見出し画像

南の石膏 北の白亜

― ヨーロッパ絵画における下地塗料について ―

○油絵などを描く際の下地塗料として「ジェッソ」があります。この「ジェッソ(gesso)」、本来イタリア語で「石膏」を意味する言葉であり、その昔イタリアの古典の画家たちがテンペラ画や油絵を描く前に、支持体への下地塗料として石膏(硫酸カルシウム)の粉と膠水を混ぜ合わせたものを使っていたことに由来しています。イタリア初期ルネサンスの画家チェンニーノ・ダンドレア・チェンニーニ(Cennino d'Andrea Cennini: c.1360- c.1427)も、自身が書いた技法書『芸術の書(Il libro dell'arte)』の中で、石膏(gesso)と膠水による下地塗料を紹介しています。

○『芸術の書(Il libro dell'arte)』の113章よりチェンニーニは絵画に用いる板の準備について詳しく書いています。

○『芸術の書(Il libro dell'arte)』英訳版

 イタリア半島を南北にはしるアペニン山脈には石膏の堆積層が存在し、麓にあるボローニャはイタリアにおける石膏の採石場の一つであり、今でも画材として「ボローニャ石膏(Gesso di Bologna)」の名称で天然に産出する二水石膏の粉が売られています。

○イタリアからアルプスを越えて場所を北に移すと、北方ルネサンス絵画、殊に今のオランダやベルギーおけるフランドルの画家たちは石膏ではなく「白亜(炭酸カルシウム)」を使っていました。初期フランドルの巨匠ヤン・ファン・エイク(Jan van Eyck: c.1395- 1441)の下地からも化学調査において炭酸カルシウムが検出されています。

 例えばヤン・ファン・エイクが自身の妻マルガレーテ(Margaret van Eyck: 生没年不詳)を描いたとされる『マルガレーテ・ファン・エイクの肖像』の下地は「白亜」と公表されています。

 ヨーロッパにおいて白亜の地層としては、イギリスのケントにあるドーバー海峡の白い崖が有名であり、大陸から船でブリテン島へ渡る際、まず始めに眼前に広がるこの美しい白い崖が印象的であったのでしょう、古代ギリシア語の「白」を意味する" Ἀλβιών "を語源とする「アルビオン」はブリテン島の古くからの雅名となりました。
 フランス側の対岸にも白亜の層を見ることができます。白亜の採石地にフランスのムードンがあり、天然白亜が「ムードンの白(Blanc de Meudon)」や単に「ムードン」という名で販売される由縁にもなりました。フランスでは現在でも「ムードンの白」は買えますが、家庭内のお掃除用品として販売されていることがあり、日本でいう「クレンザー」のような「磨き粉」として使われるようです。用途の欄に「洗浄剤」と「絵画の下地」が一緒に書かれているのを目にしたことがあり、随分な万能ぶりです。

 フランドルの画家たちが下地に用いたこの「白亜」、英語にすると「チョーク(chalk)」、フランス語では「クレ(craie)」であり、皆さんご存じの黒板に書くあの「白墨」を示す言葉でもあります。つまり、言葉に対するイメージにおいて「石膏」と「下地塗料」が結びつき、「白亜」には「白墨」が結びついていったのです。

 以上のように、地質的に南では「石膏」が、北では「白亜」が採れることが、それぞれアルプス山脈の南北で下地に用いるものが別れる大きな要因になったといえるでしょう。

内野
燕画塾 講師
○トップ写真:ドーバー海峡のイギリス側にある
 白亜の「ドーバーの白い崖(White Cliffs of Dover)」です。
○このページにおける文章をはじめとする
 内容全ての無断転載および無断引用を禁止致します。

○燕画塾 Home page

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?