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日記、ときどき本|0501-0507


0501|『本』がほしいのだ

例えば重たい本がある。一ページあたりの紙がとても厚い本がある。ページ数に対してとても値段の高い本がある。そこに出版社がどう読ませたいか? というメッセージを感じるというのである。確かに重たい本は、ずんっと本棚にいて、その存在感を主張にしてくる。ページの厚い本は、捲ることに少し神聖さをもたらす。逆に安くて薄い紙の本は、それだけその本を流布させたいという気概を感じる。そう思うと、私は『本』を買っているのだな、と思う。その本の内容や情報は電子書籍でもわかる。なんなら要約サイトを見てもわかる。そうでなくて、わざわざ『本』を買うのは、私は内容だけが欲しいのではなくて、装丁や紙質、手触りや重さ、その本のすべてを示すモノとしての『本』が欲しいのだと思う。


0502|思い出す

朝一は訪問がなかったので、自宅待機。仕事をしながら『葬送のフリーレン』をつけておく。試験編が終わった。面白い。シュールな部分とドバァーっと派手に戦う部分の両者があっていい。それに「思い出す」という構成がよい。場面場面でフリーレンが思い出す、何気ない言葉、エピソード。いまのフリーレンが、それらの出来事でできていることを感じさせられる。


0503|両方読む

夜は推し本紹介インスタライブ。私からは『センスの哲学』『利他・ケア・傷の倫理学』を紹介した。めずらしく小説がない月。たまにガーっと哲学書や人文書を読みたくなる。哲学書らは、現実や小説で見たような複雑な関係を抽象化して、「こういうことだったのかもしれない」と思わせてくれるから好き。自分で考えることはとても大切なのだけれど、自分の求めている言葉は実は他者にあるかもしれず、その言葉を知らないうちはそういう風に周りを見ることすらできない。小説は、自分の見方や考え方を教えてくれる。哲学書は、自分の見方や考え方を広げてくれる。そういう風に両方読んでいきたい。


0504|映画会

夜は映画会。課題映画は『予告犯』という邦画。意外にも話は社会的弱者とか、努力とは社会の要請ではないかとか、資本主義だとか、そういうところまで話が及んだ。主催側として、もしかして時間が余るんでないかとヒヤヒヤしていたのだが、みなさんが盛り上げてくれて、なんとかやり切ることができた。後半は、互いのオススメ映画を紹介しあって、その中から次の課題映画を選ぶ。次回は『時計じかけのオレンジ』に決まった。以前に挫折したことのある映画なので楽しみだ。


0505|「僕はこう思う」

インスタ繋がりの友人たちと飲みに行く。彼らは哲学が好きで、日記を読み返すとちょうど一年前のゴールデンウィークに初めて対面で会ったらしい。それから年間を通して数回会っており、今日もその繋がりの延長のようなものである。
18時くらいから23時くらいまでぶっ通しで話し続けた。面白い。彼らとの話のなかで「僕は」の話をしたいよね、という話になった。「誰々がこう言っていた」「一般的にはこう言われている」ではなくて、「僕はこう思う」。コンプライアンスが肥大して、言ってはいけない言葉が「一般化」されつつあるけれど、時間をかけて対話を繰り返すことは、目の前の「僕は」のケアにつながるのではないか。そう思えた。聞いたり、聞いてもらったりできる時間は愉しくて5時間という時間も相対的に早く過ぎた。


0506|不快であるべき映画

『時計じかけのオレンジ』観る。次回の映画会の課題映画となっている。
この映画、大学生時代に一度チャレンジしたことがあるのだけれど、意味不明すぎて挫折した映画でもある。自分がまだアクションだとかミステリだとか、わかりやすい刺激を求めていたせいもある。あれから10年くらい経って、やっと全編観ることができた。見終えての感想は一言「嫌悪感」である。暴力や性暴力が横行している近未来を描いている作品なので、必要な演出なのだとは思うのだけれど、とにかく不快なのである。作中、主人公はある治療のために、たくさんの不快な映画を見せられる。もしかすると、この映画自体がある種のそういった矯正映画に思われた。だからといって、ただの説教映画に終わらず、物語としても一転二転するから、やっぱりちゃんと「映画」だった。賛否両論、今も語り継がれる映画であることが理解できた。ラストのあと、どうなってくんだろう。


0507|有害な男性性を描いたドラマ

Netflixで『私のトナカイちゃん』を見はじめる。コメディアン志望の男性が、ある女性からストーカー被害にあうという物語。全7話だけれど、1話が30分程度なので、次々と見てしまう。ストーカー女性マーサが猛烈に怖い。どんどんエスカレートしていく様はホラー。ところが途中で主人公男性の過去やトラウマが明らかになっていく。なぜストーカー被害を広げてしまったのか、ただのサスペンスに終わらず、心理面にまで入り込んでいく。女性から男性へ、というのが一味違う作品だったように思う。全てを見終えれば、この作品はストーカーよりも、男性の「強くなければならない」「弱さなど見せられない」という有害な男性性を描きたかったのかなと思った。

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