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なぜ専門人材は「できるけど嫌なやつ」になってしまうのか?その原因と育成のアプローチ仮説

Hello, 辻原です。2024年4月7日の現在、東京は桜が満開です。弊社の広尾オフィスでは私の席から桜が見えまして、最近はお花見気分でお仕事をしていたりしていなかったり。

桜の手前に鬼電線があるのが雑居ビル感あって味わい深い

今日は日曜ですが、桜を見ながらお仕事しており、これは広義の花見ということで、私は仕事ではなく花見をしているのだと自分と世界に言い聞かせておきたいと思います。

今回のnoteはプロフェッショナル人材の育成をテーマに書いてみようと思います。先日人と話しているときに「プロフェッショナルには仕事ができるけど嫌な奴が多い」という話題になりました。うーん…全てのプロがそういうわけじゃないけど「プロフェッショナルにその傾向が強い」のは私も実感するところです。これは専門人材育成の重要な課題だなあと感じたので、現時点での私の考えをまとめてみたいと思います。

プロフェッショナル人材の育成がミッションとなっているマネジャーや、これから超プロ人材になるぞ!と意気込んでいる方の参考になりましたら幸いです。ちなみにここでの育成対象は社会人1年目〜15年くらい、30代中盤までをイメージして書いています。(※私自身30代後半なので以降のことはまだよくわかっていない)

プロフェッショナルスキルの位置付け

当たり前ですが、プロフェッショナルスキルというのは、その人が持っているスキル属性の一部分にすぎません。

一般的に社会人として評価されるスキルは「ポテンシャル」「スタンス」「ポータブルスキル」「テクニカルスキル」の4つに分類され(リテラシーが入って5つになるケースもある)、ここでいう「プロフェッショナルスキル」は一番上のテクニカルスキルに分類されるものであることを前提に話を進めていきたいと思います。

全ての基礎は「学習能力」

多くの企業が人材採用の際に見ているのも、上記4つのスキルです。新卒の場合は「ポテンシャル」「スタンス」が重視され、中途の場合は「ポータブルスキル」「テクニカルスキル」が重視される傾向にあります。社会人経験を詰むほどポテンシャルが軽視されがちですが、プロフェッショナル人材の育成においてはこのポテンシャルが最重要であると辻原は考えています。

ポテンシャルは「学習能力の高さ」と言い換えることができますが、この学習能力が高ければ高いほど大きなピラミッドを築くことができます。1分野のプロフェッショナルとしてのテクニカルスキルやリテラシーは気が遠くなる程膨大であり、その膨大さ・広大さに挑むことができるかどうかというのは重要な指標です。

現在その人が獲得しているプロフェッショナル・テクニカルスキルがすでに過去のものであることを受け入れ、さらなる研鑽ができるかどうかはこの「ポテンシャル=学習能力の高さ」によってしか測ることはできません。

高い学習能力を支える要件

では「高い学習能力」の要件について考えてみましょう。辻原が考えるに、高い学習能力に必要なのは次の3つの要素です。

1つめの体力は最も重要な要素で、学習のためのフォーム・体勢(例:机に向かう、本を読む、椅子に座る)を長時間キープできるかどうかということです。そもそも体力がなければ長時間勉強する、仕事に向かうなんてことは不可能です。パワーイズパワー。

2つめの好奇心は体力の次に大事な要素で、「なぜ学ばなければならないのか」という愚かな質問を抱かずに済み、自らの好奇心(精神力ともいえる)で学習へ向かうことができるというのは重要な能力です。ちなみに「集中力」というのは体力と好奇心の掛け合わせによって生まれるものなので、ここでは省きます。

3つめの想像力は、学習効率を最大化するための能力です。1から1を学ぶのではなく、1から10を学べるほうが格段に効率が良いと言えます。しかしながらこの能力は当人のリテラシーの「深さ」と「幅」に左右される要素であるため、これまでの学習経験に依存することは注意したい点です。

こうした3点の視点からプロフェッショナル人材の「向き・不向き」はおおよそ判断できるはずです。そして最も重要な問題は、彼らの「高い学習能力をどこに向けさせるか」という観点です。

高い学習能力をどこに向かわせるべきか

では、プロフェッショナル人材候補にはどのような教育を行なっていけばいいでしょうか。

多くの企業がプロフェッショナル人材に向けて「専門知識や特殊技能」の獲得を奨励・支援していますが、辻原的にはまずここが間違いだと思っています。というのも、現在は知識を得る・技術を獲得するためのコストが大変低くなっており、これまで獲得するために10年現場での修行が必要だったスキルが、1冊の本を読めばOKになっていたりする。たとえば戦略思考を身につけたければ、該当するYoutubeや書籍は山のようにありますし、UXもUIもブランディングもそうです。学習能力が高い人材であればひとりで勝手に学べる領域であり、プロフェッショナル人材の前提条件にポテンシャルがあるのはこのためです。

知識の獲得については社内よりも社外のものを頼った方がコスパが良い一方クローズドな環境でしか学ぶことができないのは「ケース」です。実際の課題に対し、どのように論点を立て解決までのアプローチや交渉を行ったかは社内や限られたコミュニティ内でしか学ぶことができません。

したがって、プロフェッショナル人材に向けて教育すべきはケースの論点・解法・手引きであり、目の前の課題に対し自身の能力やスキルを武器に戦う術であると言えます。

専門知識や特殊技能に関してはAIやITツールに代替されること、学習コストがどんどん低くなりコモディティ化することを前提にした方が良いでしょう。そこにコストをかけて育成するよりは、断然スキルを用いてどのようにケースを処理しうるのかを学ばせることのほうが重要です。

ケースを学ぶうちに「自分にはこのスキルが足りない」と自省し、自ら専門知識や特殊技能を学べることがプロフェッショナル人材の最低限のポテンシャルであると言い換えても良いでしょう。

「個人の成長」と「組織の育成」の目的の違い

組織で人材育成に向かう際、個人と組織で学習や育成の結果目指すものが違うことは十分注意すべきです。これは次のような図で説明ができます。

個人が目指しているもの:キャパシティとケイパビリティの伸長による能力・人材価値の成長
組織が目指しているもの:生産性を最大化するアビリティの育成

これは個人価値の最大化と組織生産性の最大化の違いを示していますが、特にプロフェッショナルの育成においてはこの違いを十分に理解する必要があります。

というのも、プロフェッショナル人材の育成はボタンを掛け違えると、容易に「能力は高いけど使いづらいヤツ・嫌なやつ」という、いわゆるブリリアントジャークになってしまうからです。

能力は高いけど嫌なやつが生まれる原因

ブリリアントジャークが生まれてしまう理由の一つに、彼らが「専門知識や特殊技能の教育を中心に受けてきたこと」が挙げられます。「アビリティ」の視点なしに、自身の「キャパシティ」と「ケイパビリティ」の伸長にしか関心を持たない場合、専門知識や技能を最上位のもの・最も価値があるものと認識し不遜な振る舞いを喚起する原因になりえます。

さらに獲得した専門知識や特殊技能に対しサンクコストを感じるようになると、リスキリングやアンラーニングの妨げになることもありますし、持ち前の学習能力の高さがそれを強化してしまうというデフレスパイラルになることも珍しくありません。獲得したプロフェッショナルスキルは「3年くらい使える」程度に理解させた方が良いでしょう。

そのため、上述したようなケースを軸に育成を行うことでアビリティへ関心を引き寄せるべきです。自身のスキルセット育成よりもプロジェクトの成功や発揮するバリューに焦点をあてさせる支援が重要です。

まとめ

ここまで「プロフェッショナルには仕事ができるけど嫌な奴が多い」という知人との雑談から「学習能力の高い人材を、嫌なやつにさせず、どのようにプロフェッショナルに引き上げるのか」という観点でまとめてみました。そもそも学習能力が高い人材は貴重なので適切に支援してあげてね、という結論になりましたが、ここまではすべて辻原の現段階での仮説ですので、あしからず….

そのほか書ききれなかったですが、スタンスやポータブルスキルの育成も重要です。これはまたまとめようと思います。

思わず時間がかかりすぎてしまいましたが、午後はPC越しに桜を眺めるお花見を楽しみたいと思います。

Thank you! I love you.


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