「料理がイヤ」のイヤをあらためて考えてみた
「あ、それただの癖字ですけど」
手書きの文字と公的書類を見比べて間違いがないか確認しているとたまに遭遇するときがある。
一言だけ言わせて。
せめて人が読むこと前提で書いてくれないか。
お互い不毛なやり取りと手間を取られるのが本当〜にイヤ。
面倒くさいんだもん。
イヤといえば、先日Xで仲良くしてもらってる方にこんなことを聞かれた。
「料理の終わりがなくてイヤの『イヤ』の部分をもっと詳しく聞きたい」
普段の家事、掃除、洗濯、料理の中でなにが一番手を抜きたいかのアンケートだったんだけど私はもうダントツで料理と答えた。
はじめに書いた確認作業のイヤさといい、料理のイヤさといい、なにがそんなにイヤなのか自分なりに考えてみたら共通点が見つかった。
不毛なことの繰り返しにむなしさを感じること。
名前うんぬんのやりとりは、そもそも絶対に書かせる必要があるわけではないものを偉い人の意向で続けているだけにすぎない。
そんなもんのために時間と手間を毎度毎度取られていることにむなしさを感じる。
料理にむなしさを感じるのは「終わりがない」から。
朝ごはん作ったらまた昼ごはんのこと考えて、片付けたらまた夜ごはんなににしよう、のくり返し。
私にとって料理とは生活のためにしかたなくやっていることで、そこに喜びもなければ楽しみもないわけで。
想像してみてほしい。喜びも楽しみも一切感じないことをこの先一生続けていく生活を。なんて不毛でむなしいことか。
これまで生きてきて幾度となく「料理が好きだったらなあ」と感じたけれど、まったくもってMU〜RI〜!!
大富豪だったら真っ先に人に頼んで料理を作ってもらいたいくらいだ。
ただかなしいかなしがない一般市民なので、今日もなんとか夫と2人分のごはんを作って片付けまで終わらせた。
食洗機が欲しいぃぃよおぉぉ!!!
なんか話がそれた。
結局のところ、自分のやってることに意義を持たせたいんだな。
達成感がほしいんだ。
終わりがないっていのはそれだけで達成感を奪う。
料理好きな人はなにを支えに毎日料理を作ってるんだろう。切実に聞いてみたいデス。
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