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【短編小説】 これ一本でやっていく。

仕事帰りにふらりと飲み屋に立ち寄った。

L字型のカウンターは6席。

満席になったら、さぞや息苦しさを覚えそうだと思った。

私はL字の4席、2席となっている店の最奥4席の端に腰掛けた。

平日の23時を回ろうとしているお陰で、店は私ひとりだった。

歳の頃、40代の中程だろうか、割烹着姿の女将さんがひとりで切り盛りしている店だった。

私は日本酒の冷を頼んだ。

空きっ腹に優しい、あんかけの豆腐がお通しで出て来た。

疲れた頭と体に優しい温もりが広がる。

冷との相性も実に合っている。

あじのなめろうと出汁巻き卵を頼んだ。


すると、3人連れの男たちが店に入って来た。

ほろ酔いで、恐らくこの店が2軒目と思われる。

私とは逆の、L字型テーブルの2席と私と逆の4席の端に3人は腰掛けた。

「大びんのビールを2本、グラスを3つね!」

女将さんがニッコリと会釈をして、カウンターへビールを置いた。

「プシュッ」

耳に心地良い開栓の音。

瓶ビールなんて久しく飲んでいない、と、ふと思う。

「かんぱーい!!」

3人は「カチッ」とそれぞれにグラスを合わせて、旨そうにビールを飲み干す。

「んん、、ふぁー」

思い思いに感嘆の声を上げている。

「ああ、蒸発しちゃったよ、女将さーん、追加ねぇ!!」

微笑みながら、女将さんが奥からビールを持って来る。


つまみを食べながら、冷をちびちびと飲んでいる横で、3人は会社の愚痴を話し合っている。

「いつ辞めてやったって、本当は良いんだぜ」

「オレもだよ、わかって無いのよ、オレの良さを」

「そうそう、なぁんであんなバカが偉くなれるかってさ、擦り過ぎてゴマも粉末になってるっつぅの!! 蒔いて花咲くバカ会社ってかぁ!!」

どこの会社でもよくある話と見える。

そろそろ終電の時間が近づいていた。

つまみをもう一つ頼み、残った冷を大事に舐めることにする。


「オレはね、決めてんのよ、もうこれ一本でやっていこうってことがさ」

「おっ、いいねぇ、出しちゃう? 出ちゃう?」

私は最後のつまみを食べ、最後の冷も口に含んだ。

「よっ!! 待ってました!!」

これ一本でやっていくと言った男が「にかっ」っと笑った歯には『長ネギ』が挟まっていた。

「あぁぁ、出ちゃったぁぁ、長ネギ一本!! そしたら、オレはこれ一本!」

笑ったそいつの歯には『トウモロコシ』が挟まっている。

「どうだ!!」

「そしたら、オレはこれだぁ!!」

最後の男は海苔を貼った前歯を見せた。

「違ぁぁう、それはいちまい!! いっひゃっひゃっひゃ!!」

男たちの「これ一本」は仕事のことでは無かったようだ。


私は会計をして、店を出ようと彼らの後ろを通った。

「おにーさんは、どれ一本でやってく?」

真っ赤な顔で『海苔』の男が私に言った。

私は軽く微笑んで、店を後にした。

引き戸を締め切る寸前に盛り上がる男たちの声が聞こえて来た。

「あったなぁ、忘れてたぁぁ!!!」


私の最後のつまみは「えのきバター」であった。






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