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【日記1】12月24~30日=日本スポーツマンシップ協会、Dリーグ、焼き鳥納め

12月24~30日


◆12月24日(日)

朝から自宅で原稿を書く。
大谷翔平選手に続き、山本由伸投手もロサンゼルス・ドジャース入りが決まったので、ドジャースにまつわる思い出を記事にした。

2004年、大リーグ担当としてアメリカに赴任していた私のもとに、西武黄金時代を率いた森祗晶さんから「ロスまで大リーグ観戦に行く」と連絡があった。松井秀喜選手が所属していたヤンキースと、ドジャースが公式戦で初めて対戦するとあり、アメリカでは大きな話題になっていた。

観戦するだけではつまらないと、森さんと親交の厚い、ドジャースの元オーナー、ピーター・オマリー氏との対談を企画した。ロス在住の関係者に尽力してもらって実現した。

すでにオマリー氏はドジャースを手放しており、その決断に至った理由などを語ってくれた。日本と関係の深いドジャースで、大谷、山本の両選手が新たな伝説を作ってくれることだろう。

◆12月25日(月)

東京プリンスホテルで行われた日本スポーツマンシップ協会(JSA)5周年パーティーに出席した。私は同協会の認定コーチの資格を取得している。スポーツマンシップとは多くの人が耳にしたことのある言葉だろうが、私も以前はうまく説明できなかった。

同協会では、スポーツマンシップは次の3つが基本だと示している。
❶尊重(Respect)…プレーヤー(相手、仲間)、ルール、審判に対する尊重
❷勇気(Braveness)…リスクを恐れず、自ら責任を持って、決断・行動・挑戦する勇気
❸覚悟(Resolution)…勝利を目指し、自ら全力を尽くして最後まで愉しむ覚悟

スポーツマンシップについては、具体例を示すなど、今後もことあるごとに書いていきたい。

さて、立食パーティーで約2週間ぶりにアルコールを口にした。前週は口内炎が10個ぐらいできて、ゼリー飲料しか口にできない日が続いていた。しゃべることもできなかったため、歯科医に行ってレーザー治療をしてもらった。ピリピリとした痛みを感じたが、口内炎の苦痛に比べたら、はるかにマシだった。

久しぶりに酒を飲んで調子が出て、銀座に寄っていこうかと思ったが、まだ体調に不安があるので我慢して帰宅した。

◆12月26日(火)

朝から自宅で原稿を書く。
春から始める予定の高校野球の連載は、どのような展開で進めていくか考えがまとまらず、一歩進んでは二歩下がる。時間もあるので、何度も書き直しながら何とか満足できる完成に持っていきたい。

来年1月5日に公開予定の連載「Dリーガーのオドリバ」、SEPTENI RAPTURESの記事をまとめて、写真を選定する。Dリーグとはダンスのプロリーグ。今シーズンから全ラウンドに密着して記事を書いている。なかなかおもしろいので、ぜひ多くの人に見てほしい。

午後6時になって「今日は誰とも話していない」と思い、行きつけの焼き鳥店へ走る。ホッピーを飲みながら、煮込み、軟骨、ねぎまを食べる。おそらく今年最後の焼き鳥。今年は一体何本の焼き鳥を食べただろうか? 来年はぜひカウントしてみたい。

◆12月27日(水)

銀座で仕事の打ち合わせをした後、築地の会社に上がる。今月は社外での仕事が多かったため、社に支給されているポケットWi-Fiの使用量が限度まで達してしまったため、社内で仕事をするしかなくなった。どうも集中できない。

帰宅しても気が乗らないため「文藝春秋 2024年1月号」を読みながら、のんびりと過ごす。「私が大切にしている10のこと」という特集で、役所広司、石川佳純、平井一夫、村田沙耶香らが、日々の生活の中で大切にしていることを書いている。

私もマネしてみた。

❶毎朝コーヒーを飲む……コーヒーの問題ではなく、それぐらい時間の余裕を持って起きて、新聞を読む。1分でも長く寝ていたかった若い頃、新聞も読まずに現場に行った苦い経験から習慣化した。

❷毎日文章を書く……社内で編集の現場から外されていた頃、元プロ野球選手の清原和博さんに「仕事以外でも記事を書く腕は磨けるだろう」と励ましてもらったことによる。以前コラムに書いたこともあるので是非読んでほしい。

❸メモに残す……今は「絶対に忘れない」と思うことも、いつか記憶が薄れていく。鮮明なうちに簡単な内容だけでも書いて残しておく。1993年(平成5年)に社会人になってから毎年使っていたメモ帳を残してあり、あとになって振り返ると中々おもしろい。思い出せないことも多々ある。

……すぐに10個は思い浮かばない。しかし、10個ほどの「大切にすること」を持っておくと、日々の指針になるだろう。時間をかけて考えてみたい。

◆12月28日(木)

「Dリーグ ラウンド5」を取材した。
Dリーグとはダンスのプロリーグで、13チームが対戦する形で運営している。今は創設4年目の23-24シーズンの途中で、私は昨シーズン後半から見るようになったので、まだまだ経験は浅い。

4月から編集委員として再び取材現場に出ることになったとき、新しいフィールドに出ていこうと決めた。私は記者生活の大半をプロ野球担当として過ごしてきたので、野球界がもっとも居心地がいい。

ただ、昔ながらの人脈を渡り歩くだけの仕事はしたくなかったので、新しい分野を探し、Dリーグに焦点を定めた。

公式アプリをスマートフォンにダウンロードすれば、無料会員でも動画放送で生観戦ができ、各対戦の勝者と思われるチームに投票することもできる。プロによる5人のジャッジと、オーディエンス(観衆)票で勝敗を決するシステムなのだ。

◆12月29日(金)
久しぶりに徹夜をした。
前日28日にDリーグを取材した後、先輩記者と食事をしていたら、午後11時を過ぎてしまった。電車に乗って帰宅してから原稿を書くのはつらいと思い、会社に戻って作業を始めた。当然ながら終電には間に合わないので、始発を待つ間に原稿を仕上げるつもりだった。

夜が遅い新聞社でも、午前3時を過ぎるとシーンとしている。誰に邪魔されることもなく原稿を書いて、写真をはりつけるなどレイアウト作業をした。

作業を終えて、雑誌などを読んでいるうちに始発の時間がきた。空いている電車に乗ってウトウトしながら帰宅して、午前6時半頃に就寝した。昼頃に起きて、別の原稿を仕上げようと考えていた。

しかし、4時間ほど眠って起きたら体が動かない。眠気はないのだが、起き上がる力がなかった。結局、1日ダラダラと過ごすしかなかった。54歳の体に徹夜は厳しいようだ。

◆12月30日(土)

中学時代の友人と忘年会をした。
毎年恒例で6人が集まっていたのだが、1人は遠方に赴任しているとあって不参加。そして1人は昨年亡くなってしまった。今では4人で集まっている。

亡くなったAは、数年前に癌で手術をしていたが、その後は順調に回復して仕事にも戻っていた。ゴルフも再開したというので、一緒にラウンドをする約束をしていた。

あれは昨年5月31日、LINEでのやり取りだった。

「やっとゴルフできるようになったよ。ゴールデンウイークに行ってきた」
「じゃあ、今度一緒に行こう」
「それなら秋がいいな。夏は暑くて倒れるから」
「OK。涼しくなったら連絡する」

涼しくなった10月にLINEをしたら、しばらく経っても既読にならない。電話をかけてみたが、留守番電話になって、つながらない。さては体調を崩して入院でもしたかと心配になって、共通の友人に連絡してみたところ「9月末に会った時は元気だった」という。では心配ないだろうと、しばらく待ってみることにした。

しかし、あとで聞いたところ、その友人と会った直後に体調が急変し、病院に行って、そのまま帰らぬ人になってしまったのだという。コロナ禍もあって葬儀は身内だけで行ったため、我々のところにも連絡がこなかった。

仲間たちとは毎年集まって、Aを話題にしようと約束した。今年もAの話をしながら酒を飲んだ。