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仕事なんて頑張れない - メモ帳の残存物

スマートフォンのメモ帳見てたら、結局長めの手記的サムシングがあって、死んだ他人の手記みたいでちょっとウケたので、完結してない文章ですがここに掲載して供養します。

こんな感じで毎年毎年結構メンタルをぶっ壊しながら、働いてきて4年目もまたメンタルをぶっ壊してるんですけど、そろそろこの破壊と再構築も終わりにしたいなぁと思うわけです。

こう何回も自分を破壊していると、わたしなんでこんなことやってんだろうな…別に頑張る必要なんてなくないか?と毎年毎年四半期に1回くらい思うんです。

メンタルを壊している理由ですが、働きすぎ、というよりは、やりがいを感じられない仕事に苦労することへの消耗が大きいような気がします。

より意義のある仕事がしたい、よりレベルの高い仕事をしたい、そうより上へ上へと常に向いていた結果、仕事内容な周りや組織との意識のギャップに苦しみ、ときに反発し、メンタルをやりました。

本当に何処かに家を借りて飯食って服買って生きるだけなら、月に20万円あればまあどうにでもなると思います。

わたしは年収もやりがいもどちらも欲しい。片方が得られないなら、そのストレスは2倍にして向けられるしかないでしょう。

仕事に気高き意義や理念、目的を求めるのはわたしの正義感もありますが、それだけではありません。十分な年収がないからです。

年収も600万円とか1000万円とかあれば、まあやりがいとかもどうでもよくなるだろうなーとも思いますし、何かすればするほどあがるならきっとそうするだろうなーとも思います。

あとは自分以外に守るべき人、平たく言えば扶養する人がいればまた違うでしょう。仕事に十分な意義や理念がなくとも、誰かを守るために働き、稼ぐことがそれに代わるやりがいとなるでしょう。

わたしにはそのどちらもありません。20代の独身社会人はたいていこのようならものではないでしょうか。

お金もなければ、目的もなく、仕事なんてがんばれないと。

年収をあげたいなら自分の市場価値を上げなさいよという大人の方もいますが、そもそも「自分」の「市場価値」なんかあげて何になるんだろうとも思います。

市場価値なんて、より利益率の高い業界で、

仕事を頑張れる理由

やりがいを作る要素?

意義・理念→やることで自分自身を肯定できる
給与・報酬→やることで物的に生活が豊かになる
名声・評価→やることで他者からの肯定される


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