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クモと友達になるのも、いいかもしれない

トイレに行こうとしたら、壁に小さくて黒っぽいものが見えた。
よく見たら、虫のクモだった。なんか、この前逃がしたヤツに似ている気がした。

私が見ているのにあちらも気がついたのか、クモの動きがピタッと止まった。さっきまで歩いていた気がしたのに。両者に緊張感が走った気がした。

私はクモに話しかけた。「出口はあっちだよ」
玄関を指すと、クモはそちらに向かって、壁伝いに歩き始めた。「言葉が通じた・・・!」と、私は嬉しくなった。

玄関に若干近づいたものの、クモはそこからなかなか進まなかった。私は自分のトイレも放っておいて、クモを見ていた。

こうやってじっと見ていると、クモもなかなか可愛いヤツだ。
小さめのクモだから言えることである。大きめのクモは無理だ。
でも、ちょこちょこと手だか足だかを動かすのを見ると、愛しい気持ちがわき上がってくる。

ふと、「クモを飼う場合何を食べるのか」と疑問に思い、調べてみた。
すると、ハエやゴキブリなどの害虫を食べるとのことだった。クモは人に嫌がられがちだけど、人にとっての害虫を食べている、という事実に色々と考えさせられるような気がした。
こちら側は嫌っているが、彼らは私たちの役に立っている。「役に立っている」というのは、なんか偉そうな言い方でしっくりこないけど。
とりあえず、あのクモに砂糖をあげるのはやめようと思った。

「ほら、出口はこっちだよ。帰れるよ」と言ってみても、彼はそこでじっとしていた。たまに下に動いたりくるっと回ってみたりしているが、玄関まではどうしても行かなかった。

「外に出た方がいい」というのも、人間のエゴなのかもしれないと思った。
帰りたいときに帰ればいいさ。そう思ったので、彼を置いて私は水を飲みに行った。

彼のことを忘れかけた頃、洗面所でまた再会した。その後、トイレに行って戻るといなくなっていた。
彼はまた、来てくれるだろうか。いや、まだこの家にいるかもしれない。

後日談
その日は、家にひとり。体調が良くなくて、精神的にも調子が悪かった。「どうせ私なんて・・・。フンフン」みたいな、絶望的な気持ちに陥っていたときだった。
階段を降りるとき、壁に彼がいた。まるで大好きな友達を偶然町で見かけたときのような、嬉しい気持ちだった。
「あんた、まだいたの~?」と話しかける。彼は、私が寂しいのを知って会いに来てくれたんじゃないかとすら思った。彼と言葉を交わしたときだけは、絶望的気持ちが吹き飛んだような気がした。

寂しいとき、辛いとき、なんかキツいとき。そうでない時も、たとえ人間以外でも友達を作れば、少しは日々が楽しくなるかもしれないと思った。

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