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あのひとの香水は、大人の香りがした

サングラスを頭にのせて、髪をかきあげながらそのひとはやってくる。かっこいい車に乗って、都会の風をまとうそのひとは、わたしにいつもトキメキを教えてくれるひとだった。

そのひとは母の友だちで、お日さまの香りの代わりに、いつも花の香りを纏っていた。うちでは嗅ぐことのないその香りがわたしはだいすきで、母に「あの香りにして!」と駄々をこねては怒られていた。今思えばきっと高い香水だったのだろう、わたしも!と騒ぐたびに、そのひとは「大人になったらね」とウインクをした。それがまた格好よくて、わたしはクラクラしたものだった。

時々やってくるそのひとと、母と3人で出かける先は、デパートの最上階。父にも母にも連れてきてもらうことのないその場所は、見晴らしが良くて街全体がよく見えた。わあ!とはしゃぐ気持ちを抑えて、大人っぽく振る舞おうとする幼いわたし。それを見て母は笑ったけれど、そのひとは笑わずに、茶化すこともしなかった。わたしをまるで大人として扱ってくれているようで、特別な気分になったのだった。

でもわたしはやっぱり幼くて、メニューを見ては目移りして、一番ときめくのはお子様ランチ。いつも行くファミレスのお子様ランチとは桁が違うそれを物欲しそうに見つめては、母の顔色を伺う。「いいのいいの!」と豪快に笑うそのひとは、大人同士のああだこうだとやり取りをしたあとで、お子様ランチを迷わず頼んでくれた。やってきたのは、機関車の形をしたプレート。何よりもわたしの瞳を輝かせたのは、機関車の煙突からモクモクと煙が出ていたこと!ああなんて素敵、なんてワクワクするの!ドライアイスだよ、とかすぐに種明かしをするひとがいるけれど、そんなの要らない。わたしの目の前では機関車が間違いなく走っていて、シュポシュポと音が聞こえた気がしたのだ。目を輝かせるわたしを見て「やっぱり子どもだね」なんて言うこともなく、そのひとは「すごいでしょ!」と笑った。その笑顔がキラキラしているから、わたしはますますそのひとが大好きになる。

すっかり満腹になったお腹をさすりながら、母とそのひとと手を繋いで歩く。デパートにはたくさんのキラキラが溢れていて、わたしの心はときめくばかり。おもちゃコーナーに立ち寄れば、いろんなものに飛びつくわたし。そして、ネイルもお化粧も、大人になってから!とキツく言われていたわたしの目の前に現れた、おもちゃのコスメセット。たくさんのおもちゃの中でも、とびきり大人の香りがするそれは、わたしの心を掴んで離さない。その前でじーっと動けず止まっているわたしを見て、そのひとは何も言わずにレジへいく。母と口喧嘩のような、それでいて仲の良さが伺える押し問答を繰り返した後、わたしの手の中にコスメセットは現れた。「大人になったら、もっと素敵なものが溢れるよ」とそのひとは微笑んでわたしを見つめる。でも今はこれで我慢しな、とまた豪快に笑って、わたしの頭を撫でる。まるで魔法にかけられたプリンセスのような気分で、大事に大事にそれを抱えた。わたしの初めての宝物は、お花の香りが永遠にした。

この思い出を語ろうと思ったのは、友だちと電話をしたから。赤ちゃんが最近生まれたその子。電話越しで、えーんと泣く赤ちゃんの声を聞いては、自分の中にどうしようもない愛しさが溢れてくるのを感じていた。宝物だね、尊いね、と泣き声の合間に交わす言葉は、それだけでわたしたちが生まれてきた意味を知ったような、人生にお釣りがくるような感動だった。どんな子に育つだろう、ただ健康であってくれれば、と語る彼女は世界で一番かっこよくて、母には敵わないなあと思った。そして、わたしは一体この子に何ができるだろう、と考えたのだった。外の世界は広い。そして、荒波も暴風も、嵐も雷もやってくる世界で、傷つかずに生きていくことはきっとできない。その子も何かを失って、また何かを得て、きっと、傷だらけのまま生きていくことになる。そんな時、転んだ先で思い出せる宝物を、思い出というコンパスをあげたいと思った。幼い頃の記憶にあるあのひとみたいに、わたしも「宝物はこの世界にたくさんあるんだよ」と冒険の地図を差し出したいと思った。あんなにかっこいいひとにはなれないかもしれないけれど、わたしもその子の"思い出のおばさん"になりたい。トキメキとたくさん出会わせてあげたい。その子が自らの足で宝物を見つけるまで、素敵なものをたくさん教えてあげたい。

この歳になって、新しい夢が見つかるなんて思わなかった。わたしの今の夢は、"思い出のおばさん"になることだ。そして、その子が歩んでいく世界を、少しでもいいものにしたい。差別も偏見も溢れるこの世界で、わたしが今日、できることを考える。少しでもより良い明日を、より良い未来を見せられるように。明日の希望は今日の自分がつくる。愛しているよ、と精一杯伝えられるように、両手いっぱいの愛を持って赤ちゃんにいつか会いに行こう。

明日はきっと、いい日になる。まずはサングラスを買わなきゃ、ね。

追伸:ほんとうにコメント返せてなくてごめんなさい、みなさんのnoteも見に行かせていただきたいのにメンタルが死んでおります。ただ言葉を綴ることしかできないわたしをフォローしたり、スキを押してくださっている方々、ほんとうに感謝してます🥲

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