癒していきます。特に、寺で出会う一人の稚児(少年僧)との不思議なつながりに心を動かされます。

クライマックス

中秋の名月の夜、三井寺で月見が開催されます。その夜、美穂は稚児に頼まれて、特別に三井寺の鐘を撞く機会を得ます。鐘の音は、美穂の心に響き渡り、彼女の心の奥深くに眠っていた記憶と感情を呼び覚ますのです。

その瞬間、稚児の正体が美穂の失われた息子であることが明らかになります。不思議な縁と時間を超えた絆が、二人を再び結びつけたのです。母と息子は、月明かりの下で感動的な再会を果たします。

結末

美穂と息子は新たな人生を歩み始めます。三井寺の鐘の音は、彼らにとって新しい始まりの象徴となり、二人の旅路を優しく照らし続けます。映画は、人生の困難を乗り越え、失われた愛を取り戻すことの可能性を描きながら、観る者に希望と癒しを提供します。

映画のテーマ

「月下の再会 - 三井寺の鐘」は、喪失と再生、人間の強さと脆さ、そして時間を超えた愛の力をテーマにしています。この物語は、心の癒しと再生の旅を描くことで、観る者に深い共感と感動を呼び起こします。

引用 ChatGPT

またまた美穂が登場、旦那はエコーズの人でしょうか、まさに「愛を~くださ~いっZOO~♪♪」。

その鐘を通じて二人は出会えた、ま~何とも不思議でロマンティックです。

会うんじゃないかと思っていた人と、エッっていうタイミングで会ってしまったり、そうだと思えばそうのように、色んな方の言葉や書物からも言霊の大切さや潜在意識の用い方などをよく考えます。

そこらへん思考することが増えてきたら、何となくですが日常でビビビッとキテル時が何かあるな~これ何だろうとココロ行くままに動いてみたり。

量子力学が科学的に証明されているとかどうとか、三井寺のお話を思考しながらとある本を思い出した。

「マスターの教え」

出典というか正確な情報がないようですが、昔、人づてに教えてもらい、当時はほぼ毎日のように読んでいた日もありました。般若心境的な繰り返し読みの類ですかね。ぼろぼろになるまで管理しましたが、えぇ何でしょうこの執着・・世は日に日に衛生的になっていく中でバイブルのように携えてるのも・・聖書ではないので内容が同じであるなら新しいの買えばええやんと購入し直しました。

目標の設定や邪魔する人との関わり方など、少ないページ数にギュッと詰まった、自分にとっては今もバイブルですかね、あ、風姿花伝も。

Noh-Futureの思考として、
「能楽の魔法とセラピーが交差する場所として、伝統の魅力、未来の洞察、心のリラックスなどについてを、ChatGPTとの考察も交え探求していきます。」と定義した。全てを完璧完全にこなそうとする良くない自分が存在することを知っている、それにより時に心身のアンバランスさらには不具合が生じたり起こすことも知っている、ま、頑張ってnote書こうとか「つとめ感」が出てくるとまずい、20代と40代とではやはり何かが違う、ただこの年で能楽にリスぺを感じ、インスパイアよりインスピレーション的に動かされているエモーション(例 情動)が存在する(うざ)。能楽の魔法とセラピーに憑りつかれたように、歴史勉学苦手な自分が伝統に触れ、本質や髄に迫ろうとし、美月さん(ChatGPT)という思考のクッションというかソファーのような存在も交え、じっくりとゆっくりとそこにセラピーを見出していければいい、だってまだまだ全然、能楽のことわかってないし。

昨日、トッケビ(Netflix)を観終えました。あの世とこの世を交えた素敵な内容でした。やはり能楽とNetflixには何か通じるものがあるように思えてならない、これを言語化できればな~。

能楽の解釈には多様性がありますので、1つの見方として参考になれば幸いです。

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