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【歴史概要124】イタリア戦争・ウィーン包囲・カトー・カンブレジ条約

①ユリウス2世はイタリア戦争を本格化させた。ローマからボルジア家を排除する事から始まった。続いてヴェネツィアの影響力を削ぐためにカンブレー同盟を結んだ。

②1511年にスペイン、神聖ローマ帝国、ヴェネツィア、スイス、イングランドと神聖同盟を締結した。同盟諸国間の利害対立ゆえにフランスを排除したが解決にならなかった。

③1513年にユリウス2世を継承したのがメディチ家出身のレオ10世であった。ルネサンスのサポーターでもあったが政争を好んだ。

④フランソワ1世(フランス)とカール5世(神聖ローマ)が争った神聖ローマ皇帝選挙ではフランソワ1世を支持したがルターが宗教改革を始めるとカール5世を支持した。

⑤1521年にフランソワ1世が神聖ローマ帝国領である北イタリアへの進出を始めた。ここからイタリア戦争が始まる。

⑥フランソワ1世は捕虜となったが解放された。神聖ローマ帝国カール5世に対抗するために諸国は教皇を含めてコニャック同盟という反カール5世の同盟を結んだ。

⑦1527年に神聖ローマ帝国はローマを攻め略奪を行った。

1529年にはオスマン帝国軍によるウィーン包囲が起こった。

こうして反ハプスブルクとしてフランスとオスマン帝国の友好関係が樹立された。

⑧ウィーンは守られたがハンガリーなどはオスマン帝国領になった。フランスと神聖ローマ帝国の争いが続いた。北イタリア諸国だけでなくドイツとフランスの国境などまで拡大した。

⑨フランソワ1世は亡くなり、カール5世は退位した。1559年になりカトー・カンブレジ条約が締結されて戦争は終結した。フランスはイタリアから撤退し、イタリアではスペインの勢力が大きくなった。ミラノはオーストリアの支配下となった。

⑩中世は国益という考え方はなかったが徐々に国民国家意識が芽生えてくる。この時代は教会的倫理観から離れた世俗的政治思想が出てきた。チェーザレ・ボルジアやマキャベリが有名である。

■参考文献
『30の戦いからよむ日本史 上』 関 真興 日本経済新聞出版社

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