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順序

頂けたお休み

2024年5月2日。
仕事も幾つかを掛け持ちしすぎたせいで、なかなかゆっくりとした休みが取れなかったが、今年は仕事を前倒しで終えた事もあり、人並みには頂けたGW。主人の実家への帰省に誘われもしたけれど、あいにく昨年にあった親族間での問題も山積みだろうと踏み、今回はご遠慮する形で犬と私はお留守番。

私の方も年始からバタついてしまい、なかなか会うこともままならなかった友人と再会。会いたかった人に出逢える休みは良い。

久しぶりに会った彼女は暑くなるのに、ネックウォーマーを巻いたままで、以前から風変りではあったものの、とうとう体温調節機能までやられたのか……と思っていると、首頸椎ヘルニアでコルセットをしていた事が判明。少し会わなかっただけで、人はいろいろ、やらかす。

商店街を歩きながら、適当に「タバコが席で吸えそう」な居酒屋に立ち寄る。今日は"近況報告と顔を見る会"として、お互いに長居する気もあまりなかったので梅のサワーとキウイサワーで乾杯。一杯で三杯分は楽しめるメガジョッキなるものを店員さんに勧められたが、そんな事をすると久しぶりの席が台無しになってしまう。おとなしく、普通サイズを注文。いつもは熱燗を頼む彼女だったが、さすがにこの季節の首元の飾りは暑いらしく、ご苦労な事であった。

若い頃は女二人も寄れば、やれ仕事が、新しい出会いが、化粧品がどうしたと周りの客同様、威勢よく声を張って語りつくした物だったが、現在(いま)となると静かで落ち着いた場所がどこよりも居心地がよく、自分でもこんな風に年を重ねるとは想像してもいなかった。

なかなか会えなかった、連絡が取れなかった、にはそれなりの理由があり、彼女は介護で田舎に帰っていた。私は私で、新しい仕事に精を出すあまり、連絡をする機会を失っていた。気づけば私たちは、親の介護問題に振り回される年齢となった。

家の中のドラム缶

もとは京都で、夫婦二人暮らしをなさっていた彼女のご両親も老齢となり、これ以上は頑張れないと思われたか、親類縁者がお遺しなった他県の【もう使われなくなった空き家】へ引っ越されるとの事。そのため、そちらへ付きっ切りだったらしい。入居する予定の空き家へ行ったはいいが、雨漏りはあるし、風呂場のタイルは剥がれ落ちているし、業者にはお願いせずに、仕方なく大工作業に追われていたとの事。

自分以外の事で世話が焼けるのは、時に面倒な事だけど、世話を焼ける人を持つという事は善いことだよ、と私は言った。人はいつでも誰かに迷惑をかけて成長する生き物だし、縁は簡単に作れても、続くかどうかはそこにある愛による。私はそうしたものを持たないので、いつもどこかすぅすぅと隙間風の吹きこむ、寂れた家屋のような心情だ。

先の写真を見せて頂いたが、風呂場は想像以上にはるかに美しく、聞くと、彼女が生まれる数年前に改装されタイル張りにはしたけれどその前は五右衛門風呂だったと言うので、ふぅん、と返事をしたけれど、それもまた可笑しくて

「いま私普通に、ふぅん、なんて返事をしたけど、この会話、若い子が聞いてるとチンプンカンプンだろうね。なにそれって(笑)」

「確かに(笑)テレビでたまにみるけど、ああいうのっていつも原っぱだから、そんな物が室内にあるって方が不思議かもしれない。お宅のご主人さえ知らないかもね(笑)入り方も知らなきゃ、存在自体、知らないかも。」

私のご主人は、10歳以上も下なので、きっと知らない。たかが10年、されど10年。例えば2011年の3月10日に天寿を全うしたとしたら翌日に起こるあの大震災は知らない。たった一日、その差で、生きる時代はかわる。知っているのと、理解すること、これには大きな違いがある。

私は二杯目のトマトサワーに手を伸ばした。

但し、給湯は進化しておらず、いまだ薪をくべる方式であるので、母は火種になるものであれば、必要ないと思うとなんでも燃やしてしまう、との事。

「そのうち、家が削れてなくなるよ(笑)」

そんな話で笑った。

夢みる掘り炬燵

そこで話題に出たのが【もう数十年も前に埋められた堀り炬燵】の話だったのだが、掘られているくぼみ部分に当時の要らないと思われる本を詰め、そこに上から板を敷き、畳を被せたからお宝が眠っているかもしれない!と彼女は言った。近代文学好きの私には恰好のネタの投下である。

「お母さん、止めて(笑)燃やす前に教えて(笑)」

「これ要らないからって外にくくって出してあった森鴎外の量の多さにはびっくりするよ!」と彼女。

「ははは(笑)川端康成もだよ!恐ろしい数あるから。書かずにはいられない病。そない言いたいことも書きたいこともないだろって(笑)」

私たちは二人、開かずの掘り炬燵にはどんなものが眠っているのか夢中になった。

「でも、箸にも棒にもかからないものだったらそれは燃やして?(笑)」と私。

「箸にも棒にも……例えば?」と彼女。

「箸にも棒にも、は、日立掃除機の紙パックの交換方法だとか、電子レンジの仕様書だとか。書籍となるとWINDOWS98の使い方とか!」

と私が言うと、彼女が腹を抱えて笑った。世の中にはどう頑張っても、薪としてしか使えない本がある。できれば私も一緒に開きに行きたい。私のいまの夢は、彼女の実家の下に眠る。

目に見えぬ刺客

昨年からSNS上で、鍵のついたアカウントからの引用リツイートを受けており、その気持ちの悪さたるやない、という話になった。お互いにフォローしあっていたら、自分のポストの上に何か言葉を被せられてもそれは見えるが、こちらがフォローしていない限り、それは見えない。

誰かにそのポストを見せたいのであれば、ただのリツイートで済む。が、こちらが見えないのをよいことに、何か一言いってやろうと思ってやっているのが丸わかりで、とても気持ちが悪い。昨年などは、一日のすべてのポストを上から下までやられた。人の生活にケチをつけていないで、自分の至らなさに目を向ければ?と思う反面、何か言いたいことがあってこれをしているのかと思うと、私自身の至らなさもそこにはあるのだろうと思い、どちらにしてもこの問題は「出てきて話をしない限り、解決にはすすまない」のであり、礼を言うにも謝罪をするにも出来ぬ状態である。

あまりにひどいようであれば、SNS上でも防犯の観点があるので、ストーカーとして警察も取り上げてくれる。

SNSは私の主人もしているので、何か私に悪さをしてやろうというような陰の存在や事実があるのかどうかを問うと、答えは
【愛しているのはあなただけだし、そこは信じてよ!】と、私に疑われているという事に、彼は少しの憤りを見せた。

「こんなに愛しているのに信用がないなんて!っていうこの言葉、それとこれとは別だと思わない?」と彼女に話す。

「年代と時代のもたらすもの(笑)」と彼女。

昨今、他人の不倫問題で、浮気は敵!不倫は終身刑!のように人を非難する事が多くみられるようになった。私たちの時代、私たちの考え、それが正しいとは言わないが、私たちの時代には「お妾」というのがいて、それが非常に気持ちの悪い関係性かと呼ばれるとそうでもなかった。

数日前に宮本輝氏原作の「泥の河」についての映画レビューをポストするとこれがまぁ好評で、戦後の産業革命が起きたすぐあとには、まるで命という価値に違いでもあるかのように、多くの経済格差が生まれた。

誰かに養われないと生きてはいけない人たちも沢山あった時代の事だ。お妾さんがいて、妾養子なんていう物もあり、実際には正妻と妾の間には、忌み嫌うような実態もあったのかもしれないが、助け合いはそのように行われていたので(揉める事があるとすると財産分与の観点が非常に大きかった)
この部分については、私自身がお妾さんの子ではないので、それで迫害されたり、いやな思いをなさった方には、悲しいけれどそれもまたひとつの生であり、それがなければ死んでいたのかもしれないし、生まれもしなかったのかもしれないのでお母さんも軽はずみに考えられた事ではないであろう、護られたのではないか、としか、私には言えないが。

その辺りからも、私はそういう状況を忌み嫌ったりもしない。人はものではないので、好きなようにするんだろうし、困っている人に手を差し伸べたつもりが、結果的にそうなった、そうしたそれらをいけない事だと捉えた事はない。その状況があったとしても、正妻は正妻であり、その垣根を超える事はない、そうして回っていた暮らしがあり、それらを知っていて理解もし、同じように大きく育った人たちを知っている限り、あの時代、それは生きるに準ずる、それだけの事でありそれ以上でも以下でもなかった。

信じる、というのは、自分の愛した人のする事を信じる、であり、愛しているから信じてよ、は、また少し、話の違う別ものである。裏切りはないから信じて、というのも、それで裏切られたとこちらが感じない事には裏切りだと認識もされないので、悔しくもなんともない。何かそうすることの必要性があったのであろう、そうして終わっていく。

私に迷惑がかからなければそれはお二人の問題であり、私には関係がない。ただ、極端に生活を左右してしまうような事であれば、それは問題となるので、尋ねたまでだった。しかし、私が尋ねた事で、機嫌を損ねた。

人は所有物ではない。愛について考えるとき、世の中の擦り切れつつある助け合いを考える。そのような話をしていると、彼女は

「あぁ、確かにねぇ。あんまりそういう事に私ら世代が目くじらを立てないのは、世代や時代もあるのかもねぇ。昔はどこの子だろうが、そうした事もあったわけだし。これはこういうもの!と決めてしまうと、マウントの争奪戦が繰り広げられて、立場を理解できない行動に出てしまうってのはあるのかも。まぁ、だからと言って、彼が呼び起こしたものとは断定ができないけど、尋ねるくらい、別にねぇ(笑)

関係ないのに勝手に恨んでる人、たくさん、いそうだもんね。前の人とか、それにまつわる人とかさ。昔っからあなた、変なのに目ぇつけられやすいんだから、気を付けないと(笑)」

「そうでしょ?それが悪いなんて攻めもしてないじゃん。そんなのどっちでもいいよ、っていうと、今度は、どうせあなたは俺の事になんて興味がないでしょ?って来る。そもそもの愛の定義が違うのよ。ほんと、どうかしてるわ、忙しいのに(笑)」と私。

「年下、大変だね。まぁだからって?いまから年上探すとなると、介護職になっちゃうから、余計に大変になるしね(笑)」

「どうもこうも、自由が~!とか、平等が~!とか叫ぶ割に、自分にとっての、っていう孤立した考え方でしか最近の世の中が回ってないから、私が感じてる人の愛し方なんか一切伝わらないみたいで、ほんとに難しい!」
と嘆く私。

愚痴のひとつも吐き出せて、よい時間だった。頑張っていることは伝わっているようだった。

季節の終わりに

そういえば、近況報告をするって言ったのに仕事の話もなにもできてないね、と私。神保町で近代文学専門店に行って、亀甲縛りにされた川端康成大全集に足をひっかけ、またも腰のヘルニアをいわすところであった、とか、そんな話はたくさんしたけれど、ゆっくりもできない喧しい酒の席で話すのも少し違うであろう、ということで、そばにあったカフェに移動し、お茶の飲んだ。

今年の春は色とりどりで驚いた話をしていたら、彼女が
「八重桜って一般的な桜よりも少しあとに咲くじゃない?なのに今年は一緒に咲いてて、なんならつつじまでほころんで、美しいには美しかったけど、ちょっとした危機感を感じるよね。たまたま今年はっていう話なのかもしれないけど。」
と言った。

例えば、ルーターは、ネット環境が崩れると、すべての灯りが一斉に点滅をし始める。信号機なんかもそうだ。それは夕暮れの部屋に蛍の光のような美しさをもたらすけれど、事態はあまりよろしくない。点滅はせず、点灯をする、これが正規のルートである。

すべてのものには順序があり、それが正しく守られることで、順調だと呼べる。

「そうだよね。一気にああも咲き乱れると、びっくりするくらいに美しい春だなって思ったけど、ちょっと怖いよね。地球の初期化、始まってる?彗星きれい~なんて言ってたら、隕石でも落としてくんの?って気になってくる。恐竜は絶滅したよ?人間なんて滅んで終わっちゃう(笑)」と私。

そんな話をしていたら、唐突に思い出し、また振り出しに。
「ねぇ。さっきの"最近の災い"の話だけど。あれさ。私に問題があるなら、それは私の改める事だけど、私自身がこれといって気づいていない事もあるじゃない?誰かにとても悪いことをしたというのなら、私はそれを謝る必要があるけど、(私は全く関係ない事だったとしたら?)そう仮定したから、聞いてみた事なのよ。仮定をするって事は、まぁそれなりに、そう感じさせるような偶然が重なって。」と私。

彼女は、うんうん、と聞いていた。私は愚痴を話しても、誰かが悪いとする他責的な概念を持つのはあまり得意ではないので、私のする話で、私が彼を攻めているとか彼はひどいとかそんな風には受け取ってほしくない、を一生懸命に話している、それを知っている、という顔で、ただ、うんうん、と。

なぜ、そんな話をしたのかと尋ねられたら、季節に関係なく花が咲き乱れた事を美しくもあり同時に危うさも感じた、と彼女が言ったからだ。私の持つやさしさも、私の持つ残酷さも、どちらも理解してくれている人であり、私がすべてを言葉にしないでもその温度を理解してくれる、彼女はそういう人だ。私が自分の事を素直に語れるのは、世の中に、彼女ただひとりである。

「理解してくれてありがとう」

彼女は私の引っかかっている事が、よそで繰り広げられるかもしれぬ存在の在り処などよりも、それを尋ねて私が彼の気分を害したかもしれない、に注視していることを理解してくれた。

お茶を飲みながら、どこの公園では何が咲いているよ、や、以前にYさんが話してたヤマボウシがあったから〇〇の公園にいけば……だとかそんな話をし、また時間があったら会おうね、と約束して、手を振った。

家について、LINEをみると、彼女から一言届いていた。

『偶然とは、原因と結果しかない、と誰かが。』

優しい励ましだと思う。いまがあるのは、あなたが自分で作った、自分で選んだ道だから、もっと自信もってて良いです、そのように感じた。



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