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三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』|読書とはノイズである



映画『花束みたいな恋をした』を下敷きに、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を論考していく一冊。サブカル好きが高じて付き合うようになった麦(菅田将暉)と絹(有村架純)。しかし、社会人となって働くようになってから、麦はサブカルから離れていってしまう。そこから着想を得て書かれたのが本作らしい。


日本の読書史を振り返っていく構成がすごい。印刷技術の発展によって本が市民のもとに明け渡されてから、現在に至るまでの日本国民の読書の変遷を描いてくれる。見えてくるのは、本とともにいつもあるのは『資本主義』だということ。いつしか本や教養は、「ビジネスとして有用だから」読まれるようになった。


『花束〜』の麦も、社会人になってから自己啓発書ばかりを読んで、“情報”だけを吸い上げていく。社会人にもなって、文学やサブカルに時間を使うのは「コスパが悪い」から、麦は好きだったサブカルを捨ててしまう。全身が資本主義に浸かってしまい、時間までが資本へと還元されていく。


読書はノイズである」という一文が心に残る。

“情報と読書の最も大きな差は、知識のノイズ性である。読書で得る知識にはノイズー偶然性が含まれる。”

なぜ働いていると本が読めなくなるのか p.211


自己啓発やYouTubeのまとめ動画はタイパがいい。でも、そこにあるのは「有益か?」だけで判断される“情報”である。しかし、読書には“ノイズ”がある。欲しい情報、得たい情景のみならず、読者のあなたにとっては無駄な文章が書かれている。しかし、


“私たちは、他者の文脈に触れながら、生きざるをえないのではないか。つまり、私たちはノイズ性を完全に除去した情報だけで生きるなんて無理なのではないだろうか。”

なぜ働いていると本が読めなくなるのか p.227


ノイズとは、他者であり社会。本当はアンコトローラブルなものばかりで周りは溢れているのに、わかりやくて心地のよいものばかりを私たちは求めてしまう。コスパやタイパを率先することは、すなわち他者との関係を削ぎ落とすことに似ている。極限までノイズを削ぎ落としていけば、私たちは、関係する人たちまでをも益・無益の判断で削ぎ落とし、また削ぎ落とされていくことだろう。


本書は、働くことを否定しない。けれど、全身全霊ではなくて半身半霊で働こうと提案する。ノイズに触れるためには時間がいるし、せめて半身がいる。自分の人生すべてを資本主義に委ねるのではなく、せめて半身だけは自分のテリトリーとして守ろう、と言う。


『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』。
日本の読書史を資本主義に触れながら網羅しつつ、ノイズに触れるためのメッセージのこもった、とても面白い本でした。



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