なんとなく最終回だけ中途半端に書いたドラゴンファンタジー

そこにいた全員が、数十人分の肉塊に目を奪われていた。
とても見るに堪えない光景だが、目をそらすことは出来なかった。
死体。ではなかった。あまりにも凄惨なその光景はそれらが元は生きていた人間だとは思えないほどのものだったからだ。
血の流れる音もなく死を拒絶しようとする断末魔も絶えた静寂の中で漂い始めた死臭だけがそれらがただの肉塊ではなく人の死体であることを主張し始めていた。

いつの間にかに爺さんが一振りの刀を手に佇んでいた。
いつもの陽気で剽軽な顔ではなく、心底疲れ切ったような表情で手にした刀を見つめていた。
周囲に散っている肉塊には少しも気を留めず一瞥もすることなく、どこかウンザリとするように刀を見つめていた。

「りん」爺さんが刀を見つめたまま口を開き静寂を止めるとそこにいた全員がビクッと小さく身体を震わせた。
リン。そう呼ばれた少女はその小さな身体をひときわ大きく震わせながら「ハッ!」と答えた。
「刀を取れ」爺さんは先ほどと変わらず刀をみつめながら言った。
「そ、それは・・お、お許しを……そればかりはなにとぞ、なにとぞお許しを・・」
少女は鞘を片手に片膝をついたまま顔を伏せ全身を、声を震わせ怯えて答えた。
「りん、刀を取れ」そう繰り返す爺さんの声は深く、そして重く、まるで地を這う大蛇のように少女に絡みついた。
少女は再び大きく震えた。そして大蛇に操られるかのように鞘を片手に顔を伏せまま片膝でゆっくりと爺さんに膝行していった。
その顔は蒼白でまるで断頭台に進む死刑囚のような面持ちだった。
そこにいる誰もが恐れおののき一声も発することが出来ず、その光景を見つめるだけだった。
「爺さん・・」レンゾは思わず声をかけた。
しかしその声に反応する者は誰もいなかった。
少女が爺さんの傍らに行きつき爺さんを前に鞘を捧げ上げた。爺さんはそこで初めて少女に顔を向け、刀を振り上げた。
野獣共を殺した穢れを可憐な一輪の花を摘むことで祓おうとでも言うのか。
「爺さん、止めろよ」レンゾは辛うじて声を上げた。
しかし爺さんはレンゾに顔を向けることもなく少女に刀を振り下ろした。
「止めろ!!」レンゾが叫んだ。
蒼白の少女の顔が真っ赤に染まる姿が頭をかすめた。
しかし爺さんが振り下ろした刀は少女の右肩の上でピタリと止まっていた。

「火の源の国、石家は為義が子、義朝。義朝が子、火の源の国に産まれし石家の義経。火の源の国の石家の末孫であるこれリンにこの刀を給える。これ、もはや鎮火の刀と心得よ」そう言う爺さんに少女が顔を伏せたまま答える。
「義経が子、千歳。千歳が子、朝定。朝定が子、火の源の国に産まれしリン。謹んで鎮火救国の刀、白金の隼。鞘に納めまする」
少女が声と全身を震わせながらそう言って胸元から紙片を取り出し爺さんの振り下ろした刀を清めてから鞘に納めると、爺さんは刀から手を離した。少女は鞘に収まった刀と共に再びゆっくりと膝行し下がっていった。
この間、少女は一度もその頭を上げなかったがその目は涙にあふれ、顔は蒼白のままで全身はまだ怯え震えていた。

刀を手放した爺さんはたったいま数十人の肉体を壊しつくした者とは思えないほど剽軽な表情になり周囲を漁り始めた。
「切っ先はどこにいったかのう・・」そう言いながらなにやら周囲を探し始めた。おそらく先ほど黒龍に折られた黒刀の切っ先を探しているのだろう。その姿は老いた翁が朽ち木か石ころを払いのけてキノコか山菜を探しているようにも見えたが、この爺さんが払い除けているのは、傍若無人で鬼畜の所業を繰り返した来たとはいえほんの数分前まで人だった物、頭部や手足、胴体の切れ端だった。

誰もが言葉を発しなかった。いや発せなかった。この世のもとのは思えない惨状をまき散らし飄々と死体を石ころのように扱う爺さんが恐ろしかった。
「おお、ここにあったか」爺さんはそう言いながら折れた黒太刀の切っ先を拾い上げた。
「あの黒鶴がよう見事に折れたもんだのう」
爺さんは折れた刀の切っ先を置き革の上着と粗末な麻布の服を拭ぎ棄て上半身を裸にすると切っ先を前に正座し、布の服を折れた刀の切っ先に巻き手に取った。
「りん、参れ」しかし少女は動かなかった。
そのまま数秒が過ぎたが少女は動かなかった。
しびれを切らしたように爺さんが振り向き「リン!」と言った。

振り向いた爺さんの額に少女が手にしていた刀の鞘がぶつかりスコーン!と小気味良い音を立てた。
「リン!!」何事かと声を荒げる爺さんの顔に今度は白銀に輝く抜き身の刀が飛んで来た。
爺さんは済んでのところで飛んできた刀を避けたが続けて少女が掴み投げる血石の飛礫は避けようがなかった。
「じいじのバカ!」そう叫ぶ少女はその小さい両の手で周囲を埋め尽くす血石を掴んでは爺さんに投げつけていた。
「こら!リン!止めぬか!」爺さんは血石の飛礫を浴びながら叱りつけるが少女の両手は動きを止めない。
リンはその少女の容姿にふさわしく駄々っ子のように足をばたつかせながら両手で周囲にいくらでもある血石の飛礫を爺さんに投げつけていた。
途端に滑稽な様相を呈した光景に周囲の人々は戸惑った。
それを察してか爺さんは少し恥ずかしそうで、慌てて少女を必死に止めようとする。
「りん!これ!よさぬか!」爺さんは言うが少女は止まらなかった。
「バカ!バカ!じいじのバカ!」。少女は土くれのように周囲の血石を投げるのを止めなかった。爺さんは困り果てる様に飛礫を浴び続けた
その様子は駄々をこねる孫と何とかそれをなだめようとする祖父のそれだった。
「りん殿!なんじゃ!?どうしたと!?」
「リンはじいじを切るなんて嫌じゃ!じいじを切ったらリンは一人になってしまうじゃろ!」

「あの年寄りを切る?リンが?」怪訝そうにそう呟くルーに総督は鉄仮面の下から答える。
「ハラキリだ」
「ハラキリ?」総督に疑問をぶつけるルーと同じように周囲にいた儀仗兵が総督に疑問の顔を向けた。総督が答える。
「この大陸の極東の果ての先に広がる大海。その大海の先に浮かぶ島国、火の源の国。竜のいない国。その国では刀を手にした人々が2000年の間、互いに殺しあっているそうだ。ルーは知っているだろう?」
「人と人が?殺しあう?」儀仗兵の一人がつぶやいた。
「そうだ、竜が渡れぬ大海の先にある火の源の国では竜がいない代わりなのか、人と人が殺しあっているのだ」
少なからず火の源の国の事情を聞いていたルーが聞いた。
「でも、なぜリンがあの爺さんを切ることになるので?」
「それがハラキリだ。あの爺さんはこれからハラキリをするつもりなんだ。手にしたあの切っ先で自らの腹を切り裂く。そののちリンがもはやそれが助からぬ傷であることを確認したら、それ以上の無用な苦しみを断つべく首を切り落とすんだ」
「はあ!?腹を切って?首を切り落とす!?何のために!?」
「彼らは刀で死ぬことで復活することが出来ると考えているんだ」
「刀で死んで?復活?」ルーは察しがついたようだったが総督は眉を顰め疑問を唱える儀仗兵たちのために説明を続けた。

「そうだ、彼らは人が死ぬと皆、極楽に行けると信じている。飢えで死んだ者は飢えの無い豊かな極楽に、病で死んだ者は病のない優しい極楽に。そして刀で死んだ者は刀のない平和な極楽に生まれ変われると信じているんだ」
「ならそれでいいんじゃ・・」そう疑問をぶつける一人の儀仗兵に総督は続ける。
「飢えで死んだ者が飢えを望むことは無いだろう、病で苦しみ死んだ者も同じだ。だが刀と共に生まれ刀と共に死ぬと言われる火の源の国の民は、刀のない世界は地獄と同じなのだろう。刀で殺され刀のない極楽に来た者が刀を望むと極楽を追放され現世に生まれ戻れると、彼らは信じているんだ。だから彼らは刀で殺し合い、そこを生き抜いた者も最後はハラキリで、刀で死ぬことが必要なんだ」
「なら勝手に死ねばいいだろ!なんでリンに最後を!?」ルーが唸るように言うと総督が答えた。
「それが彼らの終わりの作法なんだろう・・」
「刀で殺されたさきの平和が彼らにとっての地獄で、彼らにとって人と人との殺し合いこそが望みなのか。狂ってやがる」
儀仗兵の一人がつぶやいたが総督は答えなかった。

狂ってる。そうだ、人が人を殺すなど狂人の沙汰だ。この年寄りも、おそらくこの少女も。そして今はもう肉片と化している人を食ったことを楽し気に話すような連中。
総督は目の前に転がる男の頭部を見つめた。
もはや人ではないのかもしれない。こいつも、そして私も。
いや、私はここに散らばる連中とは違う。この連中は自己の欲求で人を殺すことを楽しんできた。だが私は?私はただの一人も殺してはいない。
ルーを見ると下を向き顔の傷を掻いていた。パニックを起こしかけている時のルーの癖だ。
「狂ってやがる」と言う言葉を自分に向けられたと思いこみあの場面を思い出しているのだろう。あの凄惨な大量殺人現場を。

彼女は一人、また一人と殺していった。逃げ惑う者は背後から刺し殺し、膝をついて命乞いをする者と視線を交わしながらも容赦なく突き殺した。
殺人者が狂人と言うのなら彼女はあの時、最愛の者への気持ちをしまいこみ人であることを捨て狂人へと成り落ちたのだ。
だがそれを命じたのは?殺人者が狂人であるならば彼女を狂人へと貶めた私は一体何と蔑まれればよいのだ?

「りん・・」どこか悲しそうな顔になった爺さんは飛礫を食らうままに呟いた。
「まだわしをじいと呼んでくれるのか」
「そうじゃ!じいじはじいじじゃ!リンにはもうじいじしかおらんじゃ!」顔を真っ赤にして止めどなく涙を流す少女は漸く血石を投げるのを止めた。
少女は人目も憚らず泣き叫び続けた。
「嫌じゃよう・・じいじを切るなんて」
「すまぬ。りん、すまんのう」爺さんは俯いて小さくつぶやいた。
「みんな死んでしもうた。父上も母上も、朝兄ぃも時兄ぃも頼坊もみんな死んでしもうたじゃ。じいじを切ったらリンは一人じゃ。たった一人じゃ」
「すまんのぅ」爺さんは虫の鳴くような小さな声で答えた。
「じい、帰ろうよぅ。リンとおって欲しいのじゃ」
「りん、それは出来ぬのだ」
「なぜじゃ!じいが戦を終わらせたんじゃないか!そのじいがなんで国を追われなきゃならんのじゃ!」
爺さんは顔を上げて少女を見た。
「りん・・」
少女は黙ったまま静かに泣いていた。
「りんや、じいは帰ってはいかんのじゃ」
「なぜじゃ!巴様も!」
「そうか、りんをよこしてくれたのは巴殿か。感謝せねばならのう」
爺さんは両手を合わせて首を垂れた。
「巴殿は何と言っておった?じいを連れ戻せと言うておったか?」
「巴様は・・巴様は!」
「言うてはおらんじゃろう?」
「決して連れ帰ってはならぬと、請うてもならぬ、願ってもならぬと言うておった」
「そうじゃ、それでいいのじゃ。じいはこの地でこのまま・・のう?」
「わからぬ!巴様は今や将軍様じゃ!なぜじゃ!戦を終わらせたじいこそ将軍様になるべきじゃろう!巴様は将軍になりたいからじいを・・・・」そう言いかけた少女に爺さんは厳しく諫めるように声を強めた。
「リン!巴殿はおぬしの大叔母、育ての親じゃぞ!なにを言うつもりか!言ってはならぬ!それ以上は決して口にしてはならぬぞ!」
「じゃって、皆・・巴さま・・・かか様も高田様も所様も四ノ蔵様ですらじいがいなくなってもちっとも悲しんでおらんのじゃ。なぜじゃ、なぜ戦の火を消したじいが一人で国を追われなきゃいけんのじゃ」
「りん、じいは国を追われたわけではないぞ。じいはこの足で国を去ったんじゃ。それにな、じいが一人で火の源の戦火を消したわけではないじゃろう?巴殿、高田殿、所殿、四蔵殿、皆で消したのじゃ」
「なぜじゃ、皆で消したというならなぜじいだけが国を去るんじゃ。帰ろう、じい、一緒に帰ろうよぅ」
少女は再び静かに泣き始めた。その少女に爺さんは歩み寄りその小さな頭を慈しむように撫で始めた。
「りん、じいは国にいてはならぬのじゃ。分かってくれ」
「わからん!なぜ皆じいがいなくなっても平気なんじゃ」
爺さんはゆっくりと少女の頭を撫で続けていた。
「わしは確かに火の源の戦火を消した。皆の力を借りてな・・」
それを遮るように少女は言う。
「でも戦果一功はじいじゃろう。そのじいがなんで・・」少女の言葉を今度は爺さんが遮った。
「そうじゃ、じいは幾万の武士を斬った。じいが一番斬ったのじゃ・・・一番、斬ったのじゃ」爺さんは言いよどむ様に言葉を止めた。
「じゃからじいが将軍様で良いじゃないか」
「りん、じいは骸が大山となり血は大河となると言われたほどに人を斬った。そんな者が将軍になってはいかんのじゃよ」
「なぜじゃ、将軍様は強い者じゃ。強い者が将軍様になるんじゃろ?じいより強い者は火の源の国にはおらんじゃないか」
「りん、それは違うぞ。将軍は強く有らねば為らぬがそれ以上に皆に慕われなくてはいかんものじゃ」
「なら皆じいを嫌っておるという事か?そんなことはこのリンが許さぬぞ!絶対に許さぬ!」少女はまだ涙の乾かぬまま憤然とした顔を上げた。
「そうではない、りん。よく聞くのだ。今、戦の火が消えた火の源の国は皆、安心しておるじゃろ?」
「そうじゃ、皆喜んでおるよ、じいに感謝しているはずじゃ」
「そうかもしれぬな。じゃがの、じいが将軍になって皆の上に立ってしまってはな、じいが斬った幾万の山屠の者達が残した幾十万の親や子や兄弟や友共はどう思う?哀しみをこらえて火のない新しき世に歩みを進めようとしている者達が上を見上げた時にそこに親の敵、子の敵。己の大事な者を斬った者がいたらどうなると思う?上に立つものが敵であってはその心に消しきれぬ戦の火が再び灯されるのじゃ。それではまた火の源に逆戻りじゃ。幾百万の骸で出来た山に火を点け国を再び戦火で燃やし上げるような行いじゃ」

少女は顔を伏せ悔しそうに歯を食いしばっていた。
理屈はわかる。が、とても納得はいかないと言った表情だった。
しばしの間の沈黙が訪れた。
少女は意を決したように袖で涙を拭き爺さんを見つめ言った。
「ならばリンとこの地で生きよう。それならば良いじゃろ!?もう戦は終わったのじゃ」
爺さんはそう言った少女を慈しむようでどこか悲しそうな表情で見つめた。
時折かすかに微笑むような表情を挟むのはこれまでの思い出を振り返っていたのかもしれない。
「じい。リンがそばに居るから」乞う願う様に少女は言うが爺さんはゆっくりと首を振った。
「りん」
「うん」
「じいは、じいはな」
「うん」
「もう疲れたんじゃ」爺さんは顔を落として言った。
「じゃからリンと休もうよ、この地で。皆・・」少女はそう言いかけてから言い直した。
「この地にも優しい人はおるよ。リンもようしてもろうたよ。じゃからここでじいと会えたんじゃ」少女は後ろを振り返り機械都市の面々を見た。
爺さんは総督を見つめ「我が曾孫の面倒を。かたじけない」と頭を下げた。
総督はどう返事をしていいかもわからず返答に窮していたが爺さんは気にも留めず少女を見た。

「りん、じいはな」
「うん」
「じいは人を斬ることにもう疲れたんじゃ。もう人を斬らずにすむとこの地で静かに暮らそうと思っておったんじゃがの。まあ刀を捨てれば良かったんじゃろうが。やはりそれは出来ぬもんだの」
爺さんは初めて周囲に散らばる死体に目を向けた。そして左手で右の肩をタンタンと二度、叩き言った。
「ここにはわしの幽世の剣に切られた者共が乗っておる。常世にも行けず現世にも戻れぬ者共がここに留め置かれておる」
「はい」そう答える少女はもう答えを察し、あきらめているようだった。
「天下を均した関坂の戦い。火の源の国の最後の戦じゃの」
「はい」当然知っているという風に少女は頷いた。
「幽世への道を切られることを覚悟してわしを数刻の間でもそこに留め置くべく坂の城を取り囲んだ八千の武士。その間にせめて高田殿だけでも討とうと関の原に押し寄せた一万と二千の武士。じゃが高田殿の策で坂の城にいたのは高田殿で関の原にいたのはわしじゃった」

爺さんは思い出したくないとでもいうように、記憶を振り払いたいとでも言うようにゆっくりと顔を振った。
「関の原でわしの姿を見、わしの経を聞いた一万と二千の武士たちは相見互いを斬り始めたんじゃ。わしの幽世の剣を恐れ一万と二千の武士が我先にと自害を始めたんじゃ。並んで腹を切る三人の子の首を泣きながら落とす親もおった。相対し互いの首を同時に斬り落とす者もおった。わしの幽世の剣を恐れ先を争う様に自害に及んだのじゃ、茶の湯を沸かすほどの間に一万と二千の武士が骸となり果てた。わしは彼らの骸に報い数刻の間を持ってから坂の城に進んだ。いやわしは高田殿に最後を任せたかっただけかもしれぬ、高田殿が残った八千の武士を打ち潰す数刻の時を待っていたのかもしれぬ。だが八千の武士は坂の城を攻め落とそうと必死に奮闘していた。幽世を斬られることを覚悟していた者たちが一転、常世に行けると一縷の望みをかけてその身をぶつける様に必死に城を攻めかけていた。じゃが高田殿はただ一人の兵も出さずただ護りに徹しておった。高田殿は恐ろしいお方じゃな。関の原に来た者共がわしを恐れすぐに自害し果てるとわかっておったのじゃ。そしてわしが数刻の間、彼らに報いるであろうこともわかっておったんじゃろうな。高田殿はひたすらに守備に徹し城方の損害だけを気にしておったのじゃろう。わしはそれを見て泣いてしもうた。涙を流し経を読んだ。彼らがこちらに立ち向かってくることはないことはわかっておった。彼らは関の原に来た武士たちと同じように自害を始めた。常世には行けぬと覚悟して発ったであろうが城におった高田殿の姿を見て一転、希望を持ってしまったのじゃろうな。万の一つに城を落とせれば万々歳。討たれたとしても常世に行けると、必死に城を攻めておった。じゃがわしの経が響いた。一度希望を持ってしまったものが再びその身を捨てることは難いのぅ。彼らは関の原の者どもと同じように自害を始めた。それはわしの涙が頬を伝い顎から地に落ちる前に終わった。じゃが彼らは幽世に行き常世へと旅立ち輪廻に立ち戻れる。じゃがわしに斬られこの肩に留め置かれた者共はどうじゃ、幽世に行けずここにおるものは幾万かはわしも分からぬ。重いなどと言うてはいかんのは分かっておるのだが、もう疲れたんじゃ」

「幾万?あの年寄りが何万人も殺したって?そんな馬鹿な」一人の儀仗兵が嘲るように言った。その儀仗兵をルーが睨みつけ言った。
「本当だ、見た。あの年寄りの肩・・・」つい先ほどそこに落ち、運よくそこから連れ戻されたルーは歯を食いしばり必死に身体の震えを抑えた。
「あの年寄りは・・・」ルーは自身が味わい、そして目にした物をそのまま口にした。
「地獄を担いでいる・・」
リンがルーを振り向き、総督は慈しむ様にルーの肩に手を置いた。ルーは大勢の部下が見る前ではすべきではないとは思いつつ肩に置かれた総督の手を溢れ出る感謝の念でもって握り返した。

「わしはもう人を斬りとうないのう。じゃが刀も捨てられぬ」
爺さんは静かに一筋の涙を流した。そしてそれを恥じることも隠すこともなく振り向いた。
「リン殿。頼まれてくれぬか」
少女は白銀の刀を手にスッと立ち上がり天を仰ぎ言った。
「かしこまりました」その目には再び涙がたまり溢れ頬に幾つもの筋が流れていた。
爺さんはそれを聞き、見てかしこまるように首を垂れ小さく微笑んだ。
「立派なお武士様になられたの」
「大殿のおかげでございます」少女が会釈すると零れ出た涙が地に落ちた。

「頼む」爺さんは折れた黒刀の切っ先を握り、少女は白銀の刀を手に爺さんに歩み寄った。
「辞世は」少女が問うた。
「その前に」爺さんは黒刀の切っ先を置き総督に向き直り両の拳を地に着け首を垂れて言上した。
「我が孫娘、リンを留め置かれた事、格別に痛み入る。その一宿一飯の恩義に報いるべくは我が太刀なる黒の鶴を捧げ賜わん」爺さんはそう言って傍らに放られた折れた黒太刀を総督に向けて差し出した。
それは折れたとはいえつい先ほど、人には抗う事も叶わぬと思えるほどの強大な竜を倒すきっかけを生んだ剣だ。素直には受け取れない。しかし爺さんは首を垂れたまま躊躇する総督に「今のわしにはこれしかございませぬ」と言った。
「受けましょう」総督は言い、恐れを抱いたまま歩みを進め折れた黒太刀の柄を手にした。しかしそれは驚くほど重かった。その重さに引っ張られる様に躓きそうになったが両手で柄を持ち何とか拾い上げた。総督はその場にいる部下を見渡し、ロック隊長に顔を向け目線で呼ぶと畏まる様に歩み寄ってきたロックに(重いぞ)と囁き剣を渡した。ロックは相変わらず無表情だったがその重さにはさすがに驚いたようだった。
あの貧相な老人がこの重剣を振っていたのか?ロックは内心そう驚きながらも黒太刀を両手に下がった。

爺さんはそれを見てもう一度頭を下げると、次にレンゾに向かい言った。
「おぬしには本当に助けられたのう。わしがこの地で生きてこれたのもそなたのおかげじゃ。そなたにはこの黒刀を受けて欲しい」爺さんは目前に置いた黒刀の折れた切っ先に手を置いた。
「爺さん」レンゾは眉をひそめる。
「それで今から腹を切って死ぬつもりなんだろ?」
「そうじゃ」
「いらねえよそんなもの、気味わるいだろ」
爺さんは少し驚いた顔を見せたが小さく頷いた
「まあそうじゃな」
しかし少女は怒りの表情を隠すことなくレンゾを睨んでいた。
「まあの、おぬしには世話になった。この地の事は何も知らぬわしを助けてくれたの」
「助けたつもりなないけどな」
そういうレンゾに爺さんは小さな笑みで返し言った。
「わしは助かったぞ。楽しかった。そのおかげで今ここでリン殿の立派な武者振りも拝むこともできた。全てお主のおかげじゃ

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