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時間の代わりに価値を提供できる物書きになりたい

文字単価って、つくづく不思議なシステムだなぁといつも思う。
普通に仕事をしていても「報告書を書いたから1文字1円ね」とはならない。
そもそも文字単価って、理にかなっているのかなぁ。

なにか伝えたいことがあるときに、まず文字数が◯文字! っていうのがすでにおかしな気がする。
別に文字数が多ければ多いほど、伝わりやすいってことないし。

読者に伝わるなら、別に100文字だって構わないと思う。
よくライターは時間にとらわれない自由な働き方だって、目にするけれどそう感じているライターがどのくらいいるだろう。

時給で働いている方が、よっぽど効率がいいくらい時間かけている人もたくさんいるのでは。私もその1人。すぐに油断すると週休0日、1日15時間労働の1人ブラック企業と化す。

これの一体どこが「時間にとらわれない」なのかこっちが聞きたい。
これでは価値の代わりに時間を捧げているのと同じだ。

1記事に何時間もかけてしまって、時給換算すると心がへし折られてしまいそうになるとき。いかに普通の仕事で時給が発生するのがありがたいことかわかる。

いるだけで給料がもらえることの(もちろん時給分の働きは必要だけど)なんとありがたいことか。

でもずっと自分の時間をお金に換算するような状態が続くのは辛い。
物を書いてお金を稼ぎたいなどとふてぇことを考えている。そのためには時間以外の価値を提供できるようにならなくては。

ああ、悩ましい問題だ。

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