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相対主義者の欺瞞と卑劣さ

「人の数だけ意見があり価値観があります。」というと何か凄く正しそうに聞こえるがこんなもの誰でも言えるし、散々申し上げている権力勾配が前提条件になっていない。

相対主義が如何に痴愚なのかを考えていきたい。

まず全く同じではなくても同質パターンや類似パターンが存在するのが人類の意見であり価値観である。だから単に相対主義に置き換えて話をしても何の歴史性にも通じていない。

たとえば右翼の手法は、大日本帝国であれ、ナチス第3帝国であれ、統一ロシアであれ、イスラエルリクードであれほとんど同じである。

違うのは使っているシンボルであり、構造や体質は類似している。とすれば相対主義にするとその部分が見えなくなる。

だいたい社会的に碌でもない奴らの考える事など万国共通であり引き出しも狭いので結果的に同じようなことしかできないのだ。

次に相対主義で見る事が冷静・客観的な態度なのかという話だが、これはよく申し上げている権力勾配の観点からいって間違いである。

「即に勾配が確定している」場合が大半であり、加害-被害の関係が成立している。ゆえに相対主義の態度やどっちもどっち論ほど冷静・客観性から離れた態度はないという事だ。

もっとも正しい態度は誰も乗っていない側のシーソーに乗ることだけである。

そして「相対主義は人間に可能なのか?」という根源的な問題だが無理だと言わざるをえない。人間は外から世界を見る事はできず、システムの中に入っている。そのシステムの中で自身が運動体の一部になるしか方策などない。

だから世界的にデモやストライキが起こるわけである。相対主義者は「俯瞰的に世の中を見ている」とか「一方の正義の暴走はよくない」とか的外れなことを言うが相対主義者は権力勾配を支える卑劣なスポンサーでしかない。

全知全能者である神以外どうやって相対主義・中立主義をジャッジする側に立てるのか?たかが一国の権力者や業界の有名人ごときがそんな判断などできるわけがない。

まとめていこう。相対主義者は①歴史的な同質・類似パターンを検討しない②明らかな権力勾配を無視する③そもそも相対主義はどんな人間にも不可能である。

相対主義者の正体は右翼のスポンサーであり、権力勾配の推進者である。

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