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あの日の味噌汁

思わぬ主役


うちの人に、今晩は何が食べたいのかを尋ねると、決まって
「あなたの作ったお味噌汁かスープ」
という返事を貰う。いつもいつも、私の作ったお味噌汁は本当に美味しい!と大絶賛してくれる。普段出来る限り、酵素の面を考えて生で野菜を食べる私にとって、お味噌汁は"古くなりつつある野菜達の最期の楽園"であり、味噌汁の為に何か特別な素材を使っているわけでもなければ、どちらかというとそれは、クズ野菜の処分場といったところだ。

でも。

考えてみると、あの人もこの人も、料理の話題となると必ず、メインディッシュそっちのけで、実家の母が作る味噌汁の味や、妻の味噌汁の話をする事が多い。添え物のようにいつも登場するそれが、実は一番のフィクサーだった!なんて、ハードボイルド小説のようで面白いね。


数日前の話だ。
他のファミレスとは少し違い、和食を中心に出すFC店で久しぶりに会う次女と二人で食事をしていた。通されたのはレジすぐの裏手の席で、最近の学校の事などをおかずに花を咲かせていると、年配の男性がひとり、レジに近づいてきた。スタッフが精算作業でレジに駆け寄ると、その男性が
『数か月前にうちの妻が亡くなってから自分で飯の支度をしているけど、こんなに手抜きのまずい味噌汁は食べた事がない!あの味噌汁も会計に入れるつもりか』
と大きな声で怒り始めた。次女はその声で縮こまりながら、目の前に椀に手を伸ばし、一口すすってから私の目を見て小さく「ほんとだ」と言った。目が笑ってた。スタッフが、他のお客様もいらっしゃいますので……と汗をかきかき、平謝りしている中、私も改めて味噌汁を口にした。「ほんとだ!」
思ったより大きな声が出て、次女が声を出して笑った。

FC店なんてそんなものだろう、と思って口にしていたので指摘されるまで気づかなかったが、メインはそれなりに美味しいのに、味噌汁が恐ろしくまずい事に気がついた。何を目的とするか、どこに期待をするかで変わってくるのだろうが、その一件があってからという物、物事は取るに足らないような事ほど力を入れて取り組むべきだ、と勉強させられた。

それから和食のテーブルマナーとしては汁椀が一番先頭にくるので、これが美味しいか否かでその次に手が伸びるかどうかが決まるように思う。トップバッターがそれでは……と思わせてしまうと、後が思いやられる。案外、その座は、重要だ。

三人組+one

さて。
うちの人が大好きな私のお味噌汁物語に話を戻そう。私には様々な事情があり、早10代で家族も実家も、捨ててしまった。料理を習うような暇もなければ、家の味なんてほぼ記憶にない。そんな私が美味しいお味噌汁を作れるようになったのには理由があった。

20代の頃、生まれ故郷とは縁もゆかりもない滋賀県で過ごしていた時の事。10代で家を出てからは好き勝手に色んな街で暮らしていたが、その後、実の父が滋賀で暮らしているという理由だけで、なんとなく行きついた場所が滋賀県だった。独り暮らし、バイトで生計を立て平日は仕事、週末には歌をうたっていた。お隣の京都でも歌わせて頂いたりした。たまたま、そのお隣の京都に、生まれ故郷で仲良くしていたお友達三人組の中のひとりが暮らしている事を知る。

お友達の三人組、というのは、いつも三人でいた男の子たちの事だ。あの時代、LGBTは恥ずべきものであり、隠す必要があり、誰にも知られてはならないような事だったが、そのお友達三人組は男の子ながら三人とも美しく、それから、三人ともゲイだった。彼らは男性の身なりをしているが、恋愛対象はもっぱら同性の男の子。若くから、危険な色気が溢れている!と言われ続けていた私にとって、本当に居心地のよいお友達だった。私に恋愛感情があるなしにかかわらず、田舎の暇な男たちは隙を見せると悪い事をしてやろうと近づいて来る。そんな時、見た目は男の子の彼らと一緒にいると、あぁ彼氏がいるんだな、と思って無駄に手出しをしてこようとしない。そして彼らもまた、私と同じように男性が好きなので、私達の間もこじれない。バッタリ道で彼らの親に会ったりしたら、私の事を彼女だと紹介出来て、色々が自然にカバーされていく、そうした良い関係で成り立っていた。

大人になってみんながそれぞれの道を選んだ事は聞いていたが、内の一人がまさか京都に居たとは!となり、よくふたりで遊んだ。私は彼らの事を人として大好きだった。その三人組は、通称ビスコ、ベリー、ミルキーと呼ばれていて、京都にいたのはミルキー、その人だった。細身の体にベロア素材のジャケットがよく似合い、緩いパーマをかけていて、煙草の代わりにチュッパチャプスをくわえているような男の子だった。

知り合いに道でばったり出くわすと
「ちょっと!彼氏!?!?めちゃかっこよくない!?!?」
とよく言われた、自慢の友達だった。でも私達が話すのはいつもお互いの彼氏の話で、私は好きだ嫌いだで悩み、彼らはいつもその恋の行きつく先に悩んだ。好きになっても好きだと言えなかったり、叶ったとしても結婚は許されないし、親は孫をみたいとうるさい、といつも言っていた。私が全く、生まれ故郷の話をしない事をミルキーはとても不憫がっていた。なんせ、狭い町の事だ。嫌でもご近所事情は耳に入ってしまう。
『私らは私らで大変だけど、あんたんとこも、親が離婚してから散々だったわよね、可哀想に』
とよく口にしていた。寂しくないと言えば嘘になるけど、私はまだ若かったし、新しく続いていく道の方にしか目が向かなった。

『ビスコは本当の自分を隠すのが嫌で、揉めに揉めたけど、母親にだけはカミングアウトしたみたい。今では姉妹みたいに、お父さんのいない間は二人してきゃあきゃあ言いながら、ショッピングしてるわ。私はもう両親がよい歳だし、もしそんな事知られたら、息の根止めちゃうかもしれない。だから、言えない』

そんな悲しい事があるのか、と思った。ただ生まれただけだ。誰かを好きになっても好きだと言えない事や、決まったように許されない事、その先もない事、愛する事は悪い事じゃないのに、どうしてそれが許されないのだろう。例外を許さない社会や、普通を普通として押し付けてくる事の周囲の理解のなさを若くして私に教えてくれた彼らだった。

ミルキーは美容系の職についていたのでお洒落にも詳しくて、仕事先で出来た同性の友達よりも頼りになったし、内面もとても美しい人だった。当時の彼の住まいは、彼の勤め先の店舗の上階で、店のオーナーにはご家庭があるけれど、実はひっそりと彼と愛を育んでいる、お互いに好意を寄せあっている、そんな二人だった。オーナーさんは異性も同性もどちらも愛せる方なのかを尋ねると、その辺りは彼自身と似ていて、周囲もあってそうしているけど本当は同性が好きな人だ、と言っていた。ただ好きなだけじゃダメで、同性が、とか、異性が、とか、誰かを好きになるだけで枕詞が必要になるのって、何の意味があるの?ただ好き、で、よくないの??と私がキョトンとしていると、私のそういうまっすぐなところが好きだ、と笑ってくれた。

あの日の味噌汁

ある日の事。
何があったのだか今ではもう思い出せないが、あの時、私は本当に思い悩んでいて、彼がたまたま連絡をくれた時に、もう生きてるの疲れた!と嘆いたに違いない。なら私のとこにいらっしゃいよ、ご飯くらいならご馳走するわよ、と言ってくれた。すぐさま電車に飛び乗り彼宅に身を寄せると、二階からはとても良い香りがしていて、死にたいと嘆いてた割には体は正直、お腹が鳴った。木製の狭い階段をあがると、これまた狭い台所にミルキーがたっていて、そこら辺散らかってるから適当に片づけて好きに座って、と言った。でも、台所の手元が気になる。後ろからそーっと覗き込んだら、ネギを器用に斜めに刻んでた。

ご飯をご馳走する、と言われたそれが、手料理の事だったとは思わなかった。華やかで美しく少し陰のある人は、高級でお洒落なお店に詳しかったし、私よりも稼いでいるからお酒でも飲んでパーッとやっちゃいなさいよ!という意味なのかと思っていたら、エプロンなんかして、トントントンと小気味よい音でネギを刻んでいる。

『これはオーナーが仕事終わってから食べる分。あの人は仕事で遅くなるけど、私の料理の腕は褒めてくれるの。これで良かったら、食べてって』

と、ネギと油揚げのスタンダードなお味噌汁と炊き立ての白いご飯、お魚の煮つけを出してくれた。誰かの手料理を食べる機会がなかった私は、好きな人に好きっていう以上にドキドキした。嬉しさを表現する事はあまり物を知らない人のする事なのかもしれない、と思っていたその頃の私は、それがあまり表に出ないように平気そうな顔をして、いただきます、と手を合わせ、お味噌汁を一口。

「うんまぁ!!え!!なにこれ!!」

美味しすぎて語彙力が低い上に、さきほどまでドキドキして固まっていた心がほどけるような味で、次は涙が出ないように食べ続けるという武者修行。そのお味噌汁が大変美味しくて、どのお店にも出せない味で、何が違うのだろう、味噌かな?と思ったけれど、冷蔵庫の中を見るとスーパーに売ってある普通のお味噌で、何がどうでどうなっているのかさっぱりわからなかったけど、本当に本当に美味しくて、あまりに何杯もおかわりするものだから、後で戻ってくる予定のオーナーの分もう一回作らなきゃ、と言ってミルキーが笑った。ごめん、食べ過ぎてる、ごめん、でも本当に美味しい、ごめん。

そう言いながら食べる私を見てミルキーは、たまには実家に帰った方がいいわよ、と一言いったので、私はがむしゃらに食べ続けていたのに、結局、泣いた。ミルキーがそこでそう言ったのには理由があるらしく、おだしをとっている物の類が田舎から送られてきた海のものだ、という事だったらしい。その味に馴染んでいるのであれば、たまに田舎に帰りなさい、体こわすわよ、そんな意味だったようだ。たらふく食べて、ちょっと泣いて、悩んでる事なんか忘れて、私のところにお嫁さんに来て欲しいくらい美味しかった、という感想を述べて、元気でほくほくしながら家にかえった。

その日からお味噌汁を美味しく作るには、という事と、生まれた場所の味には馴染みがあり、いつもの数倍は美味しく食べられて元気になる、という事がわかって、普段は野菜の処分場でも、特別な日のご飯の支度をしてあげる時には、その人の産地と食材の産地なども計算しながら準備をする事にしている。医食同源、土地の物はその人を元気にする。


気持ちの処分場

その後、連絡をする間もなくバタバタと過ごし、彼氏が出来たから関東に行くねと言って、私はあの街を出た。数年たって落ち着いたので彼のいたお店に連絡をしてみたら彼はもう辞めてしまっていて、それでも私の事を気にかけていたという話と、連絡があったと伝えて下さるとの事だったのでお願いしたところ、彼から一通の手紙を頂いた。田舎に帰って元気に過ごしていると書いてあったものの、その文章の運びから、あまり彼らしくないよそよそしさが伺えたが、色々抱えている私達の事、深追いはよして、その見える部分だけを信じようと思った。

それから。
また数年がたち、たまたまFacebookで彼を見つけたが、そこには子供も一緒に映っており、気の強そうな奥さんのコメントも載っていて、そこにいたのは、私の知っているイキイキとした彼の姿ではなく、少し閉ざしたような表情をしている彼だった。

「人って何のために生きてるのかね」
一言、口をついて出てしまったので、元気にしてるか、や、幸せそうでなによりです、等という下世話なコメントもせず、何も見なかった事にして、煙草をくわえ、デスクトップを閉じた。

"元気そうで何よりだけど、あなたがあなたらしくないのを知って、見るに堪えませんでした。今度、私のお味噌汁をご馳走するので、気ままにひとり、会いに来てくださいませんでしょうか"

下世話過ぎて、言えない言葉。そのままでは生きられなかったあなたへ。
私は元気にしています。いつも、あの頃のままです。
美味しいお味噌汁を教えてくれて、ありがとう。

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