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努力と環境

こんにちは、Tsubasaです。
授業もWeek 3に入りました。今期は2つしか授業を取っていないので、だいぶゆったりとしている感覚です。だからこそ自分で律していかないとだらけてしまいそうです。

さて、タイトルにある努力と環境の話をしたいと思います。散文です。

これはわたしが日本にいるあいだにTwitter(現X)で話題に上がっていて、要は「努力できる環境って平等には与えられないよね」ってことだとわたしの中では理解しました。

 努力って誰しもができることだとは思うんですが、それが環境によるアドバンテージに勝ることはあまり多くない。そもそも努力なんて、努力に集中できる環境じゃないとできない。世話する対象の人がいる、自分以外に優先すべき人がいる、自分を犠牲にして努力するレーンから自主的に離れる人もいるはずです。

わたし自身は恵まれた環境に生まれたときから置かれていたと思います。首都圏に生まれ、大卒・国家資格持ちの両親に育てられた。姉妹も含めて中学から大学まで私立に通った。それはわたしの両親の努力の結果なのかもしれません。
恥ずかしながら、それを当たり前だと思っていた時期がありました。自分の成績や才能は自分の努力の上に培われていたものだと考えていた。環境によって駒があらかじめ進められていたことに気づかなかった。

わたしは冷たい人間なので、自分が恵まれている立場にあるから他の人に何かしてあげようという気持ちにはならないのですが、せめて自分の大切な人たちだけは何か還元していきたいです。それがここまで教育の機会をもらった人間としての、せめてもの存在意義になるのではないかと思っています。

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